人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

職場の仲間とバーベキュー

今日は、職場の仲間達10人くらいでバーベキューをした。

職場の雰囲気は良いのでなかなか良い雰囲気だった。

ただ、なんと言うのか、前の職場とまた全然空気が違う。

前の職場は独裁者が経営していて、嫌われ者のお局が君臨している独裁国家という感じがあり、そのやり方に怒りをもっている反体制派の人達で集まって飲み会をしていたのだがもっと結束力があって意気投合している感じがあった。

今の職場は全然そういうところがないから緊張感がなくて拍子抜けしている感じなのである。

どちらが面白いかと言うとやはり結束感があるほうが面白いことは確かだ。

やはり、常日頃からストレスや怒りが半端ではない職場にいればいるほど飲み会などの場ではその発散を目指すため盛り上がれるものなのかもしれない。

ただ、私は誰かの家で集まって飲んだり、バーベキューをしたりするのが苦手である。

今日もそれが嫌で乗り気ではなかった。

家族の雰囲気のする場がとてつもなく合わないのだ。

これは私の遺伝子からの警告みたいなものである。

居酒屋などのフォーマルな場で中間達とワイワイ飲む場は全く苦ではないどころか好きである。

ところが自宅等のインフォーマルな場で家族的な雰囲気で語らいあうのは鳥肌が立つほど嫌なのだ。

私はとにかく家族を持ちたくないと思っているし、結婚もしたくないし、子供もほしくないし、交際相手もほしくないし、正直友達もほしくないくらいに思っている孤独大好き人間である。

いつもいつも1人でいることに抵抗を感じない人間である。

1人で十分に楽しめてしまう人間である。

では集団行動は苦手かと言うと真逆で非常に得意だ。

学校でも職場でもどこに行っても集団行動には何の支障もなくむしろリーダー的な感じでまとめることができた。

しかも職場ではかなり社交的で分け隔てなく人と付き合うことができるタイプである。

ところが家族的なものが大嫌いなのである。

では家族間がうまくいっていなくてそのトラウマがあるのか?というと全くそういうこともなく、生まれてから今まで家族仲は大変良好であり両親の愛を受けて恵まれた家庭環境で育ってきた。

しかし、家族を持ちたいとか一ミリも考えられないほど興味がないのである。

そういう雰囲気に耐えられないのだ。

それは何かをバーベキューをしながら考えていたのだがどうも私は未来を信じていないようなのだ。

家族を持つと言うことは一般的に将来に渡る安定を望むということでもある。

一家離散というと不幸なイメージが付きまとうし、家族はできれば仲良くいつまでも存続していくことが一般的な意味での幸福である。

どうも、私はここに違和感を感じているため家族的な雰囲気に耐えられないようなのだ。

なぜかと言うと私はこのブログで何度も書いているように本気でいつ死んでもいいし、というより今すぐ死にたいくらいに思っているし、将来とか未来なんてものは錯覚だと思っているし、全くと言っていいほど信じていないからである。

人生というのはいつもいつも今この瞬間感じられないのだから今以外の自分が感じることができない世界を誰かと一緒になってお互いに想像したり妄想したりする言わば共同幻想みたいな幸福に対してはっきり嘘だと信じているのである。

ここが家族愛を持つ一般的な人達と大きく違うところかもしれない。

私は、今を楽しんでいるし、今を楽しみたいだけである。

将来なんてものは本当にどうだっていいい。

将来を信じて夢を見たくない。

これが私の価値感である。だから家族というものが肌に合わないのである。

それが関係しているのかどうかわからないが私は国家や職場などの共同体に縛られることが嫌いである。

国家を守るために軍隊に入るなんて最悪である。

なんで、自分達が幸福になるために運命を託したはずの国家に自分の自由や生命を委ねて奴隷にならなければいけないのだろう?

自分が不幸になっても守らなければいけない国家というものは一体何なのだ?と思う。

国民のそれぞれが幸福になるために働いたお金から苦労して税金をおさめて政治家を養って国家運営を任せているのにその国家から命令されて兵隊に行かされだり、奴隷的拘束をされるなんてとんでもない話しである。

不幸になるために国家があるのではなく、幸福になるために国家を作っているのである。

国家の存在によって自分が不幸になるのならば国家などないほうがいいし、捨てたほうがいいのである。

私はそういう考えで前の職場を捨てた。

前の職場は一種の独裁国家であり、必要以上の自己犠牲を求められたのだがそれは大変くだらないことだと気付いたからである。

自分が幸せになるために職場で働いてお金を稼いでいるはずなのにその職場を守ると言う名目でどうにも納得ができない理不尽を飲み込んでサービス残業をたくさんやって疲れ果てる毎日を送ることの意味がまるでわからなくなったからだ。

そんな国家(職場)に属する意味なんてないはずである。

私は本気で今日死んでも明日死んでもいいと思っている。

そんな人間が会社や国家の安定的な発展のために自分の人生や幸福を犠牲にした奴隷的な存在になるなんてまっぴらごめんである。

我々は本質的に自由な存在であり、奴隷じゃないのだ。

お金や国のために奴隷になってはいけない。

お金も国家も職場も結局のところ幻想だと思う。

未来のことなど何もわからないのだ。

そのわからない未来のために自分の幸福を捨てて奴隷になるのは最悪。

こう考えて日々を生きていたらいつの間にか1人でいるようになってしまった。