人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

村上さんのところ

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村上春樹の『村上さんのところ』を読む。

この本は作家の村上春樹さんが期間限定(17日間)で受け付けた3万7456通のメールをすべて読みその中から3716通を選んで返事を書き、その中から選ばれた473通のやりとりが記録されたものである。600ページにもわたる分厚い単行本である。

村上さんのところ (新潮文庫)

村上さんのところ (新潮文庫)

結論から言うとこの本はとても面白かった。どの質問にも村上春樹がしっかりと向き合い、じっくり考えて丁寧に優しく親切に回答しているのが伝わってきてとてもほのぼのする。村上春樹の人格がよく表れた著作である。中でも私の気を引いたのは以下のやりとりである。

~本文P267~

そうですね。たとえ、彼女がいても妻がいても、男というのはいつも基本的に「女のいない男たち」なんだという気がします。自分がどこに繋がっているのか、誰に繋がっているのか、しばしば確信が持てなくなります。それは(あくまでも)僕の感触によればですが)女性が一般的に男女関係に対して感じている感じ方とは、少し違っているのかもしれません。いつ自分が夜の海に一人で放り出されるかもしれないという、孤独の予感のようなものを男はいつも抱いています。というか、そんな風に僕は感じてしまいます。それは、あなたが感じていることとだいたい同じでしょうか?

~引用終了~

うーーん、素晴らしい。まさにその通り。さすが村上春樹だと思いましたね。男の心の中にある言葉にしにくいモヤモヤをうまく言葉にしてくれたという感じです。そうなんだよね~。ホンット男ってどんな状況においても孤独な生き物だと思います。発狂しそうになるほどの孤独感です。

しかし、そうした孤独をしっかりと引き受け、誰かに頼ってごまかさずに耐えることができている男はやはり、厚みがあるんですよね。なんとなく薄っぺらい男と言葉に重みのある男といますが、前者は孤独の重みに耐えきれずに逃げてきた場合が多い。話しているとなんとなくそうしたものが掴めてきます。

あーーー、本当になんで私はこうして生きているのでしょうか?私を死ぬまでやらなければいけないのでしょうか?つらすぎます。死にたくてたまりません。今日は寝るまで『村上さんのところ』を再読していきたいと思います。

飲み会と理性と

昨夜は前職場の仲良し4人で飲み会。他にもう1人いるのだが都合で来られず。なかなか5人の予定を完璧に合わせることができず、皆が揃うことが難しくなっている。

しかし、気が合う人達と酒を飲んで話すことがこんなにも楽で楽しいものなんだ!と再確認する。この仲間達との定期的な飲み会は孤独に押し潰されそうになっている私の心を救い、解放し、解毒してくれている。やはり、人間は孤独には耐えきれず、孤独をもて余す生き物なんだと思う。

昨夜の飲み会で語らいながら感じていたのはSNSの怖さである。SNSは確かに便利だが、使い方によっては底なし沼状態になる。SNSを通じた他人との交流に依存し過ぎて泥沼にはまっている人の話しを聞き、再度自分を戒めなければと感じる。

すべては理性と感情のバランスの問題である。私は大学生の頃から理性的にあろうとし過ぎたのだった。その結果、深い孤独に陥りもがき苦しみ続けてきた。もっと感情の力を頼り、感情に流されてしまっても良い場面が多かった。

理性の力を頼り過ぎると深い孤独に陥り、逆に感情の力に頼り過ぎると流されて自分を見失ってしまう。最近私はようやく自分の輪郭が外から見えてきたのかもしれない。私は理性的であり過ぎた。

それは感情の持つ荒波に流されてしまう自分が怖かったからだ。私はあまりにも怖れ過ぎていた。理性的に自由を求めようとする意思が強すぎて孤独にはまり過ぎてしまった。それだけ自分が不器用だったということである。

昨夜、酒を飲んだ仲間達はそこら辺のバランス感覚が良い人ばかりで安心して自分を託すことができる。もっと他人を信頼し感情を解放しても良い。自分の中に新たな動きが出始めた。これは良いことだ。

何事も理性で解決し過ぎず、感情をほど良く解放していこう。今後はきっとうまくいく。私は今そう直感しているのだ。

私のこと・・・好き?

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黒川伊保子さんの『恋愛脳ー男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか』は大変面白い本である。

恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか (新潮文庫)

恋愛脳―男心と女心は、なぜこうもすれ違うのか (新潮文庫)

この本のP16にこんなくだりがある。

~本文引用~
したがって、相手の男に飽きないかぎり、女は「好き?」「もちろん、好きだよ」みたいな会話を毎日だってやっていられるのである。

~~~~~~

はい、来ましたね。「私のこと・・・好き?」みたいな女からの質問、来ましたね。私はこうした質問を直接生身(なまみ)の女からされるのは大変苦手だが、そうした質問をされている(私ではない別の)男の困った表情を外から見てニタニタしているのが大好きである。つまり、真性のドSだということになる。

女性からすると単純に愛している男、好きな男から『好きだよ』と毎日言ってもらいたいだけである。ただの愛情確認である。さて、困ったのは男性の側だ。男という生き物には『愛』なんて感情はそもそも存在していない。ここが大問題である。だから、自然と相手の女性に嘘をつかねばならなくなる。

本当は好きではなくても、愛していなくてもとりあえず、『好きだよ』とか『世界で一番愛しているよ』とか言わなければならないのである。これが自分を偽っているような気がして、不誠実な気がしてたまらなく苦しいのである。男はやたらと誠実で、責任感が強く、嘘をつくのが苦手な生き物である。

だからこそ、『私のこと・・好き?』と女から聞かれたら、ついつい『もちろん、君のことは大好きだよ。でも同僚の○○ちゃんのことも同じくらい好きだよ』とか『もちろん、今は君を誰よりも愛しているよ。でも、昔付き合っていた○○のことを一番愛していたよ』とかの余分な情報を付け加えて言いたくなる。

しかし、まあこうした答え方ならよかろう。もっと自分に正直な男になると『いや・・・別に好きではないかな』とか『うーーん、まあ仕方なく一緒にいるだけかな?他にいい人いないし』とか『好きとか嫌いなんてどうでもいい。責任があるから一緒にいるだけだよ』とかの言葉を言いたくなってしまうのである。

もうここまで来たら完全に終わりだ。女は怒り狂い発狂しすぐに自分のもとから去っていくことになる。例え、平謝りしご機嫌を取り直したとしても死ぬまで一生涯そのことを蒸し返され『あなたはあの時、私にこう言ったのよ!!(怒)』と言われ続けることになるのだ。

男は女の気持ちが、女は男の気持ちが良くわからないようにできている。これは紛れもない事実だ。男の恋愛や結婚やお付き合いとは一言で言うと『責任感』で成り立っているように思う。責任感があるからこそ相手の女性のために一生懸命頑張るし、『好きだ』とか『愛してる』だとかの嘘を吐けるし、一生懸命働いてお金を稼ぐこともできる。そこに『愛』という感情はない。『愛』よりも『責任感』の感情が勝るからそうしているだけである。

女はそうした感情の差異を根本的によくわかっていない場合が多いのである。私を愛しているからこそ私のために頑張って働いて尽くしてくれていると思ってしまうのである。そして、私を愛しているからこそ毎日『好きだよ』とか『愛してるよ』とかの言葉を言ってほしいし、言ってもらうのが当たり前だと思ってしまうのである。

これは、単純に子育てと関連している。女性は子供ができたら自分が責任を持って育てなければならない。そして、一定期間は仕事をしてお金を稼ぐことが難しくなる。男に頼らなければいけなくなる。だからこそ、男の愛をいつもいつも確かめ、確認し、試したいという本能があるのだ。

まあ、そうは言っても無責任な男ってたくさんいるから仕方のないことなのだろう。それでもなあ・・私なら毎日毎日『好きだよ』とか『愛してるよ』とか言い続けるのって無理だ。私は自分に大変正直だから、ついついその時感じている本当の気持ちを言いたくなってしまうのである。これはいかん。男は嘘をつかねばならない。思っていることをそのまま言ってはならない。とりわけ自分の遺伝子を後世に残したいと思っている男にとって嘘は必須である。

てなわけで、皆さんももっともっとたくさん嘘をつきましょう。嘘は人間関係の要です。ブスにも『綺麗だね』とか言ってあげましょう。

君は伸びる!

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私は小学校くらいのころから、先生に『君は伸びる』と時々言われるタイプの子供であった。結論から言うと先生の側に見る目が何もなかったということになろうし、私からするとざまあ見ろということになる。そうなのだ・・私は伸びるタイプの子供ではなかったのである。伸びないタイプの子供だったのである。

とは言うものの、まあ先生の方も所詮は慰め程度に言っていただけなのだろうと思う。子供達にマイナスな言葉を投げかけて自信を無くさせる先生などまあまずいないだろう。いわゆる結婚詐欺師のように『君は誰よりも美しい』とか『君は俺にとって特別なんだ』とか『君といると落ち着くんだ』とか『君のことしか考えられないよ』とかの甘い言葉を囁く心理と同じである。

つまり、私は先生達を騙していたようでいて逆にすっかり騙されていたのである。それに最近、気が付いた。(冷汗)
いわゆる『伸びる子』だという誉め言葉を私は信用していない。というのも私の経験上、『伸びる子』はもうすでに小学校くらいのころからすでに伸びているからである。

つまり、もうすでに伸びまくっているから、才能をいかんなく発揮しまくっているから『君はこれから伸びるよ』などなどの甘い言葉を囁く必要など何もないのだ。

小中学校の同級生にプロサッカー選手になった子がいたのだが、彼の才能は小学校のころからどこからどう見ても突出していた。近くで見ていて天才だと思った。誰もが大絶賛するほどの凄い才能をも持っていたから『伸びる子』などではなく、『とんでもない子』だったのである。彼に対して『これから伸びる子』などという誉め言葉は通用しない。もうすでに考えられないくらい十分凄いからである。

『伸びる子』などと褒められたらまあ、とりあえず『ありがとうございます』とでも言っておけばいいのだが、本当は全然たいしたことはないのだなとしみじみ思っておけばよい。本当に凄い人とか才能がある人とか能力がある人には通常そうした言葉をかけられないものである。才能とか能力とか(いわゆる世間一般的に凄いと言われるレベルに関して・・)を持っている人というのは最初から全然違うものである。

甘い言葉には要注意である。自分が何も可愛くないのに『君は凄く可愛いよ』と言われて大喜びして自分を見失うようなものである。まあ、短い人生浮かれて終わるのも悪くはないのだけど。

ということで、私は小学校のころから時々『伸びる子』みたいな感じのことを囁かれて全然伸びなかったという意味で典型的な優等生である。これほどまでに何の能力もなければ周囲の大人も納得せざるを得ないだろう。ここまで伸びないともうぐれる他はない・・ということで今立派にぐれているのである。ブスがぐれて性格までひねくれているのと同じように、男もぐれるものである。

ということで、みんなもっともっと絶望してぐれよう!!!!!ぐれまくろう!!!!

出るべきか、出ないべきか?

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ここ一週間天下一武道会に出るべきか?それとも出ないべきか?人知れず悩みに悩んでいたのである。そして、無駄に悩みに悩んだ末に、明日からは出ようと決めたのだった。うまい、逃げである。今日からではなく、明日からなのだ。明日から出るのだ。

こんなことを考えたのも、天下一武道会に最初から参加しないのは男としてどうも責任感がないというか男らしくないという感じがしたからである。男たるもの天下一武道会にしっかり出て堂々と負けてくればいい。その方が先方に対して失礼にあたらないのではないか?と思ったのである。

77歳の紀州ドンファンと呼ばれた男性が亡くなり、体内から多量の覚せい剤が検出され、殺人の疑いが出ているニュースには驚いた。4000人の女性に30億円の金を貢いだそうである。多くの女を抱くために金持ちに成りあがったそうである。

このニュースを見て、「いったい、この男の人生は幸せだったのだろうか?」と思った。確かに本人の望むところはおおかた叶ったのだろう。お金でたくさんの若くて綺麗な女を(一時的に)手に入れたのだから。でもなーーーー、仮に覚せい剤を盛られて殺されたのだとしたら・・そして、それを本人が最後に(あの世で)知ったのだとしたら・・やっぱり幸せな人生だったとは言えないと私は思うのである。

私なら4000人の綺麗な女に(見かけ上)愛されるよりもたった一人の好みの女性に(本気で)愛される方が幸せだと思う。だいたい、私はセックスなど大嫌いなのだから4000人も抱けない。1人すら抱けないのだから当たり前である。

やはり、どう考えてもこの爺さんの人生は不幸な気がしてたまらない。本人は幸せだったのかもしれないけど、最後に殺されたのだとしたらやはり幸せではない。殺されたと知らなかったとすると少しは幸せだったのかもしれない。それでも、なんか違う。

外見重視の私が言うのも変な話なのだが、最近人は中身だなあ!とつくづく思う。でも・・その中身が思いっきり外見に表れてしまうことが多いのもまた事実であり、これが話をややこしくしているのである。中身が良いと外見にもそれが滲み出てくるから不思議である。そして、私のように中身がグレていると外見にもひねくれた感じがもろに出てしまう。私に魅力がないのもこのせいだ。やはりグレてはならぬ。

しかし、正直なところグレない方法が何も見つからない。そう考えると天下一武道会にはしっかり参加して技を競いあった方が良さそうな気がしてくる。グレて途中棄権ばかりしているのはみっともない。本当に、人生って難しい。

最近こういう(恋愛的な?)ことばかり考えるようになったのも私は男女関係に興味がある(・・というか出てきた)からである。私がこの世にこうして生きているのは紛れもない男女関係の色々が過去にあったからなのだ。それがたまらなく苦痛であるが、事実であり、認めざるを得ない。この神秘をなんとか解き明かしたいと思っている。

そうなのだ・・

たった、一人と出会うために・・・(爆)

人生から足を洗いたい

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うぉーーー、人生から足を洗いたくてたまらない。しかし、こう言いながらどのように人生から足を洗うかはよくわからずにいる。

昨夜は夜遅めの時間帯からなぜかPVが一気に増えた。今日は少ないなーー、なんでだろー?みたいに思って早めに寝たらめっちゃ伸びてた。なんでだろーー??

早く海外に出たい今日この頃。毎日つまらない。退屈だ。同じようなことの繰り返しにうんざりする。がっかりする。

こういう日々を送っているから私はグレるのだ。というか・・グレてしまったのだ。真面目な不良。それが今の私である。

たまーーに、ブスな女性でグレてしまっている人がいますねーー。あの気持ち凄くよくわかるんです。確かにブスだとグレます。だって、男達の大半は女性を顔で選ぶから。

でもね・・一つ言わせてください。そこでグレずに自分磨きを怠らなかった愛嬌のあるブスな女性を男性は必ず見ています。

って、待てよーーなんでこんな話になったんだろう。どうでもよくね??性格が腐ってしまうと終わりだという話です。私もグレていますけど、そのグレた心の核には純粋な心がまだ少し宿っています。仕事中にはそれを発揮できないのですけど、好きなことをしているときは少しは発揮できているかも。

あーーー、怠い。

友情は時間に比例する

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昨日、草食系男子だの天下一武道会だのの話を記事にしたらその瞬間に読者が一人減った。(汗)
私の主張がよっぽど気に食わなかった人がいたのだろう。なんだか笑えてくる。確かに女性からしたら失礼な話だろう。

せっかく開催した天下一武道会を意図的に辞退したり、途中棄権する奴がいるなんて知ったら…

まあそれも私の思い込みかもしれない。『人生とは旅である』とかほざいて結局は全然旅と関係のない話ばかりじゃないか!!コラ!!ハゲー!!と憤ったのかもしれない。それも一理あるし、納得できる。とにかく何かが違うと気付いて去っていったのだろう。こうした駆け引きは結構好きである。

私は色々な記事を書いているつもりだが、それぞれに色々な反応があってとても面白い。意外な記事に意外な人が星をつけてくれたり、逆に全然反応がなかったり。私は誰も読者登録をしていないし、誰かの記事に星をつけたりすることもない、大変嫌らしいというかこにくたらしい奴なので本当に共感してくれた人しか私の記事に星をくれないのだ。

だからこそ、ある意味結果がすべてであり、結果こそが嘘偽りのない本当の姿になってしまう。鏡よ鏡・・・という世界なのである。

さて、友情の話だった。私は最近一つの重要なことに気付いた。それは、友情は時間に比例して大きくなるということ。私にはたった一人大親友と呼べる人がいてその人とは同い年で幼稚園から中学校まで一緒だったのだが、未だに友情が続いており、それが年々大きくなっている。

知り合ったのが5歳くらいだったのでもう友達として30数年経つのだが、不思議なことに最初から仲が良く、一度も喧嘩したことがなく、しかも一度も途切れたことがなく、定期的に連絡を取り続けているのだ。ここまでの大親友と出会うことはもうこの先ないだろう。

このブログを書き始めて既に4年ちょいが経つのだがやはりブログを開設して間もないころに読者登録してくれていまでも読んでくれている人というのは私の中でなんだか特別である。そうは言っても私はその人達の記事を読みに行くわけでもなく(たまには行くけど・・)星をつけるわけでもなく、読者登録するわけでもないのだけど、私の中では隠れた友情みたいなものを感じているのだ。

そして、この感情というものは時間に比例して徐々に大きくなる。恋愛感情は時間とともに減っていくものだが、友情は時間が経っても劣化していくものではない。だからこそ私は友情が好きだ。恋愛感情のようにわくわくしたり、ときめいたり、嬉しさが爆発する火山のような感情でははないけれどもコツコツと積みあがっていく地層のようなものである。

私はできるだけ友情を大切にしたいと思っている。世の中にはなかなか心を許して話せる人などできないものだ。だからこそ貴重だと思ってしまう今日この頃である。