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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

我慢と忍耐の毎日

なんだかまともにブログを書こうという気が全然起こらなくてやる気のでないここ最近の日々であった。結局のところ人生とは我慢と忍耐の毎日なんだなあと思う。

この前職場の同僚と3人で焼き肉に行ったのだが一人が煙草を吸うので喫煙席にした。何人かで食事や飲み会に行った時に喫煙者が一人でもいると非常に厄介である。私は煙草は吸わないし、周りも吸わない人が多いからできるだけ禁煙席で快適に過ごしたいのだが喫煙者がいるとどうしても喫煙席になってしまう。そうすると自然に飯が不味くなるのだ。できれば食事や飲み会の時くらい煙草を吸うのを我慢してほしいのだが喫煙者というのはそうした時こそ煙草を吸ってリラックスしたい生き物らしく煙草をふかしまくるのだ。喫煙者にとっては快適なのだろうが、嫌煙者にとってはウザいこと限りなしである。

昨日はなかなか面白い本を買って読んでみた。

宝くじで1億円当たった人の末路

宝くじで1億円当たった人の末路

第一章 やらかした人の末路
第二章 孤独な人の末路
第三章 逃げた人の末路
第四章 変わった人の末路
第五章 怠惰な人の末路
第六章 時代遅れな企業の末路
第七章 仕事人間の末路

なんだかタイトルと大見出しだけ見ると不安を煽るような内容のようだが実際には人生に失敗したり、道を外れた人を励ます内容となっていてとても好感が持てる。読みやすくてお勧めである。

ということで、もうこのくらいの文章を書くとすぐに嫌になって書くのをやめてしまいたくなってきた。ヤバイ。寝よう。

休日の効用

休日だからと言ってコレ!を飲む決まりはない。しかし、つい飲んでしまう。f:id:ericrun:20170427071002j:plain

休日の効用は職場に行かないことただそれだけにある。休日だからと言って趣味を楽しむ必要はないし、遊びに出る必要はないし、家で無理矢理ゴロゴロする必要はない。

ただ職場に行かなくても良いことのありがたさを噛みしめるのだ。それ以外は特に何をしても大差ないことだろう。リラックスする時間を少しでもみつけることができたならもう休日としての役目は果たしているのだ。

コレだよ!コレ!

やっぱり仕事の後はコレでしょ。
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生ビール!しかもプレモル!!至福の時間。

ランチはプレモル片手にスンドゥブチゲ定食。激ウマ!
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歌舞伎町をプラプラ歩いていたらあの方の写真が片隅に!
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ビッグダディがホストやってるって本当らしい。

今村復興相の「震災、東北で良かった」発言があったけど、この人の頭の中には日本という国全体を守ることがまず第一でそこで暮らす一人一人の個人にはあまり関心がないのでしょうね。

私からすると国という全体なんかよりもそれぞれの多様な個人の方がずっと面白いと思ってますけど。そもそも日本という「国」の概念は人間が各自の頭の中で作り上げた抽象的な概念であり、私が死ねばその時に消える運命です。

そういう意味で非常に短命で危ういものだと思うんですが、この「国」という概念を保守することが今村大臣のようなナショナリストにとってみればものすごく大事なんでしょう。

そうした個々人の思考の違いも興味深いところですけどね。今村さんなんかは「我死すとも国滅びず」と思うでしょうが私からいわしてみれば「我と共に国滅ぶ」です。私の死により私の頭の中にある国の概念がなくなればもうそれはどこにもないのと一緒ですから。死後も魂が生き続けるとなれば話は変わってきますが。

とにかく日本という国の概念をみんなが全く同じように持っているわけではない。だからあまり国にすがっても仕方ないと思うけど。

コミュニケーション能力

私は大学3年生の終わりごろから就職活動を始めたわけだが、就活セミナーなんかに行っても就活に関する本などを読んでみても企業の就職説明会に行ってみても盛んに「コミュニケーション能力」の重要性が説かれていた。当時の私には仕事というものがよくわかっていなくて「コミュニケーション能力」と言われてもはっきり言ってよくわからずただ採用面接のときなどに志望動機や大学生活で得たことなどをしっかりと自分の言葉で話せれば良いのだと漠然に思っていた。

しかし、社会に出て10数年も経ち今になってつくづく「コミュニケーション能力」とは何かがよくわかり、その必要性を痛感している。私はコミュニケーション能力が非常に低い。その上、社会に出てからもあまりコミュニケーション能力を磨いてこなかった。だから今になってそのツケが回ってきて苦労しているのである。私が大学時代に考えていたコミュニケーション能力と社会に出てしばらく経ってから徐々にわかってきたコミュニケーション能力とは全くの別物である。

確かに社会に出て自分の意見を理路整然と述べることができる力も重要である。しかし、それ以上に他者の話をよく聞いて理解し、共感することや他者に不快感を与えないように上手に会話をすることこそ最も重要でありそれが就職活動時にしきりに言われていたコミュニケーション能力の正体であった。確かにコミュニケーション能力が低くても仕事ができるにはできるがかなり苦しい職業生活を送ることになる。引きこもりやニートの多くにはコミュ障があり、職場での人間関係がうまくいかなくて孤立し、結局居場所がなくなって辞めてしまうと言われている。

社会に出て働くこととはいったい何なのか?それは結局得体の知らない見知らぬ他者と表面的にそれなりにうまく関わりながら協力して仕事を遂行していくことである。私はこれが苦手だからこそ今になって苦労している。自分の努力が足りなかった部分もあるし生まれつきの能力もあるだろう。とにかくコミュ力が高ければ高いほど社会生活は楽になり、低ければ低いほど苦しくなる。学生時代にもっとやっておけば良かったと思うのは飲み会を始めとした仲間との関わりである。ここに投資を惜しんで勉強ばかりしていた学生は社会に出てから思わぬ苦労を強いられるであろう。私の場合、勉強もおろそかにしていたのでどちらもダメだったのだけど、まあそれも今となっては良い思い出である。

ということで、コミュ力は大事ですよという話でした。

あなたのためにできることをなんでも

イギリスのテリーザ・メイ首相の就任演説がとても良くてついつい何度も見てしまう。


メイ新英首相「あなたのためにできることを何でも」 所信表明

この演説を聞いてメイ首相がとても好きになった。まず表情からしてとても真面目だし、話の内容に芯があって筋が通っていて頭が良さそうで理知的で美しく好感が持ててしまう。メイ首相は保守党党首なのだが演説の内容からしてリベラルな保守である。前首相の保守党デヴィッド・キャメロン首相も大変素晴らしかったし、イギリスの保守党はリベラルな保守を守っていて素晴らしい。

「あなたのためにできることはなんでもします」って言えるなんて大変素晴らしいことじゃないだろうか?1人の政治家であり首相である人がそう簡単に言える言葉ではないと思う。日本の現与党の政治家はまず「あなたのためにできることはなんでも・・」なんて言わないだろう。「我々は国民のために精一杯頑張りますので、是非あなたがた国民も国家の発展の為に精一杯頑張ってください」みたいなことを言いそうである。

国民の義務は国家貢献だと言わんばかりなのだ。戦前や戦時中はこうした思想を国民に押し付けて太平洋戦争に突入しぼろ負けしたわけだけど、政治家の中には懲りない人達がたくさんいるものだ。私はもちろん個人の自由な思想や発想は認めます。ただし、それを他人に強制することは認めません。特に国家権力が国民に犠牲を強制したり命じたりすることを許しません。それは筋違いだからです。そもそも国家というものは国民の生活が豊かになるために、幸福になるために作られた道具のようなものなのです。もちろんこの考えは私自身の考え方でもありそれを考えの違う人達に強制する気はありません。何をどう考えても自由であります。だからこそ国民は国家の為に犠牲になるべきだという考え方の人はまずもって自分が犠牲になれば良いわけです。そこに他人を巻き込もうとする理由は何もない。それこそ傲慢で我儘な考え方であり、非国民的な考え方だと私は思います。

ということでイギリスのテリーザ・メイ首相を私は応援します。是非ともアメリカのトランプ大統領やフィリピンのドゥテルテやシリアのアサドやトルコのエルドアンのように道を踏み外さないで国民の為に頑張ってほしいと切に願っております。そうすれば必ず国民からも支持が得られることでしょう。

カンボジア行きてー

久しぶりに超がつくほどカンボジアに行きたくなってきた。最後にカンボジアを訪れたのはもう6年以上前。最初にカンボジアを訪れたのは約10年前。最初のカンボジア体験は今でも忘れられない。学生時代の一人旅で青森県三内丸山遺跡を訪れたけど所詮あれは遺跡である。しかし、カンボジアではいまだに三内丸山遺跡に残されているような高床式住居だとか遺跡のような家で普通に人が生活している。時代をタイムスリップした感覚を味わえるのがカンボジアなのだ。最近は首都のプノンペンなんかはだいぶ都市化してきたようだけど田舎に行けばまだまだ原始的な生活が残されていることだろう。日本に住んでいるといかにも日本が世界の中心であり、世界の人々も似たような生活をしていると錯覚しがちだけどとんでもない間違いである。日本は所詮日本でしかない。一歩外に出ればまるで違う世界が展開されている。

日本の常識を世界の常識だと信じ込むのは愚かである。確かに日本は先進国であるが世界的に見ると結構地味な国である。アメリカやイギリスやスペインやドイツやフランスほどの派手な国ではないのだ。日本人は日本が優れていて他の国は劣っていてさらに日本が色々な意味で一番良いと思っていて確かにだいたい当たっているなあとは思うけどそれは他の国の人もだいたい同じように思っていたりするのだ。人間の思い込みというのは自分が想像しているよりはるかにずっと深い。日本を一歩外に出ると日本語なんてまず通じないし、日本のテレビ番組なんてほとんど放送されていない。確かに日本車や日本製の電化製品なんかはよく見かけるけど当然ながら他国の自動車や電化製品も同じようにたくさんあるわけでその中の一つであるというだけだ。

逆にアジアやヨーロッパなどを旅してみると日本人サッカー選手の方がはるかにブランド力を持っていたりする。中田英寿長友佑都香川真司本田圭佑などは物凄く有名だ。意外と日本のブランドは個人だったりする。かつてカンボジアを旅した時に中田英寿が旅で来ていて生で見たよと笑顔で話していた現地人と会った。海外の人から見て日本とは何なのだろうか?トヨタや日産やホンダやソニーや味の素などの有名なメーカーがある先進国で人は真面目で寡黙でおとなしくて礼儀正しく英語が苦手で何を考えているのかよくわからない人達というイメージがあるのかもしれない。

逆に日本人から見た世界の国々や人々はどういうイメージなんだろう?そうやって考えてみると面白いなあと思う。結局どんなに生きてもよくわからないまま死んでいくのだろうなあと思っている。


カンボジア、家の修復 Part2 Cambodia house renovation 2

焼き肉終了

職場の同僚との焼き肉無事終了。お互い口が堅いもの同士なので安心してしゃべれるのは救いだ。内容は死ぬほどくだらない馬鹿な話ばかりだけど、時々なんらかの形でストレス発散することは大事だと思っている。自分1人の中で抱え込んでいるだけだとストレスが溜まる。みんなそれぞれ色々と抱えているんだと再確認するだけでも違う。

話の内容なんてどんなことでもいいのだ。とにかく話をすることが大事。人間ってなんだか凄い存在のように錯覚しがちだけどそこら辺の川に泳いでいる魚達と本質的になんら変わりはないと私は考えている。泳ぐ速さやエサを取る能力に個体差はあってもみな似たり寄ったりの存在なんだと思う。

腹いっぱいで気持ち悪いわ・・もうしばらく焼き肉は行きたくない。