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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

アイム・ノット・ア・サバイバー!

私は「性の喜びおじさん」が言うところの「アイムチャレンジャー」でも「アイムサバイバー」でも彼が忌み嫌う「ウィークエンドラバー」でもない。その対極に位置する「アイム・ノット・ア・チャレンジャー」であり「アイム・ノット・ア・サバイバー」であり「アイム・ノット・アン・ウィークエンドラバー」である。そこら辺の事情を性の喜びおじさんにはわかってもらいたいと思っている。


性の喜びを知りやがって~Weekend Lover~(字幕Full.Ver)

性の喜びおじさんが3.11に東急線桜新町駅で死亡したという説が流れているけど本当なのだろうか?もしそうだとしたらこれは日本にとって大変な損失である。彼はほとんど西郷隆盛の生れ変りなのだから。

アメリカの都市に行くと彼のようなちょっと変わった人がそれこそ普通にうじゃうじゃといる。多様な人種が共存しているからそうなるのか?弱肉強食の社会がそうさせるのか?社会福祉の未発達からなのか?はよくわからないがアメリカの夜道は変なおっさんに絡まれそうでちょっと怖い。しかし、私はスマホ片手に寡黙に生真面目に日常生活を守っているイワシの群れのような大勢の日本人の方がよっぽど気持ち悪く感じる。性の喜びおじさんの方がはっちゃけていてよっぽどまともに感じる。

安易にウィークエンドラバーになってはならない。個性を強めてサバイバーになろう!性の喜びおじさんを見習って・・

【悲報】あの変なおじさんは「性の喜びおじさん」ではなかった(残念!!)

昨日、世田谷通りを走るバスの中で見つけた(ぶつぶつ面白いことをしゃべり続けている)変なおじさんは今話題(?)の「性の喜びおじさん」ではないことが判明した。ちなみに「性の喜びおじさん」とはこんな方である↓私も読者の方に教えていただき恥ずかしながらこの度初めて知ったのだが・・


【字幕スーパー】最新性の喜びおじさん

動画の最後の方で「アイム サバイバー」とか「アイム チャレンジャー」とか堪能な英語を駆使してめちゃくちゃ面白いつぶやきを連発している「性の喜びおじさん」である。私がバスの車内で見たおじさんもかなり面白かったけどここまで強烈な攻撃性はなかったかな?

って言うかさ~みんな電車とかバスの中でスマホ見るのやめようよ~。あまりにも没個性で「みんなみんなおんなじおんなじ現象」になっちゃってる。この「性の喜びおじさん」みたいにでっかい声出して自分を表現しようぜ。最近の日本人の没個性ぶりは目に余るものがある。みーーーーんな同じなのだ。誰もがスマホ片手にさっそうとスマートに歩いている。なんだか誰を見てもどこを見ても全く同じ光景にしか見えず橋の上から魚の群れを見ている気分になるんだよね。イワシの群れじゃないんだからもうやめようよこういうの。どうせ死ぬんだし。みんなガラケーに戻してスマホから顔あげよう。死ぬまでスマホに追われる生活って虚しいぜ。みんながみんなスマホの画面見てゲームやってラインやってyou tube見ながらみんながみんな孤独で寂しいんだよね。みんながみんな没個性で寡黙でおとなしくて生真面目な日本人を演じてるんだよね。くっそつまらないわ~。

今日からみんな性の喜びおじさんになりましょう!性の喜びに目を覚ましましょう!!


【第一弾】性の喜びおじさん、ゲス極・川谷絵音氏に「ヤリチン!」とキレるの巻

肉体貸与型

昨夜12時前に眠りに就こうと思ったら周囲はいびきの大合唱。安いドミトリールームやカプセルタイプの宿にはこうした光景(騒音?)がつきものである。夏の夜に田園地帯を散歩すると聞こえてくるカエルの鳴き声のような絶え間のない人間のいびきを聞いていてなかなか眠りに就けないなか「所詮、人間もカエルも似たようなものなのかもしれないな」と思う。

よくよく考えてみると人間の人生は肉体を有期貸与されているだけなのかもしれない。返還期限は長い人でも100年程度である。天から貸与された肉体は時と共に老化し病気になり、最後は動かなくなって自然に還っていく。貸与型奨学金は指定期間に返還義務を負い、給付型奨学金は返還しなくても良くすべて自分のものになるからありがたく感じる。多くの人間は自分の肉体が天から給付されたものだと錯覚する。この肉体は神聖不可侵の自分だけのものだと思い込む。しかし、時が経つと劣化し天に召された肉体は自然に還付されることになる。これは人間の意思とは無関係だ。そう考えると人間の人生は『肉体貸与型』だ。

曽野綾子さんが言うように人間の人生は『仮の宿』にしか過ぎないのだ。

仮の宿 (PHP文庫)

仮の宿 (PHP文庫)

そんなに深く考え込んだり悩みこんだりする必要なんて何もないんだろう。今日死んでも明日死んでも100年後に死んでも1億年後に死んでもそんなに変わりないのかもしれない。5分後も10年後も100年後も1億年後も経ってみればあっという間で全ては錯覚みたいなものにしか感じることができない。そんなことを思っていたら少し気が楽になった。この肉体もいずれ消滅して土に還るだろう。そして、また何らかの新たな肉体が貸与されることだろう。そしてその肉体もいずれ返還して無に帰すことだろう。この無限の繰り返しが人生である。人間が手に入れたと思っているものは限りなく錯覚に近い蜃気楼のようなものだ。あまりにもはかない一瞬の幻だ。

6年前の3.11の時カンボジアシェムリアップという街に滞在していた。帰国したのはそれから2週間以上も後である。だからカンボジアのテレビを通じてしかあの大震災や大津波を知らない。未だに3.11と聞いてもピンとこないのはそうした事情である。2004年にインドネシアやタイを大津波が襲い街が壊滅したのをテレビで見ていたがまさにこれと同じ感覚で3.11を感じてしまう。しかし、あまり悲観的になる必要はないのかもしれない。すべての人間の肉体は一時的に貸与されているだけであり近い将来返還しなければいけないと考えれば。

つぶやきが止まらない人

朝起きて近くの公営ジムで汗を流し、神保町へ。古書屋と大学のキャンパスがあるこの街はどこか懐かしさを感じる。その後お洒落なカフェに突入し少し高めのエチオピアコーヒーを飲む。こういうちょっとした贅沢が凄く幸せである。隣の席のおばちゃんをふと見るとスペイン観光旅行のパンフレットを見ていた。そうかスペインに行きたいのだな。俺もスペイン行きたいわ~と羨ましく思う。私がスペイン旅行に行けるのは恐らくしばらく先になるだろう。

その後バスに乗る。途中からつぶやきシローみたいな人が乗ってきた。ぶつぶつとなかなか味わいのある面白いことを言い続けている。「AKBは嫌いだこの野郎。前田敦子は嫌い。ガクトは男前でいい男だ。ホモ。大好き。この先には居酒屋街があるぞ~。小池百合子も調子に乗ると石原慎太郎に足元救われるから気をつけろよ~。慎太郎は賢いからな~。」などと止まらぬつぶやきをバス車内で大声で繰り広げて途中下車していった。降りていくときにほんのりと酒の匂いが漂ってきた。なかなか幸せな人生を生きてそうだ。あれだけ四六時中言いたいことを言いまくっていれば(周りに誰も寄り付かないだろうが)とりあえずストレスはあまり溜まらないことだろう。

その後三軒茶屋に行きキャロットタワーに昇る。学生時代以来だからもう15年ぶりくらいになるんじゃなかろうか。屋上の26階まで高速エレベーターが一気に連れて行ってくれる。これで展望料金がかからないのは凄いことだ。屋上からの眺めも壮観であった。遅めのランチはお洒落なカフェバーみたいなところでパスタを食べる。洒落た音楽がガンガンに流れている。こういうところに客として時々くるのはいいが、毎日働いている人は疲れるだろうな。

途中立ち寄った古本屋で沢木耕太郎の「夕陽が眼に染みる」を買って読む。やはり沢木耕太郎は文章が上手い。洞察力が大変優れている。この本はもう17年ほど前に出版された本である。たまに古本屋に行って本を探してみると掘り出し物に出会うことがある。良い書き手の文章には普遍性がある。例え一昔前の本であっても人間は本質的にあまり変わらないものである。

そして、新宿に戻ってきた。なんだかんだと落ち着かない一日だ。東京という街は色んな過ごし方ができる。何もしないでぼーっとすることもできるし分刻みで何かに挑戦することもできる。私の場合はいつも結構忙しく過ごしてしまう。しかし、こうしてカフェでぼーっとブログを書いて暇つぶしするのが楽しい。今夜は音楽のライブでも行こうと思う。

新宿3丁目でビールを飲み落語を聞く!

昨夜は、大好きな新宿3丁目にやってきた。私が東京に来ると100%必ず来る場所が新宿であり、新宿3丁目である。新宿3丁目に来てやることと言えば、まずお決まりのコースとしてスタバかドトールコーヒーに入りコーヒーを飲む。8割の確率でスタバを選択するのだがあいにく昨夜は金曜日で店内が込み合っていたのでお隣のドトールコーヒーでゆったりとブレンドコーヒーをたしなむ。ぶっちゃけたことを言ってしまうとスタバのコーヒーよりもドトールのコーヒーの方が美味しい。ドトールのコーヒーはマイルドで癖がなく飲みやすいがスタバのコーヒーは苦い。

その後、とりあえず新宿3丁目の居酒屋街をフラフラし、結局PRONT(カフェ&バー)で生ビールを飲む。居酒屋などでビールを飲み比べした感想として(数少ない経験上だが・・)PRONTの生ビール(プレミアムモルツ)がダントツで一番うまい。毎回「は?なんでこんなに美味いの?馬鹿じゃないの?」と思ってしまうほどPRONTのジョッキ生ビールは美味い。

これは、アサヒのスーパードライやキリンの一番搾りでは出せない味なのだ。スーパードライ一番搾りも非常に美味しくて大好きだが苦い。PRONTのプレモルは上品でさっぱりとしていて快適な喉越しである。あの製法は凄い。サントリーって会社凄いわ。これぞジャパニーズクオリティ!!!車とビールと家電製品は日本製に限るのである、誰が何と言おうと。PRONTで生ビールを飲んでほろ酔い気分になってから「さて、どうするか?」と考え音楽のライブに行くか?落語に行くか?と少し迷った結果落語を聞きに行く。

落語と言えば新宿3丁目の「末廣亭」だ。ここに来るのはなんだかんだ言って結構久しぶりだ。内容はどれも面白いもので来てよかったーーと思った。落語の内容は結構日によって当たり外れがありつまらない時は立て続けにつまらなかったりする。昨夜の落語はどれも面白かった。私の直感が勝利したのだ。最後に出てきた主任(落語ではトリを「主任」と呼ぶ)の柳家福丸さんの落語面白かった。

落語の主任は30分近く話し続けなければいけないから大変だ。あれだけ長い話を完璧に覚えて演じられる能力には脱帽する。調べてみたら柳家福丸さんの師匠は人間国宝の故・柳家小さんである。どうりでうまいわけだ。柳家小さんの「粗忽長屋」は大好きである。

「粗忽長屋」 柳家小さん

その後宿に戻って「ほろよい 青りんご」を飲んでほろ酔い気分になってから就寝する。これもサントリーの製品だった。いつの間にかアルコールはサントリー派になってしまった。

さて、今日は何をしようか?今から考えよう。

必要だという思い込み

日本と言う便利で快適な先進国で働き、暮らしているといつの間にか「あれもこれも必要だ」という思い込みに駆られ自分を見失いそうになることがある。生活をより快適にするためにあれもこれも必要だ、時間を快適に使う為にあんなことやこんなことをしよう、将来のためにあんな勉強をしてこんな資格を取っておこう、長く生きるためにもっともっと貯金をしておこうなどと欲望は際限なく肥大していく。

しかし、よくよく考えてみると実は必要なものなんて凄く少なかったりする。例えば私は年に数回海外一人旅に出るのだが出発前はやはりあれもこれも必要かな?と心配しバッグの中に詰め込んでいく。しかし実際に現地に行ってみると実はほとんど必要なかったという場合が多い。確かにそれがあれば安心はできるのかもしれないが実際に使われなかったのだから必要なかったということなのだろう。こうした無駄はいたるところに潜んでいて我々の生活を脅かしている。

最近は誰でもスマホを持っているけど本当に必要なの?と思ってしまう。あの人やこの人とラインで密に連絡を取る必要性はあるだろうか?ネットにつないで地図や天気予報やブログを見る必要があるだろうか?ゲームをやる必要があるだろうか?音楽を聴いたり映画を観たりする必要があるだろうか?すべてなければないでなんとかなることばかりである。実際に10年前までは誰もスマホなど持っていなかったし、20年前まで遡ればガラケーすら持っていなかった。しかし、それで生活は十分回っていた。

結局現代の科学技術の進歩が世の中を無駄に忙しくしているのだ。ネットが発達したからこそネット通販大手のアマゾンが台頭し配送サービスを拡充しすぎたせいでヤマト運輸の社員が過重労働で疲弊し人手不足に陥りパンクしてしまっている。こうしたなんでも過剰な世の中はなんだか非常に狂っているという視点を持って自己抑制をしていかないと周囲やメディアに振り回されて自分の時間を持てぬまま忙殺されて人生が終わっていく気がする。

私は海外に出るとできるだけ何もしないでぼーっとする時間を作るようにしているがこうした時間は非常に貴重であると痛感している。ネットや本も読まず、ただ海だけを見て周りの音を聞き椅子で寛いだり、ひたすら自然の中を散歩したりする。そういう過ごし方をしていると次第に体内から毒が抜けていく感覚がある。解毒作用を人為的なものに頼らずに自然で代用させることでよりリラックス効果が高まる。

人間と言う生き物はどうせすべての人間がわずか100年足らずで死んでいくようにできているのだから、本当はそんなに焦って色々なものを手に入れる必要なんかないのだ。お金も知識も食糧も体力も必要最低限生きていけるだけのぶんがあればそれでいい。それで世の中の消費が鈍り多少貧しくなっても人間的な生活が補償されてストレスが減るのならその方がいいとすら思える。今になってみると子供の頃に自宅に置いてあったダイヤル式の固定電話が懐かしい。ちょっと不便だったけれどあの電話で十分だったように思う。

何かを得れば何かを失うんだと痛感する今日この頃です。

森友超ウザイ!

森友学園の報道超ウザイ。この学園の理事長は清廉潔白を声高に叫ぶのならさっさと国会の参考人招致でも自ら志願して堂々と無実を立証すればいいじゃないか。結局それができないってことは政治家も学園も思いっきり関わっていたから逃げてるってことなんでしょ。

自民党もクソみたいなゴミみたいな憲法改正草案作りやがって、ふざけんなよ。何が自由で民主的な党だよ。中国共産党とか朝鮮労働党みたいなもんじゃないかよ。こんな巨額詐欺事件みたいなことの片棒担いで我関せずみたいな顔するな。

最近は日本に限らずヨーロッパでもアメリカでもフィリピンでも気持ちの悪い極右みたいな政治家がデマを流して私こそが国を守れるだの愛国心だの声高に叫ぶから腹立つ。絶対こんな奴らの支持や支援なんかしねえよ、馬鹿め。真の愛国者なら立場が違う人、社会的弱者、外国人、移民や難民に対して寛容であるべきなんじゃないですかって話だ!