人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

成功した人生と失敗した人生

いつの時代もマスメディアで騒がれるのは成功した人の人生である。

なぜ、いつの時代も「成功した人」が持ち上げられもてはやされるのか?

それは、人間は本能的に失敗したくないからであり、ミスをしたくないからであり、不幸になりたくないからであり、できれば他人に勝ちたいからであり、成功したいからである。

日本ラグビーがワールドカップで3勝し、五郎丸選手などが色々な番組に呼ばれるなどしているがこれもやはり、大舞台で結果を出し、一つの成功を収めたからである。

仮にワールドカップで全敗していたとしたら誰も何も騒がなかったことだろう。

結局のところ、成功した人の人生はもてはやされ、持ち上げられ、称賛されるが失敗した
人は葬り去られるのだ。

しかし、世の中には失敗した人と失敗した人生が溢れており、世の片隅にうず高く積まれているのである。

もうすぐゴミ捨て場に破棄されるのを待つスクラップのように失敗した人の人生の屍が帯をなしている。

この事実にもっともっと注目したらより物事が面白くなるのに・・といつも思う。

人生で成功した人なんてほんのわずかで、ほとんどが失敗に終わるのである。

人生に失敗して死んでいく人が大半なのである。

努力が足りないからだとか運がなかったからだとか生まれつき才能がなかったからだとかいろいろな理由があろうが、とにかく成功とは無縁の軌道をかきながら一度も日の目を見ずに寿命を迎えて死んでいくのが普通の人間の人生である。

こうした普通の意味で成功しなかった人生というのは面白みがないから誰も興味を持たない。

しかし、こうした成功しなかった人生、さらに失敗した人生にこそ真実味や現実味があるし、共感も持てる。

失敗した人が圧倒的に多いからこそ成功した一握りの人が光り輝き、鮮やかに映えるのだ。

芸能界などでも一部の成功した人が番組に出続けているがその陰でほとんど日の目を見られずに消えていく大勢の人達がいる。

いつまで待ってもテレビに出してもらえず、売れることがなく、給料も雀の涙しかもらえず、夢を見ながら極貧の生活を送っている。

そうした大勢の失敗した人生が積み重なっている山の頂上に一部の成功した人が富士山頂の雪景色のように顔を覗かせている。

成功した人の放つ言葉は輝いている。

似たようなことをすれば自分も成功するかもしれないと思ってしまう。

しかし、それは全然違うことにすぐに気づく。

人生とはそういうものでもないようだ。

しかも、成功した人の人生が幸せかというと全然そんなことはなくて、成功したからこそ失うものもたくさんある。

もっと人生に失敗した普通の人生を取り上げてほしいと勝手に思っている。

人生に成功した人の成功談は聞き飽きたのだ。

人生に失敗するのが普通なのだから失敗した人、失敗し続けている人の話を聞きたい。

どこの職場で働いても上手くいかず転職回数数十回のおじさんの極貧生活とかそういう話を聞きたい。

ホームレスになったおじさんの転落人生みたいな本はあるけど、そこまで失敗した人でなくても普通の意味で失敗したと言えるような残念な人生に焦点を当ててほしい。

メディアというのは極端なものしか取り上げないのだ。

マスメディアにとって売れるかどうか?が最大の問題なので自然と両極端になってしまうのだろうがもっと普通の人の失敗人生みたいなものが知りたくなる時がある。

私の人生も普通の意味で失敗した人生である。

しかし、結構これで充実してたりするから侮れないものだ。