人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

どんな人間も生きているだけで尊敬に値する

最近、以前に比べると人間というものを心の底から「尊敬」できるようになってきた。

それはなぜかと言うと人間の人生というものは基本的に苦しいものだからである。

それにも関わらず人間は簡単に死ぬことができないという困難な事情を抱えている。

産まれてきた以上、簡単に死ぬことはできないし困難を取り除くこともできない。

つまり、生きている以上どんな人間でも苦しいものなのでありこれはほぼ全ての人間に普遍的にあてはまると思う。

そんな苦しい状況で人間は生きていくことを強いられている。

だからこそ、生きている人間は皆尊敬に値するのである。

現世で何をしているかは全く問題ではない。

ただ、苦しみに耐えながら生きていることそのことが大きな輝きを放っているし、尊敬に値することだと考えるのだ。

少し生きてみるとただ能力やお金に恵まれていてもそれで苦しみから解放されることはないということがよくわかる。

現世にはほぼ無限に近い苦しみの要素があってその最終形態は死である。

生きとし生ける人間は全て生まれてきた瞬間から死に向かって駆け抜けていく。

その途上でありとあらゆる苦しみが発生する。

この苦しみの中でもがき苦しんでいるのが人間の姿でありそうである以上、それは尊敬に値することなのだ。

仕事をしているとかしていないとか良い仕事をしているとかしていないとか働きが良いとか悪いとか人から好かれているとか嫌われているとか人のためになることをいくつしたとかしないとか転職を何回したとかしないとか犯罪を何回犯したとかしないとか、人を何人殺したとかほとんど何の問題にもならないことだと思う。

どのような生き方をしても人間の人生は根本的に苦しいのだ。

宝くじで3億円を当てたからってやはり苦しみの本質は変わらない。

むしろ大金を当てたことで新たな苦しみが発生することだろう。

確かにこの世には想像している以上に色んな人間が生きているし、極悪非道な最低としか言えないような奴がたくさんいることも知っているし、どんな人間も尊敬すべきだから死刑は廃止すべきだとか言うつもりもない。

むしろ自分がやったことへの責任をとるためにも最終刑罰としての死刑は残すべきだと考える。

ただ、私が言いたいのはそういったことではなく、1人の人間としての態度の問題である。

人間が生きている以上苦しい、だからこそどんな人間でも生きている以上尊敬の念を持って接するべきだと思う。

例え仕事ができなくても働いていなくても犯罪を犯しても人を殺しても何か現世的に負になることをたくさんしたとしても1人の人間が生きているということに尊敬の念を持つべきだと思っている。

生きるというのは生易しいことではないのだ。

しかも、自分で自分を選んで生まれてきたわけではない。

気付いたら生まれてしまっていてそれがたまたま自分だったというだけだ。

自分が嫌になったから今から死にますと言って簡単に死んでいけるほどこの世は甘いところではない。

死ぬためには恐怖や痛み苦しみと戦わなければならない。

例え誰でも簡単に安楽死ができる社会を実現したとしても今度は「いつでも簡単に死ねるのに、なぜ今死ななければ生けないのか?」と言った悩みが発生して思い煩う人が続出することだろう。

そういう四方八方行き詰まりのどん詰まり状態で生きているのが人間存在なのである。

これを肝に銘じていると周りの人間を見る目が少し変わってくると思う。

他人に少し優しくなれると思う。

自分も苦しいが回りの人間も皆同じように苦しみを抱えてどうにもならない状態で生きているのだ。

だから尊敬しなければいけないのだと考えることに何も違和感はないだろう。