人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

いつ死んでも良いと考えられるまでになると人生が楽になる

最近の私はとても気が楽だ。

心の底からもういつ死んでもいいと思っているから。

しかし、こう考えられるようになるまでに長い修行を経てきたように思う。

悩むべきときに悩み、後悔すべきときに後悔し、苦しむべきときに苦しみ、やるべきときにやり、行動すべきときに行動してきた。

これら一連の人間的、現世的修行を経てきたからこそ今の心境に至ることができたのだと思う。

やりたいことをやるというのは実に難しいものだ。

ほとんどの人間はやりたいことをやりたいと思ったときにすぐに実行することができない。

やりたいと思っていてもやれない理由、やらない理由を考えて実行しないように自分をもっていく訓練をしているからである。

なぜならやりたいことを忠実に実行するには勇気ある決断をしなければいけないからである。

例えば職場を辞めたり、お金や時間やエネルギーを使ったり、過去の思い込みを捨てたり、心の中にある不安を払拭して新しいことに挑戦していく必要がある。

世の多くの人間はそのようなことが面倒くさかったり勇気がなかったり決断できなかったり行動力がなかったりするから結局やらずに終えてしまう。

安全で安心な人生を求めてしまう。

そして、そのまま死んでいく。

私はそうなりたくないと思って生きてきた。

結果、かなりの部分自分の思うように人生を生きてきたし後悔もしていない。

そして、後は死ぬだけだと思うまでに至っている。

まあ、所詮は私の人生などしょぼい人生だ。

鼻くそみたいな人生なのだ。

自分の生まれ持った少ない才能でやれることなどたかがしれている。

その範囲内で行動してきただけで特にたいしたことは何もない。

結局は他人がどうとかじゃなくて自分が納得できるかできないかの内面的な問題なのだと思う。

自分が納得できればそれで良い。

しかし、残念ながらほとんどの人は自分が納得できるまで行動することができずに後悔しながら死んでいく。

そう考えると自分は自分の人生を生きてこられたと思う。

そして、その結果得た結論はとても単純なもので、「人間は別に生きている必要などない」というものである。

私が生きている必要は特にない。

私が生きている必要もないが私以外の他人も生きている必要も感じられない。

そしてその最終段階としてそもそも人間が地上に生きている必要もないという感じ。

私は川や海を眺めるのが好きだが川や海に泳いでいる魚を見ていて「別にこの魚達がいなくても全然困らないな」と思うことがよくある。

実際に魚がいなくなっても困らないだろう。

それをどんどん拡大していくと人間が地上に生存している必要も感じられなくなる。

そう考えると自分が死んでも一向に構わないとなって、別にいつ死んでもいいやとなってとっても気楽な気持ちになる。

本当に心の底からそう思っている。

なんで生きているのかって言われてもよくわからない。

別に生まれてこなくても良かったし、明日死んでも良いと思っている。

そして、後悔しないように生きてきたと思っている。

ただ、自由に生きていられればいいやと思っている。

本当は悩むべきことなどこの世に1つもないのだ。

なぜなら私がこの世に生まれてこなくてもこれから長生きしていかなくても誰も困らないからだ。

この一見深刻そうなことをとても気楽な気持ちで考えられるようになると人生は凄く楽になることが最近、わかって感動している。


五代目柳家小さん 「富久」 - YouTube