人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

おしくらまんじゅう押されて泣くな!

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今の状態がずっと続くと感じてしまうのはなぜだろう?私は今までそうした錯覚に惑わされてきた。いや、私だけではないだろう?多くの人がこの状態がずっと続くと勘違いしながら裏切られてきたのではないか?

幼稚園の時は幼稚園で砂遊びがずっとできるものだと思っていたし、小学校の時は椅子取りゲームやおしくらまんじゅうやドッジボールがずっとできるものだと思っていたし、中学校の時は部活がずっと続くものだと思ってたし、高校生の時は友達と楽しんだ青春時代が大学生の時は長い夏休みがずっと続くものだと勘違いしていた。しかし、時は全てを洗い流してしまった。社会に出て働くようになると時間はあっという間に過ぎ去り、いつの間にか年を重ねて残されたのは老けて年老いて疲れやすくなった身体だけであった。

今の状態にとどまりながらもいつの間にか時から押し出されて漂流している自分がいる。おしくらまんじゅうのようにいつの間にか押し出されて1人になり、孤独に泣きそうになっている私がいる。今の状態がずっと続くというのは完全なる錯覚だ。浦島太郎のおとぎ話は空想の産物でもなんでもなく、人生で皆が大なり小なり経験する現実的なものだと思う。

いつの間にかこうなってしまう・・というのが恐ろしい。私はいつの間にかこうなってしまったのだ。何のとりえもない愚かな中年の独身男性に!!!それは私が望んだものなのだろうか??いや違う気がする!!でも仕方なかったのだ。結婚したくもなく、子供も欲しくないし、一人が大好きなのだからこうなるしかないのだ。そして、この状態も長くは続かないだろう。時が流れ皆必ず年老いて死ぬ時がくる。

今にしがみついても無駄だ。変化以外に確かなものはない。万物は流転するのだ。

やまとなでしこ

最近、you tubeでドラマ『やまとなでしこ』を見ている。『やまとなでしこ』と言えば今から約17年前の2000年10月~12月にかけて放送された堤真一(中原欧介役)と松嶋菜々子(神野桜子役)が主演の月9ドラマである。

私は基本的にドラマというものをほとんどまともに見ない人間である。とりわけ日本のドラマや映画はほぼ全く見ないのだが、この『やまとなでしこ』だけは大好きで大学生の頃に毎回欠かさず生で見ていた。当時はまだ大学1年生で恋愛したくてたまらない青春真っ只中というのもあったのだろう。

周りの大学の友達にも『やまとなでしこ』を見ている人が結構いて、「やっぱり松嶋菜々子は可愛いね~」とか「矢田亜希子(塩田若葉役)最高だよね~」というようなことを語り合った記憶がある。あの当時の松嶋菜々子は本当に可愛かったと思う。当時松嶋は27歳で女性として最も脂がのって美しい年齢、役柄にぴったりとはまり光り輝いていた。そして、矢田亜希子も21歳くらいと女性の美の絶頂期だった。堤真一も凄く男前で素晴らしい演技をしていた。堤は当時36歳で今の私と同じ年齢なのにあれだけのプロポーションと若々しさを保っていたことに驚いてしまう。男として色々な意味で凄く憧れる役者だ。


『やまとなでしこ』 OPV (MISIA - Everything)

このドラマのテーマソングであるMISIAの『Everything』も名曲だったと思う。曲がドラマにぴったりとはまっていて『Everything』を聞くと『やまとなでしこ』を思い出し『やまとなでしこ』を見ると『Everything』を歌いたくなるという凄まじい連想作用を持っている。Everythingは『やまとなでしこ』のお陰で売れたと言っても過言ではないだろう。それだけこのドラマの力は大きかった。

ドラマの内容的にもなかなか本質を突いている。端的に言えば「結婚は(幸せは)お金ではないよ。他にもっと大切なもの(愛と呼ぶべきか心と呼ぶべきか・・)があるんだよ」ということをわからせてくれる内容となっている。私はこのドラマの中原欧介(堤真一)に心を打たれる。あの真っすぐな誠実さに感銘を受ける。借金持ちの貧乏な魚屋の店主として一生懸命働きフライトアテンダントの神野桜子(松嶋菜々子)に恋をするが「貧乏な人」だとして馬鹿にされ見下されなかなか相手にしてもらえない。しかし、欧介の誠実さに桜子は心を打たれていき、最後は大逆転のゴールインをぶちかますところが実に爽快で大好きだ。

堤の演技は本当に素晴らしく欧介の役柄を完璧に演じ切っている。男としてこうありたいなあと心の底から思ったものだ。欧介は真に男らしいと思う。一途な男は素晴らしいというのは誰もが感じるが、このドラマの欧介の誠実さには作り物なのに頭が下がってしまうのだ。あれだけ桜子から馬鹿にされこけにされても常に1人の人間として尊敬をもって誠実に懸命に対応している。そして、桜子以外の女性や仲間にもいつも優しく笑顔で明るく前向きだ。あらゆる意味で駄目な私からすると
『ケッ、こんな男がいてたまるもんかい!何言ってケツカル!!』と半グレ状態になりそうだ。何言ってケツカルとか古いネタだけど本当にそう思いたくなるほど欧介はいつも誠実だ。そして、その誠実さが見ている人の心を打つのである。あんなイケメンで男前の堤真一に真っすぐ誠実に思いを伝えられて断る女なんかいるもんですか?と腐ってしまいそうだ。

そうそう、男って腐ったら駄目だよね。女に振られようが何されようがいつも腐らずに誠実で前向きな態度で生きていればいいことありそうな気がする。そう感じさせてくれるドラマが『やまとなでしこ』だ。このドラマは女性よりも男性に見てほしいなと私は思う。男の良きありかたみたいなものを感じられるからだ。また、女性側の視点から見ると私と感想は違うのだろうけれど。

ちなみに、『やまとなでしこ(ドラマ)』は見ても「やまとなめしこ(AV)」は見ちゃだめよ。やまとなでしことやまとなめしこは似て非なるものですからね。一文字違うだけで極端に内容が異なりますからね。やまとなめしこ(AV)はやまとなでしこ(ドラマ)の大ヒットを受けて2001年4月1日に発売されたAVである。私は見たことがないけどなぜか知っているという。泣 まあ、良い子のみんなは見ないと思うけどもね、念のため。

See you !!

自分との出会い

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1週間ぶりの記事更新です。めっちゃお久しぶりです。この1週間めちゃくちゃつらかった。(涙)特に何か大きな事件や事故があったわけではないのですけれどもとにかく気分が滅入って仕方がなかったんです。簡単に言うと『うつ』に悩まされていました。まったくブログを書く気力も起きず気力が沸いてきませんでした。今日はようやく気分が少し晴れてきましたので少しずつまたブログを書く作業をしていきたいなあとは思っていますが。いやーー、マジで辛かったなあ。

世の中には様々な『出会い』というものがありますよね?人は出会いによって変わると言いますし、確かにそれはその通りだとも思います。しかし、私が思うに他人との『出会い』なんてとるに足らないもののように思えてなりません。この私・・つまり自分との出会いこそがこの世で最大の運命的かつ衝撃的な出会いではないでしょうか?人生には様々な喜びや楽しみや苦しみや憎しみなどがありますがすべてこの『自分』がいなければ何も存在しなかったことです。私が私としてこの世に産まれ、こうして生きるために何事かをし続けるという宿命を負っているからこそ発生することです。

私はこの『自分』という存在に散々悩み、苦しみ、翻弄されてきました。傍から見るととりたてて不幸ではないのかもしれません。家族仲は良く、極貧を経験したわけでもなく、大きな病気を持っているわけでもなく、寿命いくばくと宣告されているわけでもなく、時々海外を楽しく旅をし、一応社会人として普通に働けていることは確かです。しかし、そのすべてをもってしても私は私の人生が好きではありませんし、納得できませんし、(全般的に)楽しくありません。もちろん、楽しい瞬間はありますよ・・でも全般的に苦労のほうが多いのです。

どうせ、自分のことなんて他人にはわかってもらえないし、わかってもらったところでそれがどうなるの???どうせ今まで通り苦難を背負って生きていかなければいけないんだ・・という絶望感に叩きのめされます。本当に本当に自分との出会いとは衝撃的なものです。自分が産まれてきたからこそ様々な苦難を背負うことになってしまった。そして、それは死ぬまで続く。えいやっとごみを捨てるようにぽいっと投げ捨てられるものならどれほど素晴らしいことでしょうか???

私は人生において数々の他人を妬み、羨んできました。しかし、そのことが自分を救ったり、助けたり、楽にしたことはなかったように思います。どんなに優れた他人を羨んだところで他人になることはできず、自分はいつも自分のままであり、他人の優れた属性を手に入れることなどできないからです。
人は何かに悩んだときに「こんな悩みは宇宙から見たらちっぽけなことだ」と割り切り、解決しようとします。しかし、「ちっぽけな悩み」以外などあり得るのでしょうか?一見ちっぽけに見えるような悩みこそ実は自分の存在を脅かしうるとてつもない大きなものだと思います。人間はみな、ちっぽけなことに悩み苦しみ、最終的にはそれを解決できずに死んでいくのです。

他人の悩みが何でしょうか?結局は自分が今ここにこうして生きているというその事実がすべてです。この世に自分のちっぽけな悩みほど大きな悩みはないように思います。そして、それを解決するためには死んでリセットするくらいしか浮かばないのです。しかし、そう簡単に死ぬことができないという現実です。おそらく、世の中には私のように人知れず悩んでいる人が数多くいることでしょう。それは致し方のないことだろうと思います。『悩み』の根本的な解決など普通に考えて不可能だと思います。せめて、悩みを忘れるくらいのことしかできないでしょう。現実からできるだけ目をそむけることくらいしか悩みを忘れる術はありませんが、現実から目を背ければそむけるほど現実が牙をむいて襲い掛かってくるのも事実です。

ということでこの一週間ひたすら悩んでました。そして、それをどうすることもできなかった自分がいます。泥沼にはまるとこうなるんでしょうね。できれば明るく前向きに生きたいですね。そういう気持ちだけでも持っていたいと思います。

昭和的価値観の上司を粉砕

どこの職場にも一人、二人はいますよね?頭の悪い非合理的、非効率的、非生産的で昭和的価値観丸出しの上司が。

こうした時代錯誤の上司がなぜ、昇進したのか?それはひとえに勤続年数の長さに他なりません。仕事ができなくても勤続年数が長ければまぐれで昇進することがあるんですね。しかし、困るのは周囲です。

仕事ができない昭和的価値観丸出しの上司というのは「変な意味での」忠誠心を重視します。必要もないのにだらだらと職場に居残りしている社員こそやる気のある良い社員だと思いたがるんですね。それは、自分で自分を認めたいだけの自己愛です。昭和的価値観の上司というのは合理的で効率的で生産的な仕事が苦手で嫌いです。 なぜなら頭が悪くてそうしたことができないからです。

しかも、そうしたことを重々わかっていながらいまだに認めることができないんですね。それを認めてしまうことは自分自身と自分のしてきた仕事を否定することになってしまうからです。それはあまりにも辛すぎます。 周りもどうか自分と同じようにあってほしい。昭和の頃には当たり前だった評価軸を今に継承するべきだ、彼等はそう思っています。

言うまでもなくこうした頭の固い、頭の悪い、仕事のできない狭量な価値観を持った上司が職場にいるだけで周囲は振り回されます。合理的、効率的に仕事をこなしてサクサク帰ろうとすることを彼等が良く思わないからです。彼等は仕事の合理化に全く興味を示しませんからね。「贅沢は敵だ」とばかりに早く帰ろうとする奴等はやる気がない、忠誠心が足りないとばかりに非難したがります。

俺がこんなにも遅くまで働いているじゃないか!お前らもそれを見習えと言わんばかりです。しかし、なぜ部下の彼らがいつもテキパキと仕事をこなして早く帰ることができるのに、自分はいつまでも帰ることができないのかを彼等は考えたりしません。できる部下がいつも早く帰れるのは人一倍頭を使って無駄をなくして業務を効率的に処理しようと努力しているからです。

昭和的価値観の上司からしたらこれは脅威以外の何者でもありません。それこそ自分の存在価値が消滅してしまいます。だからこそ彼らは来る日も来る日も無駄に遅くまで残業し続けるのです。遅くまで残っていることて会社への忠誠心をアピールし続けるのです。彼らをそっとしておいてあげましょう。

めでたし、めでたし。

その感情はLIKEなのか、それともLOVEなのか?

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毎日、とても憂鬱です。やる気が出ません。映画ばかり見て暇つぶししてます。邦画は見れないのでひたすら洋画です。とにかく日常から離れたい。気分は発狂寸前です。

もう明日からでも旅に出たい。アフリカでも南米でも中東でもどこでも行きますよ。もちろんアメリカやヨーロッパや東南アジアでもどこでも。お金と暇をもらえればね。このままだと発狂して死にそうですからね。インドだって行きますよ。って言うかインド行きたい。ガンジス川行きたい。

さて、画面の前のそこのあなた!!その感情はLIKEですか?それともLOVEですか?これ大問題ですよ。LIKEとLOVEは全然違いますからね。LIKEは心地いいけどトキメキを感じないもの、LOVEはドキドキ、ワクワクするもの。この違いはでかいです。

うわーー。だるい。結婚相手に選ぶのはどっちがいいかって?それはもちろんLIKEな方ですよ。LOVEな相手を選ぶと失敗します。LOVEな感情よりもLIKEな感情の方が長続きしますからね。熱情よりも安定でしょ???そうでしょ???愛よりも金でしょ???そうでしょ???それですよ。そこですよ。

まあ、私は金も安定も大嫌いですけれどもね。日常なんて金と安定だけで成り立っているようなもんでしょ。だから嫌なんですよ。もっと今すぐ死ぬかもしれないみたいな感覚ほしいですよね。しかもそれを仕事としてではなく経験したい。それが旅ですよ。トゥモローネバーノウズです。

『心のまま僕は行くのさ、誰も知ることのない明日へ~♪』


Mr.Children - Tomorrow never knows

人と会うことに全然ワクワクしない

これってめちゃくちゃヤバいかも?でもこれが現実。ここ最近誰かと会うのが楽しみだとか、誰かと会って楽しい時間を過ごしたとか、誰かと会うのがワクワクするってことが全くない。

海外に一人旅に出掛ける時なんてめちゃくちゃワクワクするのに。結局俺は人があまり好きじゃないんだよなあ。これってツラいわ。

二十歳の頃なんて可愛い子をデートに誘って待ち合わせ場所で待っている間とか、めちゃくちゃワクワクしてたのにね。

いつの間にかそういうことがなくなってしまった。って言うか一言だけ言わせてください。俺は今すぐ全てのしがらみから解放されて旅にでたい。そしてそのまま南国で暮らして死にたい。

うぎゃあー、超最高。夢みたい。まあ、そうはならないよね。あーヤダヤダ。ジタバタしたい気分だわ。

男の人生なんてもんはよ~

男の人生なんてもんはよ~。使い捨てみたいなものなんだよ~。

って思う今日この頃です。(ため息)

社会人ってつまらないですね。私は巷に溢れている『意識を変えて仕事を楽しくしようぜ・・』的な本があまり好きではありません。

楽しくないものを楽しいと思い込むのはどうにも無理がある気がします。つまらないものはつまらないで別にいいじゃないですか。つまらないものを無理やり楽しいと思い込む必要もないじゃないですか。嫌いな人を無理やり好きになる必要もないじゃないですか。嫌いなままでいいじゃないですか。

私はそう思っています。男の人生なんてはっきり言って海の上をぷかぷか漂っているゴミみたいなもんだと思います。そして、それでいいんです。この世で必要なものっていったい何でしょうか?実は何もない。どんなに目を凝らしてみても何もない。全ては必要がない気がしてきます。幸か不幸か数十年前にこの世に連れてこられ生きることになってしまった。それによって、あれもこれも必用と思い込まされてしまった。

しかし、よくよく考えてみると特に必要なものなど何もなさそうだということに気が付いた。明日、自分が目を覚まさなかったとしても何の問題が起こるというのでしょうか?全てははかない錯覚のような気がしてきます。これは、マイナス思考なのでしょうか?究極のプラス思考である気すらしてきます。インドのサドゥー(修行僧)のようにそれこそ身一つで何も持たずにふらふらと彷徨い歩く人生に憧れます。言い換えるとただの乞食なのですが、彼らほど人生の苦と楽を同時に肌で感じることができる存在もなかなかないのではないでしょうか?男の人生なんて所詮大なり小なりあんなものですよ。


トランス状態で剣を振り回す危ないサドゥー