人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生に隠す必要があることなどない

私は物事を分析するのが好きである。

一人で過ごすのが大好きなのだがその多くの時間を分析することで費やしていると言ってもいいかもしれない。

例えば職場でのことを色々と思い出して分析したりする。

あの人がこんなことを言ったのはこういう意味だったのかなとかあの人は本当はこう言いたかったけど気を遣ってこういう風に言ったのだろうなとかあの人のあの表情は何かを隠している感じがするがなんだろう?とかあの人はこの人としゃべっている時は楽しそうだけど、この人としゃべっている時は凄くイライラしている感じがするがその原因は何だろう?とかである。

私は実に色々なことを観察し観察から得た情報をもとに分析するのを楽しんでいる。

そして、その分析の結果があたっていることが多い。

あまりにも多くのことを分析してきたせいで精度があがってきたようだ。

例えば誰かが何かを言ったとすると、過去にその人が言った言葉とか表情とかを思い出しながら多方面から幾通りかの分析をたてる。

そしてその分析同士を比較してみてより正しそうな方を仮決定する。

その後、その分析結果があたっているかを他の情報や他人の証言などから調べて確信を得るというパターンになっている。

こうやって分析ばかりしている生活はなかなか楽しい。

なぜ楽しいかというと他人というものがよく見えてくるからである。

他人が見えるということは人間存在そのものが見えてくるということでもある。

人間なんて、所詮似たり寄ったりな存在だというのがわかる。

人間なんて、食べて寝て排泄して働いて疲れて帰ってきて愚痴を言ってセックスして自慰をしてテレビを見て誰かとしゃべったりSNSやメールなどをやって憂さ晴らしをして時々趣味をやって年をとって老いて病気になって死んでいくだけの存在である。

その過程で多くの嘘をつき、人を欺き、だまし、悩み、苦しみ、後悔し、痛み、楽しみ、泣いたり、笑ったりしているだけの存在だ。

自分が不利なことを必死で隠そうとする人が多いけどよくよく考えてみると隠すべきことなど一つもないように思う。

そういう自分も隠すものは隠しているけど、隠そうとしていることは実は物凄くくだらないことだったりする。

人間とはその程度の存在だと思う。

暇つぶしに色々なことを分析し、自分や他人が隠そうとしていることなどを徹底的に調べて考察してみるとなかなか面白い。

何かを隠そうとしている人は必ず変な行動をとったり、変なことを言ったりするから違和感がある。

その違和感に対して敏感に察知できるようになると面白くなる。

他人の嘘が次第に見破れるようになってくる。

そして、その嘘によって何を隠したいのかが見えてくるようになってくる。

例えば、職場の上司でやたらに上から目線で偉そうで威張っている男がいたらその男は確実に弱い自分を隠して強く見せようと頑張っている。

なぜ、強く見せようと必死になっているのか?を考えてみると自分のコンプレックスを克服したいためであることが多い。

過去に自分の弱いところを他人に徹底的につかれ悩んだり、恥をかかされた経験などが脳裏にこびりついて離れず、それがトラウマになっているからそれを見たくないがために自分を大きく見せようとして虚栄を張って威張っていることが多いのだ。

こういう男というのは世の中に非常に多い。

国会中継などを見ていても安倍首相の答弁からこの人は何を隠したいのかがアリアリと見えてきてしまう。

ということで分析するって意外と面白いし役に立つものだと私は思っている。