人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生とは修行の場である

自分が中学生の頃、親父から「人生は毎日が修行だよ」と言われてきた。

そして、それを中学の担任の先生への毎日の連絡ノートに「父親から人生は修行だと言われましたけど先生もそう思いますか?」と書いたら、「先生も毎日修行をしています」と書いてくれた。

そして、人生に心の底から悩んでいた大学生の時に書店で美輪明宏さんの人生相談関連の本を読んでみたら目からウロコであった。

それから美輪明宏さんの本を買いあさっていつも手元に置いている。

彼(彼女?)いわく、「人生とは修行であり、毎日が魂の道場」であるそうだ。

娑婆世界に生きていると四方八方から苦しみから押し寄せてきてつらいことがたくさんあるけどそれは全て自分の人生の魂の修行のためにあるそうなのだ。

仏教用語で、四苦八苦と言って人生には苦しみが満ち溢れていてそれが当たり前のこと。

そんな中で修行して魂のランクを少しずつあげていくことが大事なのだそうである。

なるほど、確かにそれはその通りで大変合理的な考え方だと思った。

人生は何のためにあるのかわからないとよく思うけど、簡単に修行するためだと考えてしまうと話しが早い。

しかし、なぜ修行しなければいけないのか?という問題が頭をもたげてくる。

美輪明宏さんによると、人間は何万回も生まれ変わって色んな人生をやって色んな状態を経験して苦しみを乗り越えて修行をして魂のランクをあげていくらしい。

それぞれの人間が肉体を借りて魂の修行をしにきているそうなのだ。

だからこそ、自殺は中途退学と一緒でまた一からやり直しになってしまうからやってはいけないよと言っている。

なるほど我々は苦しむために生まれてきたのか。

そう考えると合点がいく。

実際に正しいかどうかはともかくとして合理的な考えだと思う。

この世には完璧がないけど、この世に生まれる前の状態があるとしたらそこは完璧な世界なんじゃないかと思うことがある。

自分の生命が母親の胎内に宿る手前の段階、まだ生まれていない段階というのがあるのならそこは完璧な世界なんじゃなかろうか?

ところが肉体を持って自分が誕生した瞬間に一気に壮絶な苦しい修行の世界に入ることになる。

この世は逃げるに逃げられない場所である。

それも全て魂の修行だと考えるしかなさそうな気もする。

特に人間関係に関しては本当に厳しい修行をしている気がする。

人生の多くの悩みや苦しみは人間関係から発生するからだ。

世の中大好きな人やいい人ばかりに囲まれていたならなんら問題はないのだがどういうわけか物凄く最悪な人、気の合わない人、相性の良くない人、意地悪な人、根性の悪い人などがたくさんいるものだ。

こういう人達に悩まされて人生がおかしくなってくる。

こうした自分にとって疎ましい人達といかに関わりあっていくかがまさに修行なのだと思う。

自分をしっかり持って流されないように気をつけながら、時には妥協して相手を怒らせたり、傷つけたりしないように思いやる。

相手がこちらを馬鹿にしたり、見下したりした態度をとってきて頭に血が上ってもそれを理性で抑えて冷静に何事もないかのごとく対処していく。

本当は殴りたくなるほど嫌いであってもそういうところは全く見せずに平等に接するなどのことは全て自分の魂のランクをあげるための修行だと考えて良いだろう。

自分とはまるで考え方の違う人達、性格や気質が違う人達をどこまで受け入れて上げられるのか?感情が爆発しそうになってもうまく抑えながら理性的に対処していけるのかということが一番難しい。

自分が病気になるほど我慢して自分を抑え込んでもいけないし、かと言って相手を攻撃してつぶすほどに過激なことをしてもいけない。

理性でバランスをとりながら相手との妥協点を見つける努力をしていくのが毎日の人間関係の修行なのだと思う。

美輪明宏さんの本には生きる上でのヒントが色々と隠されている。

なんで生きなければいけないのか?なぜ修行して魂のランクをあげなければいけないのか?はよくわからないけど、そういうものだと思い込んでしまうのも1つの手なのかなと思っている。