人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

時間が経つのが早いよ~!!

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最近、読者登録してくれた方ありがとうございます。

なんだか時間が経つのが早く感じる今日この頃。あまり忙しい職場ではないので仕事中は時間が経つのがゆっくりで1日が長く感じるのだが家に帰ってくるとそれこそあっという間に時が経ってしまいすぐに寝る時間になってしまう。

やはり、高校時代や大学時代や20代前半の頃と比べると明らかに時間が経つのが早く感じるようになってしまった。これはまあありがたいことである。社会人の一日なんてとりたてて楽しいことがあるわけでもなく良くてもまあまあ程度なのであんまり時間が経つのがゆっくり過ぎても逆に困るのだ。

今思うと大学時代ってなんて素晴らしい時代だったのだろう?と思う。だるい授業を途中で抜け出してしょっちゅう新宿や渋谷に遊びに行っていたあの頃が懐かしい。当時は今と違い、歩きたばこがOKな頃で新宿や渋谷の街を歩いているとそこら中に歩きたばこをしている人がいて少し危ない時があった。ホストのキャッチなんかもそこら中にいて若い女性は声をかけられまくっていた。

新宿の街ほど自分の肌感覚にぴったりとフィットする場所はなくてそれこそ何か考え事をしたい時なんかは意味もなくブラブラと歩いたりした。あんな(一見すると)無駄で無目的な時間の使い方ができたのは大学時代ならではだなあとしんみり思う。

話は変わって先日phaさんの『人生にゆとりを生み出す知の整理術』を読んだ。

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

phaさんの本はどれも面白いけどこの本もなかなか良かった。要約すると勉強のスキルを身につけると人生が色々な意味で豊かになるよということを説いた本でそのためのノウハウが詰まっている。

さすが京都大学出身のphaさんだけあって頭が良い。いかに人生の無駄をなくし効率的に楽に生きるかが説かれている。私も無駄なことは嫌いだから効率的な生き方を目指すphaさんの生き方に共感が持てる。

効率的な生き方というのはあくまでも時間を切り詰めてアクセク働いたり勉強したりしろという意味ではない。ぼーーっとすることも含めて自分の時間を思う存分有意義に使うことが重要であるということだ。人間はロボットではないので何も考えずにぼーっとしたり、思う存分寝まくったりすることも大切だ。

1回きりの貴重な人生を仕事や勉強に追われるのは実にもったいない。それこそ非効率な生き方だ。睡眠時間を削って働いたり、勉強したりするのはもってのほかである。どうせ死んでしまうのだから無駄な時間を楽しむ余裕が欲しい。

職場なんかに行くと『常に何かをしていないと落ち着かない症候群』の人がいる。いつもいつもアクセクと働いてそれが自分の人生を有意義なものにすると思い込んでいる人である。こうした人というのは一見すると仕事が好きなようでいて本当は何もしていない自分というのに耐えられず、自分を何かすることでごまかしたいからそうしているのである。

仕事中毒の人がもしも明日死ぬとわかったら今まで通り熱心に仕事を(死ぬまで)続けるか疑問である。どうせ死んでいく自分という虚しい存在である自分をごまかすために仕事を利用しているに過ぎない気がしてしょうがない。仕事とはかくに暇つぶしの要素が強いものである。

今日はキリンラガービールを飲んで気持ちよく酔っ払った。

時々苦めのラガービールを飲むと凄く美味しく感じるものだ。もちろんおつまみはさつまりこである。最近はほぼ毎日さつまりこを1個食べているのだ。

以前はじゃがりこだったけれど甘みのあるさつまりこの方が自分にはフィットする。

人生における自分の移り変わりを追ってみるとなかなか面白い。大学生の頃の自分と今の自分はだいぶ変わってしまった気がする。でも、核の部分はほとんど同じ。孤独を愛する自由な自分である。ということでそろそろ寝ましょう。

夢をあ~げ~る~♥🎵

宝くじて一発当てたくないから最近はずっと買っていない。特にこれと言ってほしいものもないし大金が手に入っても使い道に困ってしまう。

よく宝くじで数億円当てて派手に女遊びをして散財してしまいいつの間にかお金がなくなってしまったという男性がいるけど私にはその心配がない。

なぜなら私は金目当てで群がってくる女性にチヤホヤしてもらっても全然嬉しくないからである。キャバ嬢はじめそうしたプロの女性に持ち上げられても虚しいと私は思う。

多分お金が有り余っていても女遊びに走ることはないだろう。セックスもあまり好きではないし家や土地や不動産を所有することにも興味がない。車も安価なファミリーカーで充分だ。

旅には行きたいが今までにかなり色々と行って大体わかったからそこまででもない。そうすると特に大金など必要ないという結論に至る。

昨夜は気分転換に近くの安いビジネスホテルに泊まってみたのだがほとんどリフレッシュにならず逆に家の布団て寝たいなあと思ったほどだ。以前はビジネスホテルに泊まることが新鮮でリフレッシュになったのに。

もうあとはあの世に逝くくらいしかないのか。少し寂しくなる。

死にそうなのに生きている

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なんだか毎日毎日生きているのがしんどいなあ。ただでさえ生きているのが大変なのに冬になって寒くなると余計に身に染みてきつくなってくる。冬になって日照時間が短くなって冬季うつを発症するのと先天的な寒さ恐怖症が重なって冬の毎日は苦行そのものである。今すぐにでも常夏の国に行って海で泳ぎたいのに。

ということで、今日は橋田寿賀子さんの話題の本『安楽死で死なせて下さい』を買って読んでみた。

橋田寿賀子さんというと『おしん』や『渡る世間は鬼ばかり』で有名な脚本家なのだけれど今まで『おしん』も『渡る世間は鬼ばかり』もほとんどまったく見たことがなく、橋田さん自体にも全然興味がなかった。だから、あくまでもタイトルにつられて買っただけである。

しかし、内容的にはとてもとても共感ができた。著書の中で橋田さんが言っていることはほとんど全面的に賛成できる。
著書の書き出しで橋田さんは『安楽死ができる薬があるのなら今すぐにでも飲みたい』と言っているのだが、まずその時点で共感できる。

橋田さんは1925年生まれの92歳であり数々の仕事をこなしてやりたいことはほぼだいたいやり尽してきたということなのだが、私は別に橋田さんのように人生を全うした人でなくても20歳で成人したのなら自分で自分の人生を終わらせることができる権利を国が保障してくれる制度があっても良いと思っている。アフリカの貧しい国なら20歳まで無事に生きられたのならそれだけで十分に立派なことであり、人生の勝ち組である。

ただし、こうした制度は望んでいる人こそ多いが現実的に整備されることは今の日本ではまず考えにくいだろうということもよくわかる。日本は医療先進国であり世界的に見ても長寿大国である。まあ、それは確かにこの日本を形成しているマジョリティーの人達からすれば誇るべきことなのだろう。

しかし、私は長生きに興味が沸かないし、できるだけ長く生きたくないと思っている。というか一刻も早く安楽に死にたいと思っている。今の日本は医療や福祉が整っているから少しでも長く生きたいという多くの人達からしたら先進国なのだと思うが、一刻も早く楽に死にたいと思っていたり、人生や生きていることに興味がなかったり、人生は短命であるほうが素晴らしいと考える人達からしたら制度面からし後進国である・・・ようなことを勝手に思っている。

なぜなら私のような健康で特にこれといった問題のない(ように思われる)人達が他人にかける迷惑を最小限にしてあの世に逝く方法は自殺しかないからである。痛く苦しい思いをしてまで自殺するくらいなら安楽死できる薬を合法的に手に入れて楽に逝った方がいいに決まっているのである。逆にそうした薬を手に入れることができたなら安心感も芽生えてもっともっと頑張って生きてやろうと思うかもしれない。

橋田さんは安楽死の合法化を願っているのだが、そのための条件は比較的厳しいものを想定しているようである。スイスやオランダやアメリカの一部の州のように安楽死が合法化している地域でも同様で健康で特に問題がなく生きている人はまず安楽死ができないような仕組みになっている。簡単に言えば治る見込みのない不治の病に侵されてこのまま放置すれば苦痛に苛まれるというような条件があると医師に判断された人しか安楽死ができないのだ。

これだと私にとってはあまり意味がない。私が考える安楽死制度というものはもっともっとずっと先進的で急進的で革命的で大胆で豪快なものである。それは20歳になったら自分の人生の終わりを自分で決めることができるというもの。簡単に言えば20歳になったら自分の意思でお酒やたばこを買って飲んだり、吸ったりすることができるように安楽死の薬を処方してもらい飲むことができるというものである。

日本はわずか73年前まで戦争をしていたのだ。その当時は敵国のアメリカ兵を一人でも多く殺すことが善だったのであり、ナチスドイツの軍人であったならば一人でも多くのユダヤ人をとっ捕まえてガス室に送り込むことが素晴らしいことだったのである。20歳になったら自分の人生の終わりを自由に決めることができる権利の制度化はそれよりははるかにましでしょ?ということなのである。

まあ、そうは言っても私の思うように世界は動かないでしょう。そんなことはわかっています。だけど、死ぬことを自由に選ぶことができる権利がないのは不思議でなりません。別に人生に意味なんてないでしょうし、仕事をするのが嫌で働きたくなくて特に何もすることがなくて死にたい人なんてたくさんいるのですからそうした人達が苦しまずに死んだところで何か問題があるのでしょうか?

人間は遅かれ早かれいずれみーーんな死ぬのですから20歳になって成人したのなら思い立ったときに死ねば良いと思います。別に100歳まで長生きして人生を全うしてから、病気で苦しんでから死ぬ必要もないと思います。職場に行くのが嫌で、職場の人達と会うのが苦痛で安楽死したって何も問題がないじゃないですか?人間の悩みのほとんどすべては人間関係に起因するのですから人間関係が嫌であの世に逝くことが悪だとはとうてい思いません。

てなわけで、橋田寿賀子さんは『安楽死で死なせて下さい』で良い問題提起をしてくれたと私は思います。是非とも日本を本当の意味での先進国・・つまり自己決定ができる国にしてほしいなあと願うばかりです。もちろん、私はそのための行動を起こす気はまったくありません。それこそ長生きしてしまいそうですもの。

そうよ、try me!

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恋愛し、子供を産み家庭を持っている人が凄いと思う。世の中の多くの人がそうしているのだけれど私には人類が火星に到達するくらいの偉業に感じる。さすがにこれは言い過ぎかもしれないが、羽生名人や藤井4段くらいの快挙である。

私には体力がない。それに薄々気付き始めたのは中学生の頃、明らかにはっきりと気付かされたのは高校生の頃である。中学までは一応運動部であったが、高校から帰宅部に転落した。しかも、学校が終わり次第すぐに誰よりも早く帰宅してしまう本当の意味での帰宅部であった。

I want to go home as soon as quickly!!And I didn't study at all!!

家に帰ってから真面目に勉強に取り組んでいたり、バイトに行ったり、クラブ活動に行ったり、趣味に取り組んでいたりすれば帰宅部であっても十分に価値があると思うが私の場合ホントーに何もしなかった。いやできなかった。何かをする気力がどこからも湧いてこなかったのだ。頭が悪く成績も下のほうだったから勉強しなければいけないという切迫感だけは人並みにあったのだがついぞ高校を卒業するまでそれを行動に移すことができなかった。

つまり、何もしなかったのである。

私には体力がなかったのである。当時の私は体力がないから何もできないのだと思いたくなかったのだ。私にもプライドがある、やればできると思いたかった。しかし、私はやってもできなかった。その前にやることすらできなかった。これが、無気力かつ怠惰な私の原型である。

京都大学を卒業したエリートでかつニートだったphaさんも自分には体力がないから毎日仕事に行くことに耐えられなかったと言っている。しかし、phaさんは受験勉強をゲームのように楽しく取り組んだそうだ。その時点ですでに私とは全然違う。私には勉強という苦行をゲーム感覚で取り組むことなんて一生できやしない。勉強なんて苦痛でしかなかった。なぜなら私の頭は悪いからだ。何かを覚えようとしてもなかなか覚えらずイライラするからである。

ということで私は今から大河ドラマ「西郷どん」を見るのだ。ブログなんか書いている場合じゃない。

誰か私をtry me!ああ、自分の人生いったい何だったのだろう??虚しさしか感じない。でもこんな自分に産まれてきたからには死ぬまでこの自分の尻拭いをするしかない。どうせ誰も助けてくれやしない。

私も西郷どんのように叫んでみようか。人生の虚しさを叫んでみようか。ああそうだ、結婚したり、子供を作ったりしている人が凄いという話がしたかったのだ。西郷どんを見たいのにぃ!!!

私は仕事をして帰ってきたらもう何もできないのだ。you tube動画を見てリラックスして眠くなって寝るだけだ。さらに勉強したり、子育てしたり、結婚相手と談笑したりする余裕なんて全くないのだ。ヤバイ、西郷どんが始まった。おさらばだ!!!!

日常の尊さとどうでも良さ

寒くて何もできない。何もする気が起きない。仕事以外はひたすら部屋でストーブの前で暖まりじっとしていたり、ビールを飲んだりして過ごしている。

昨日ネットを徘徊していたらとても感動する記事を見つけた。今年の1月4日にユーイング肉腫という悪性腫瘍にて(27歳という若さで)亡くなられたオーストラリア人女性の言葉である。

人間は死を前にするとクリアに見えてくるものがあるのだと思う。

~以下引用~

26歳で自分の死を告知されて受け入れなければならなかった時は、なんだか奇妙な気持ちだったわ。ほとんどの人がそうであるように、死について考えたこともなかった。予期せぬことが起こるまでは、時間は普通に過ぎて行き、またやって来るものだと思っていたから。」

「私はシワや白髪ができた自分の年老いた姿をいつも想像していたわ。たくさんの子供たちに囲まれて、愛する人との生活を築き上げていくものだと信じていた。それが叶えられなかったことは、本当に残念で辛い。」

「今回、ここで私なりに人生についてのアドバイスをしたいと思うの。どう受け止めるかは本当にあなた次第。人生というのは脆く予測不可能だけど、貴重で毎日がギフトだと思う。私は今27歳。自分の人生が大好きだし幸せだし、死にたくなんかない。でも病のせいで、もう人生のコントロールが効かないところまできてしまった。」

「今、自分の死と直面していて、私なりにみんなに言えることは『些細でつまらないストレスに悩まされ続けないで』『自分の人生をどうか充実させた素敵なものにして』ということ。」

「この数か月間、私には人生について考えさせられる時間がたくさんあった。みんな誰でもいろんな悩みを抱えて生きているわ。今日、あなたは酷い交通渋滞に巻き込まれたかもしれない。愛しい子供たちに起こされて睡眠不足かもしれない。ヘアカットが短すぎたり、ネイルが欠けてしまったかもしれない。お尻のセルライトやお腹の肉がたるんでいることが気になっているかもしれない。でもそんな些細なことは、あなたが死に直面しなければならなくなった時、きっとどうでもよくなるもの。今まで悩んでいたことは、実に意味のないちっぽけなことに気付くわ。仕事やエクササイズが大変とかいう人もいるけど、体が自由に動くことって素晴らしいことよ。だからたとえ理想的な体型でなくても、健康でいられることを感謝してほしいの。」

「新しい服や宝石などにお金をつぎ込むのはやめて。あなたがどんな服を着ていようが誰もそんなに気にしていないから…。物を買って心が満たされることはないと思うの。たくさんの経験をすることがあなたの財産になるの。今、私が思うのは、もっと家族と一緒に誕生日やクリスマスを過ごしたかった、愛するパートナーや愛犬と一日でも長く過ごしたかったということ。でもそれは叶わないから、みんなにはどうか一日一日を大切に生きてほしい。私は病気になってから、お返しができないほど多くの励ましやサポートをいろんな人から貰ったの。自分を思ってくれる友人と過ごす時間が、どれほど大切かということも知ったわ。だからあなたも友人との時間を大切にして。スマホの画面を見続けて過ごすより、心の底から幸せだと思えることを見つけてほしい。旅が好きなら日帰りでも出かけてビーチの砂の感触や、海水の冷たさを楽しんで。見上げれば青い空があり、周りには緑がみずみずしい木々があるわ。自然に触れ合える一瞬一瞬を楽しんで。犬を可愛がっている人は抱きしめてあげて。私にはもうそうすることができないのが悲しい。働くために一生があるのではないわ。働くことは生きるためにする。とにかくあなたが心から幸せだと感じられるように生きてほしい。愛する人に『大好きよ』といつも言ってあげて。他人の充実した人生を羨ましがらず、プレッシャーを感じたりしないで。平凡でもあなたが幸せならそれでいいじゃない。」

「それから、仕事や人間関係で悲しいことがあっても、あなたにはその悲しさを変える力を持っていることをどうか忘れないで。勇気をもって変化をもたらすの。あとどれぐらいあなたの人生が残されているのかは誰にもわからない。だから悲しみ続けて人生を無駄にしないで。」

自己暗示にKO負け。

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少し前、とあるyou tube動画で刺激を受け、自分にポジティブな自己暗示をかけてみようと頑張ってみたが続かずにネガティブな自分に逆戻りしてしまい、今に至る。自分を変えるって凄く難しい。確かに人間は自己暗示によって生きている部分はあると思う。人生で成功している人、一流な人というのは皆メンタルコントロールが上手だが精神を安定させるために意識的に自己暗示をかけている人も多いと思う。

そうした自己暗示を続けていけば身体は変わってくるのだろう。凡人であってもネガティブな自己暗示を毎日かけ続けている人と、ポジティブな自己暗示をかけ続けている人では中長期的に大きな差として現れてくるのだろうと思う。私はネガティブな思い込みが激しい人間である。実際に馬鹿でダメな人間だから真面目に自分を真正面から捉えるとネガティブな言葉を自分にぶつけることにならざるを得ない。しかし、もともとダメな人間がさらにネガティブな暗示をかけて自分を卑下するとますます魅力のない暗い人間になってしまう。

こうした自分を変えたいと思ったからこそポジティブな自己暗示をかけるように練習してみたのだ。しかし、長くは続かなかった。まず、自己暗示という作業は意外と疲れる。ネガティブな気持ちが湧いてきたときにそれをポジティブなものに置き換えるということをやってみたのだが、あまりにも絶え間なくネガティブな感情が湧きすぎてきてしまって収集がつかなくなり、結局耐えられなくなった。

どうせネガティブな人間ならもうとことんそれを味わい尽くしていくしかないのかもしれない。人生とはまるで自分という刑務所に入れられた囚人みたいなものだ。誰かこの檻から出してほしいのだが誰も出してくれない。そもそも誰に助けを求めても無駄なのだ。それぞれがそれぞれの檻に入れられて『だしてくれーー』と叫んでいるのだから。

人生に対してこうした発想を自然にしてしまうという時点でとてもネガティブなことは間違いない。しかし、明るく前向きに物事を考えようともがくほど自分という生き物の愚かさと虚しさに突き当り現実に押し返されてしまう。それでも何かしら世間の役に立っていると信じたい自分がいる。世の中にはダメな人というものが必要なのだ。ダメな人がいるからこそ凄い人、尊敬できる人が際立つ。ダメな人がいるからこそ安心して生きられる人がいることも確かだ。他人から下に見てもらうことで心の安定を与えていると思えば少しは役に立っているのかもしれない。

自分もさらに下の人を見て「あの人よりはましだ」と安心して元気をもらうこともある。自分はポジティブよりもネガティブのほうが似合うらしい。どうせなら、「こんなネガティブでどうしようもない変なブログを書く人がいるけどああはなりたくないなあ」と人を勇気付けたい。私にはそのくらいしかできなさそうだ。

大学時代に身体障害を持って生まれた方の施設でボランティアをしたことがあってその時に感じたのは「自分はまだまだずっと恵まれているなあ」という実感であった。自分のことを何一つできない方も世の中にはたくさんいるのである。その点、頭も性格も悪く特技も何もない自分でもなんとか普通に生活できるだけでありがたいと思わなければいけないと思ったのである。言い方は悪いが自分よりも下の人を見て心を安定させるという卑怯な手である。こうしたことは大なり小なり多くの人も経験があることだろう。

ブログの読者さんも私のダメっぷりを見て元気になってほしいと思う。私はいろいろな意味でダメだけどなんとかこうして生きている。いつまで続くかわからないけどこの自分という檻から解放される日が来るまでネガティブな心を持ったまま暗い気持ちで頑張るだけである。時々ポジティブな自己暗示をかけてごまかしたいとも思っているが。

飲み会

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皆さんは職場の忘年会や新年会に行く派だろうか?それとも行かない派だろうか?

私はこう見えてしっかり行く派である。これまで職場の忘年会や新年会はほぼ毎回顔を出してきた。確かに職場の飲み会というのはプライベートで気の合う仲間達と飲むのと違い、気を遣うことは間違いない。しかし、それは当たり前のことだ。それよりも職場の飲み会というものは大事にした方がいいと私は思う。

私の父親の口癖は

『職場の飲み会は絶対に行けよ!!飲み会では絶対に飲めよ!』

であった。20代のころはこの意味がよくわからなかった。職場の飲み会は時々参加する程度であったし、あまり酒を飲まず、ソフトドリンクで済ますことが多い方だった。しかし、最近はほぼ毎回参加し、必ず飲むようにしている。

職場の飲み会を忌避する人も多いし、その理由も十分過ぎるくらいよくわかるのだが私はそうした思いをはねのけて参加してできるだけ飲んでいる。そうすることで色々なことに気づくことができる。職場の人の飲み会での人間観察をするのも面白いし仕事では見られない同僚の良さなどに気付くこともできて非常に面白い。

何よりも飲んだ自分を周囲にさらけ出すということが重要なのだ。飲んで酔っている姿をさらけだすことで他人との距離が縮まる。それにより相手との距離が少しだけ縮むのだ。この効用は大きい。どうせ職場もつまらないし人間関係も面白くないのだ。飲んでそれらをごまかしてしまおう。

よく日本人が海外などに行って飲み会などに誘われたときに現地の人に受け入れられるためには自分が現地の物を食べ、酒を飲むことがすごく大事だと言われている。同じ体験を共有することの意味は大きい。人間は自分に同調してくれる人が好きなのだ。周りの人が飲んでいたら自分も飲んで盛り上がったほうがいい。それにより一体感を得ることが大事だ。

もちろん、酒を1滴も受け付けない体質の人は無理して飲む必要などない。しかし、少しでも飲めるのなら無理してでも飲んだほうがいい。私は飲み会の時はできるだけ近くのホテルをとって泊まるようにしている。代行を頼んだり、タクシーで帰ったりするとかなりお金がかかるからだ。安いホテルなら廉価で泊まることができるし気分転換にもなる。飲み会で酔っ払ってそのまま近くのホテルに直行して暖かいベッドで眠るのはなかなか気持ちの良いものだ。

人間とは意外と侮れない生き物だと思う。職場の人間がいくら嫌いであっても苦手であっても飲み会という場に行くとなかなか面白い姿を見せたりもする。自分もしかりで自分が普段見せない姿を周囲に見せることの効用も大きい。これから新年会がある人はできるだけ参加して行こう。私は飲み会が好きである。プライベートも職場も両方好きだ。ビールが大好きだし、酔っ払うのも楽しい。ただしはめを外し過ぎない様に注意しよう。

てなわけで寒いけれど頑張ろう。もう少しで私は海外に行く。そして、海外の海で泳ぎながら海に流されてあの世に連れていかれるつもりである。とっても楽しみだ。(爆笑)