人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生すべては暇つぶし

人生の全ては暇つぶしなのだと思う。

昨日、一日中自分の人生を思い出してみたが全てが無くてよかったと思った。

結局のところ暇つぶしをしてきたという一言で片付いてしまった。

しかもなくても良い暇つぶしだった。

ここではっきり言わせてもらうがありとあらゆる人生はなくても良い。

少なくとも私にとってはそう感じてしまう。

人間一人の人生など魚1匹の人生と大差がないではないか。

所詮、あれをやったりこれをやったり、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、ああ考えたりこう考えたりしているうちに歳をとって病気になって死んでいくのみ。

特に大きな意味はないのだが意味がないと人生に張り合いがないので錯覚しているだけ。

人間など、今日死のうが明日死のうが数十年後に死のうが一緒なのだ。

何をしてもしなくても一緒なのだ。

人生は無意味。

最近、特に仕事の最中に「すべてはどうでもいいこと」と思いを込めて働くようにしている。

こうやって考えて働くくらいでちょうど良い。

私が最も苦手なのは「熱い仕事人」である。

所詮死ぬ前の暇つぶしに過ぎない仕事に情熱をかけても仕方ない。

どうせ何をしても死ぬだけ。お金という空想上の錯覚を増やして喜ぶことがくだらない。

お金をどれだけ儲けても死ぬときが来れば死ぬ。

どんな人も生きている以上年老いていく。

私が海外に旅をして日本の空港について預け荷物を待っている間に感じていることは「日本人が仕事にかけるうざいほどの情熱」である。

空港係員が到着した荷物を秩序立てて綺麗に流れるように注意を払い、「荷物のお間違いに気を付けてください」と叫ぶ。

これを見ると「仕事大国日本」に戻ってきたと心から感じる。

あれを見ながらなんと阿保らしいと思ってしまう。

どんなに荷物が重ならないようにぶつからないように綺麗に配置したところで死ぬことに変わりないじゃん。

そういう細かいところに情熱をかけて本質を誤魔化そうとしていることが嫌らしい。

もっと適当で良いのだ。

こう自分に言い聞かせていないとすぐに本質を見失いそうになる。

適当な仕事人を目指したい。

そして適当な死を目指したい。

完璧に死んでどうするのか?と思う。

完璧に死ぬために準備してどうするのかと思う。

完璧に死ぬために貯金してどうするのだと思う。

今日、ふらっと死ねるような気楽さを求めたい。

何を成し遂げても無意味である。