人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

どこの職場で働くかは大問題

昨日は帰ってきてから徐々に疲れがまわってきて早めに寝てしまった。

今の職場に転職してから仕事量が少なくてストレスもたまらないため疲れはほとんど感じないで帰宅する日々なため比較的遅めに寝ていたのだがなんだかんだ言って少しは疲れがたまっていたようだ。

ところで「どこの職場で働くか?ということはどこの国に住んで生活するか?」とほぼ同じ位大きなことだと感じている。

なぜかというと1人の人間の人生はどこかに勤めた場合、基本的に職場と家の往復が中心になるからである。

自営業など個人事業をした場合でも基本的に同じで同じことを繰り返すことになる。

会社員という形態を選んだ場合、どこの職場で働くかは大問題である。

職場によって同じ業種であっても待遇や仕事量、人間関係、職場の雰囲気、社風などが物凄く違うからである。

同じ業界でほぼ同じ地域で何度も転職してきた経験を持つ私だからこそ断言できるのだ。

よく、転職経験がない人だったり、1回くらいしか転職したことがない人だったりが「どこに行っても同じですよね?なら今のまま我慢したほうがいいですよね?」などと言っているがこれは間違いだ。

もちろん今の職場が良い職場なら是が非でもしがみついた方がいい。

しかし今の職場がブラックに近いような場所だった場合さっさと辞めて転職したほうがいい。

理由は先述したとおり同じ業種であっても職場によって労働環境が天と地ほど違うからだ。

何度か転職した経験がある人はわかるかもしれないが業種が同じだから毎日似たようなことをしているかというと全然そんなことはない。

確かに仕事の種類としては似ているのだがやっていることは全然違う。

全体としてみれば同じ業種にくくられるのだが、なんと言うか体感的に異なるのだ。

私の場合で言えば、前の職場の場合とにかく人件費を減らすために少ない人数(職員)で多くの仕事をこなすというやり方をとっていたため、常に時間に追われまくっていてなかなか定時であがることもできず、人間関係も悪くて職場の雰囲気も良くなかったし、管理職の人達が定時であがることに抵抗があって、早く帰りづらい雰囲気があった。有給休暇は特別なことがない限りとってはいけないという職場であった。

しかし、今の職場は人出にゆとりがあり、人間関係も良く、時間に追われておらず、人出にゆとりがあるぶん定時にあがることができ、管理職の人達も定時であがるのは当然だと考えてくれているので帰りやすい。しかも有給休暇は権利として認められているのだから基本的に全てとって良いと言う考えである。

単純な作業量で言っても前者と後者で5倍くらいの開きがある。

年間公休数で見ると前者のほうが少し多いが、後者は仕事量が少ないし、疲れもストレスもたまらない分休みが少なくても全然疲れない。

給料はほぼ一緒か後者の方が手取り額は若干多い。

こういう風に条件を見比べてみるといかに職場選びが重要がわかる。

変な職場、良くない職場で働くと経営者にいいように安い給料でこき使われ、見返りが少なく、ストレスや疲れがたまり、人間関係に苦しみ、イライラし、生きているのが嫌になる。

一方で良い社風の職場で働くことができればそうした苦しみは一気に軽減する。

給料がほぼ一緒ならわざわざブラックな職場で働く理由は全くないわけだ。

つまり、どこの職場で働くかは非常に大きな問題となるわけで、これはどこに国に住むのかと同じくらい大きな問題だと考えてよいわけである。

世の中にはそれこそ星の数ほど職場があって星の数ほどの色んなタイプの人間が働いていて星の数ほどの社風があって星の数ほどの悲喜劇が繰り返されている。

そこの職場に絶対に自分がいなければいけないなんてこともない。

自分がいなくなれば他の人がやるというだけだ。

少しは困ることもあるかもしれないが、困ったときにどうするか考えるのは経営者の仕事である。

だから遠慮なく転職して自分に合う職場を探していけば良いのだ。

逆に、今の職場に居心地の良さを感じているのならそこを絶対に手放してはならない。

あとあと後悔することになる。

そこら辺のさじ加減は大変に難しいが人生の面白みでもある。

今の職場が居心地が良すぎてぬるま湯に使っているような気分だから刺激を求めて修行のために転職する場合もあるからだ。

そうした場合、ほぼ後に後悔することになるが、それもまた人生というもので味があって良いとは思う。

人生というものは思うようにいかないということを肌で感じることができるから。

どうせ死んでしまうのだから好きに生きればいいし、どうせ死んでしまうのだから多少苦しんでもいい気もする。

あまり、深く考えないで今の自分に流されてしまってもいい気がする。

世の中に絶対というものはなくて万物は流転するのだ。

その最終形態として私の死が位置している。

今、生きている人間は100年後にほぼ全員死んでしまって、全くの他人に入れ替わっているだろう。

それでも問題なく地球はまわっていることだろう。

これが現実だ。

私が死ぬだけでなく周囲の他の人間もわずか数十年程度の差で皆死んでいくのだ。

しかもそれで何の問題もなく世の中はまわっていく。

その厳然たる事実を考えれば、転職することなど別にたいした問題でもないことがよくわかるはずである。

色んな理由で今の職場に嫌気がさしたらどんどん新天地を求めていけばよい。

給料は下がるかもしれないが、病むほどまでしてしがみつく職場などあまり良い職場ではない。

悩んだら人生を頭の中で早送りしてみて一気に死ぬ10分前にもっていくと色々な気付きがあるはずだ。

死ぬ10分前になってもお金がほしいと思うだろうか?

自分が役職についている必要があるだろうか?

残りわずか10分で死ぬのに友達がもっともっとほしいだろうか?恋人がほしいだろうか?

自分の持ち家がほしいだろうか?

車がほしいだろうか?

こうしたことは実は死ぬ間際にはまずほとんどの場合、必要なくなる。

それよりも今までの人生が走馬灯のように思い起こされ「あの時にこうしておいて良かったとかあの時になぜこうしなかったんだろう?」とかそういうことを考えて感慨にふけることだろう。

あの時になぜこうしなかったんだろう?ということが多い人生程私は不幸な人生だと思っている。

あの時に転職しとけば良かったと思うこともあるだろうし、あの時に転職しないで思いとどまればよかったと思うこともあるかもしれない。

しかし、人生ってものはやってみなければわからないことだから結果的に一歩踏み出さなければわからなかったのも事実である。

やはり、どんなに過酷なことが待っていてもやって後悔したほうがマシなような気はする。

人生ってものはどんな人もわずか100年以内に死ぬことを考えれば残酷である。

残酷だからこそ自分らしく好きなことをやれるだけやったほうがいいと思う。


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