人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

過去とは何なのか?

過去とは何なのか?いつもいつも考えている。

過去は本当にあったのだろうか?あったとしたら今現在とどういう関係があるのか?

ということである。

未来とは一言でいうと想像である。

人間には超能力がないので時間を早めて未来に到達することはできない。

だから未来はこうなるだろうと想像したり予想したりすることしかできない。

この総体がいわゆる未来 なんだろうと思う。

現在とは今、見ているもの感じていることだと思う。

これもいいだろう。

しかし、過去がよくわからない。

過去はどこに行ったのか?

つい最近まで小学校のグランドで走り回って遊んだり、中学校の友達と自転車で遊びに行ったり、高校のベランダで歌を歌ったりしていた自分はどこに行ってしまったのか?

漠然と記憶の中に残っているけど本当にあったのか?と言われると自信がない。

多分そういうことがあったんだろうなという気はするがとてつもない遠い距離を感じている。

いまだに過去の記憶に対してどのようにアプローチしていいのかわからないのだ。

過去の自分と今の自分とは明らかな相違があるし断絶がある。

小学生の時のようなフレッシュな気持ちで物事をとらえることができたらどれだけ毎日新鮮な気持ちで生きられるのかと思うことがある。

今となっては何をやっても楽しめない。

やる前から馬鹿らしくなることばかりである。

色々なことを学習して記憶が蓄積したからというのもあろうがやる前からワクワクするということがほとんどなくなってしまった。

小学校の頃はどれだけ色んなことにワクワクできただろうと思う。

過去とは何なのか?という疑問に戻るとこれは「記憶」なのだと思う。

結局「過去」とは客観的な形でこうだと提示できるような厳然とある物体なのではなくておぼろげな記憶として各自の脳の中に残っている記憶の痕跡なのだ。

過去とは何か?についてそれぞれの人に尋ねるとみんな全く違う答えが返ってくるだろう。

「あなたの小学校時代は?」と聞けばそれぞれの人がそれぞれの記憶の痕跡から小学校時代を語るだろうし、普遍的なものがあるわけではない。

人類に共通普遍的なものとして客観的な時を指し示す時間というものがあるがこれが過去なのか?というと甚だ怪しい。

時計の時間を認識しそれを過去だと判別できる脳を持った人間でなければ過去だと断定できないだろう。

つまり過去とは人間の脳が紡ぎだした架空の産物なのである。

本当は過去なんてものは存在しないのだ。

世界には作用があるだけなのだ。

それを人間の脳が作り出した「客観的時間」に強引にあてはめて物事を整理し順序付けして過去から未来へ向かって時が流れているように錯覚しているだけなのである。

物事はただ「その時に起こっている」だけなのである。

決して時間の流れのなかで物事が過去から未来へ向かって順序に沿って流れているわけではない。

時間の流れとは人間の頭が考え出した空想の産物だ。

物事の作用を時間という枠に当てはめるとすべてのことが整理されてわかりやすく理解できるからそうしているだけである。

人間がこの世に存在していなければ過去も現在も未来も何もない。

ただ、物事がそこで起こっているだけである。

人間という高度の脳を持った存在が出現して時間が発明されたのである。

本来は時間などなくても何も困らない。

人間は時とともに老いていくがこれは時間が流れていくから老いていくわけではないのだ。

人間体内での物質的な作用により不可塑化が進行した状態を人間の脳が「老いた」と判定し「時間が流れた」判定しているだけなのである。

つまり、意味づけをして物事や作用を整理しているだけなのだ。

すべては錯覚である。