人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生を楽しむとはどういうことか?

私は人生を楽しむのがうまいと思っている。


人生を楽しむと言っても色々な価値観があるので例えばみんなとワイワイ遊んだり、友達をたくさん作って飲んで盛り上がったり、どこかに遊びに行ったり、彼女といちゃいちゃしたり、女遊びをしたり、結婚して家庭を作ってお父さんとして子育てを楽しんだりとかそう言った意味でのイメージしやすい「楽しみ方」ではない。


私にとって、そういうのは最も楽しくない。

私は家族的な匂いがするものが大嫌いである。

だから「家」でする食事が嫌いなのである。

ここ最近は家でご飯を食べる回数が凄く少ない。

ほとんど外食にしている。

「外食で済ませている」という言い方があるけどこれは私には当てはまらない。

私の場合、「外食で済ませる」のではなく本来は外食をすべきところを仕方なく「家で済ませている」という言い方になるのだ。

私にとっては、食事とは外ですべきものである。

家で食べるのではなく外で食べるべきものが私本来の食事の在り方だ。

自宅で母親や彼女や奥さんの手作り料理などを食べると想像するだけでぞくぞくと寒気がするほど嫌である。

そういう家庭的な雰囲気が充満したなかで食べる料理はどんなに味が優れていても美味しくない。

もちろん、自分で作って自分で食べるのも同様に嫌いだ。

よく映画などでお金持ちの邸宅で専任シェフが料理を作り家族そろって豪華に贅沢に食べる様子があるけどああいうのも大嫌いである。

これは味が云々という問題ではなくて、とにかく自宅で家庭的な雰囲気の中で和気あいあいとでも静粛にでもなんでもいいけど気心知れた人と食事をするのが楽しくないし、その行為自体が私には美味しくないのである。

私にとって食事とは外(アウェー)で一人で黙々と食べるものである。

どんなお店でもいいからとにかく一人で何もしゃべらずに黙々と食べる。

家族連れや恋人達がワイン片手にしっとりと厳かな雰囲気でディナーを楽しむような絶妙な雰囲気の中に一人で入って行って食事をするのも好きである。

絶対に一人でくるような客を想定していないぞというようなレストランに一人で入って行ってする食事こそ本当の食事だと思っている。

微妙に浮いた雰囲気の自分を楽しみ、哀れみ、居心地の悪さを感じながら、必死に周囲に埋没されないように周りを観察する。

こういう一進一退の攻防のような刺激の中でする食事こそ本当に楽しい食事である。

もちろん、お金の問題があるのでめったにそういう店には行けないけど常にそういう気持ちで食事に挑みたいと思っている。

食事とはホームではなく、アウェーの地でするものなのだ。

だからこそ私は海外一人旅に出て一人で気が向いた時にレストランに入り一人黙々と誰ともしゃべらずにでも毅然とした態度で周囲を観察しながらする食事が心の底から大好きなのだ。

私にとっては人生とは一人で楽しむものである。

他人というものを基本的に想定していない。

他人という存在が入ってくると一気に面白みがなくなって色褪せてしまうところがある。

全て一人で考えて実行し、その結果を一人で背負って結果を一人でああでもないこうでもないと考察し何事かを学び取る。

これが極上の幸せである。

人生というものはその気になれば一人でも十分に楽しめるものだ。

少なくとも私はそうだ。

私の親は仲間をたくさん作って楽しめというようなことを説いていたけどそれが何だと思う。

むしろ仲間を作らずに自分一人だけで孤独に楽しめる人生こそ自分の人生である。

所詮、もうじき死んでしまう他人と孤独を紛らわせながら関わりあったところでどうするのだ?と思う。

それなら、どうせもうじき死んでしまう自分だけをひたすら見つめ続けて孤独を紛らわせるのではなく楽しんだほうが良いと思う。

まあ、そうは言いつつも私は社交的なタイプだから他人と関わるのはそれほど苦手でも嫌いでもない。

仕事においてはむしろ得意なほうだ。

しかし、プライベートにおいては徹底して一人になりたい人間である。

一人で何事もすべて決めて行動しその結果を自分で受け入れていきたい。

他人がいなきゃ楽しくないのではなく、他人がいるから楽しくないのだ。

そうやって偏屈に生きていると面白いことが色々と発見できる。

例えば少し入りづらいレストランに一人で入っていったときの店員の反応であったり、周囲の反応であったりを楽しめるようになる。

そこから色々なことを想像して楽しめるようになる。

どうせ人間はいずれみな死んでしまうのだ。

だとしたら自分を大切にしなければいけない。

他人の為に自分の貴重な時間を投げ捨ててはいけない。

人間の命などたかが数十年だ。

そんな人間が新しい命を生み出したところでいったいどうなるだろう?

所詮ろうそくの灯のように数十年の延命が繰り返されていくだけではないか?

とみんなが思ってしまったら終わりだけど絶対に皆がそう思わないようにできているので私は自分の信念を貫きたい。

人間は子孫を残さなくても良い。

たかが、数十年ずつの延命を繰り返していかなくても良い。

この私という個体を全うするだけでいい。

全てはどうでもいいことだ。

世の中に必要なことなんて実は何もないのだ。

人間が地上から絶滅しても誰も困らないのだ。

困ると思いたがっている心があるだけなのだ。

日本の少子高齢化問題など糞くらえだと思う。

人口減少社会など糞くらえだと思う。

どんなに少子高齢化の為に子供を増やして人口を増やしたところでみなたかが数十年で死ぬのだ。

そんなくだらないことを考えるより今のこの私の人生に妥協しないことこそが最も大事である。

自分らしく生き人生を楽しみ、生を全うして死んでいくことが大事である。