人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

貧しいということ

現代日本にも貧困層がたくさんいてマスコミなどでもたびたび取り上げられているが、インドやバングラデシュやフィリピンに行ったときに見た貧困層の生活は衝撃であった。

特にインドの貧しい路上生活者達の姿は目に余るほど強烈であった。

あまりにも衝撃的過ぎてこの世の終わりを連想させた。

あの壮絶な状況を目の当たりにしてしまうと勢い日本の貧困層の生活というものがまだずっとまともなものに感じられてしまう。

もちろん、1人の人間の人生を比較することなどできないが、インドやバングラデシュやフィリピンなどの貧困層がしている生活と同じ生活を日本人の貧困層ができるかというと多分できないと思う。

その位、なんというか想像を絶したひどいものだった。

インドやバングラデシュやフィリピンにはスラム街というものがあって貧しい人達がバラックというあばら屋で集まって住んでいるがこういうあばら屋でも一応屋根がついた建物の中で住めるだけで幸せである。

バラック小屋にも毎月家賃がかかるのである。

それだけの所得がないとバラック生活すらできない。

本当に貧しい人達はその安い家賃すら払えないのだから仕方なく路上で着のみ着のままの生活をすることになる。

なぜ着のみ着のままかというと簡単なことで、手に入れたお金は全て食費に回すのが精一杯でとても衣類や靴などに回せないのである。

だからこそいつも同じ服を着続け真っ黒になり、靴は変えないから裸足生活を余儀なくされる。

もちろん、毎日お風呂に入れるわけでもないから頭はぼさぼさで顔は真っ黒になる。

ところで、私がインドのデリーに行ったときに驚いた光景は朝の歯磨きである。

貧しいインド人達は歯ブラシなどという高級なものは買えないので皆、木の枝を使って歯磨きをするのだ。

しかも皆、一斉に家の外に出て木の枝を口の中に突っ込んで歯磨きをしていた。

あの光景は今でも忘れられない。

あのインド人達の歯磨きの光景を見たときに日本とインドの違いをはっきりと感じたのだった。

日本人の中に歯ブラシが買えなくて木の枝で歯磨きをしている人間がいったいどこにいるというのだろう?

中にはいるかもしれないがほとんどまず見ないのではないだろうか?

どんなに貧しくても歯ブラシくらいはなんとか手に入れている路上生活者が多いと思う。

ところがインドなどの本当の貧しい人達は全くお金がないから、何も買えない。

だから木の枝を拾ってきて歯ブラシ代わりにするしかない。

世界は広い。世界を広く歩いて実際に生で見ると色々なことが全然想像と違っていて面白く感じる。

人間の人生というものは簡単ではないということがよくわかる。

これからも海外歩きはやめないだろう。