人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

自分を続けるか?他人をやりたいか?

最近、自分が好きになってきたということを前回記事にしてみた。

これは、自分史においてなかなか興味深い発想転換だと思っている。

私は一貫して「この私」が大嫌いであり、早く死にたいと思い続けてきた。

そんな私が、この自分を好きになり、愛せるようにもなってきた。

なぜこんなにも180°近く考え方が変わってしまったのか?

それは、結局のところ「他人もやりたくない」からである。

隣の芝生は青く見えるとよく言われる。

自分の悪いところばかり見て落ち込む日々が続いていると本当に生きていることが嫌になって、他人と人生丸ごと交換したくなる。

しかし、ここでよく考えてみたのだ。

他人の人生がそれほど幸せなのか?ということについてである。

まず、職場の周囲の人を見渡してみた。

結果として誰一人としてこの人の人生をやりたいと思う人はいなかった。

どの人の人生もそれなりに苦労や問題を抱えていて大変そうであるし、結局のところ自分が見ている部分はその人のほんの一部だからその人の人生がどれだけ大変なのかはその人にならないとわからないのである。

ある程度恵まれた環境で働くことができる今の私の職場においてそうなのだから他の職場にいけばもっと大変なことになるだろうし、恵まれた環境の日本においてそうなのだからもっと問題を抱えた国の人達は大変だろう。

あの人の人生も嫌だし、この人の人生も大変そうで嫌だ・・などと考えながら、消去法で消していったら「この自分」はまだだいぶましだという結論に達したのである。

私は、得体のしれない理想的な人間を追いかけていた「幸せの青い鳥症候群」だったのである。

そんな理想的で完璧な人間などこの世におそらく一人もいないのだ。

地上に生きている人間はみな、例外なく何かしらの問題を抱えて生きているし、仮に幸運にもこれまで何の問題もなく幸福な人生を生きてこられたとしてもこの先、いかなる不幸や問題が待ち構えているかは誰にもわからないし、不幸に巻き込まれなかったとしても「死」という絶対的な不幸が口を開けて待っていてそれから逃げることはできないのである。

そう考えると私の人生はかなりましだと言わざるを得ないのだ。

そして、そんな私の人生を肯定したくなり、好きになったり愛したくなったりしたのだ。

世の中に幸福な人間というのはほとんどいないが、不幸な人間は山ほどいる。

一般的に見て平和で豊かな国と言われる日本においても不幸な人間が溢れているのだから紛争が絶えない国や内戦が勃発している国に産まれてきたらどれだけ最悪な思いをすることだろう。

視野を狭めないで広く大空を見渡すようにして視界を広げて考えないと駄目な時に来ていると感じている。

結局のところ、人生にはマシな人生と徹底的に不幸な人生の二種類しかなさそうだ。

私の人生はマシな方だ。

そこに感謝できると自分の人生が好きになれると思っている。