人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

他人という謎の存在

最近、「他人」てなんてこんなに謎の存在なんだろう?と思っている。

自分は自分なのがいつもいつも当たり前で自分の中から他人を観察することしかできないけれど「自分」と「他人」とは似ているようでいて全然違う。

私にとって最も「他人」に不思議さを感じることは夫婦や家族で共同生活をすることに耐えられることである。

思えばこの私も高校生(18歳)までは親のもとで暮らしていたのだった。その頃までは共同生活に耐えることができたのだった。

しかし、18歳で高校を卒業し大学に入学し1人暮らしをはじめ今や15年間ずっと1人暮らしをし続けており、他人と一緒に生活をするということを完全に忘れてしまったのだった。

たまに実家に帰っても自分の居場所じゃない気がしてすぐに家に帰りたくなるしあまり寛げないし楽しくも無い。

別に親と仲が悪いとかそういうこともないのだが、なんか違和感を感じるのだ。

そう思うと結婚して夫婦になって一つ屋根の下で共同生活を継続している人っていったいどんな人なんだろう?と思ってしまう。

それってめちゃくちゃ面倒くさいことではないだろうか?全然自由がない気がするしリラックスできない気がする。

他人と関わることは非常に疲れるし、面倒くさい、と私は感じているのだがそうでもない人が多いということなのだろう。

しかし、その感覚が私にはよくわからない。

そもそも、他人というものが私には未だによくわからないままなのだ。毎日のように職場に行き、「他人」と一緒に仕事をするわけなのだがそこで会う「他人」は十人十色である。

気が合う人もいれば全然気が合わない人もいる。しかし、なぜなのかわからないが私はあまり嫌われてはいないようだ。そこに居場所はある。

しかし、職場にはめちゃくちゃに行きたくないし、同僚や先輩や上司とは会いたくない。誰とも会いたくないのだ。でも、なぜか毎日嫌々元気に通勤してしまうのだ。そして、帰ってきてまた悩むのだ。

なぜ職場に行って赤の他人と一緒にやりたくもない仕事をやって我慢してお金をもらって生きたくも無い人生を生きていかなければいけないのかと。

時々悩みこんでしまうのは果たして私には好きな人がいるのか?ということである。

確かに職場にもプライベートにも気が合う人も仲が良い人もいるし、会えば冗談を言って笑いあっていて楽しいという感情は沸く。

しかし・・よくよく考えてみると誰も好きではない。

これはなんと残酷なことなのだろう。好きではないのにも関わらず仲は良いのだ。フィーリングが合うから一緒にいると(仕事をすると)居心地はいいのだがそれもでなんか邪魔な感じがするのだ。

他人ってそもそも一体なんなのだ??考えれば考えるほどわけがわからなくなる。

職場も一緒で、考えれば考えるほどわけがわからなくなって泣きそうになる。

なぜ私はあの職場に行って働かなければいけないのだろうか?別にあの職場じゃなくてもいいんはなかろうか?と。

しかし、なぜかあの職場に行って働いてしまうのだ。それはそうしたいからなのか?それとも嫌々そうしているだけなのか?

全てがこんがらがっていてわけがわからなくなる。日によって違うが結構職場の気が合う人とする仕事は楽しいのだ。でも、全然行きたくないし辞めたいのだ。自由になりたいのだ。

この感情って一体何なのだ?別に仕事自体はそんなに嫌なわけでもなさそうだ。全体的に面倒くさいという言い方が正しいだろう。

これは恵まれているのだろうか?そもそも私という存在は恵まれた存在なのだろうか?いや、恵まれているっていったいどういうことなのだろうか?

他人について一つもわからないから比較することが全然不可能なのだ。

自分すら全然よくわからないのに他人なんてまったく意味不明である。しかし、自分からは他人しか見えず常に他人が視界に飛び込んできて相対させられる。

この拷問のような状態が常に続いているのが人生である。人生ってものが良いのか悪いのかよくわからない。

ただただ面倒くさいという言い方をしてしまうのが一番しっくりくる。