人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

死ぬ準備をしてみよう!

私は最近というか少し前から死ぬ準備をしている。

こんな私も30代なかばに差し掛かっている。

同級生も何人か死んでいる。

30歳を過ぎた人の大勢が同級生の死に直面していることだろう。

さすがに10代や20代なら死ぬ準備をする必要はないと思う。

不慮な事故や持って生まれた病気などよっぽどのことがない限り10代や20代で死ぬ確率は低いからである。

しかし、30歳を過ぎると徐々に死という存在が身近になってくる。

同級生や知人、友達などの死も時々あるし、それ以上に親の死なども近づいてくる。

死というものがより身近に感じられるようになるのはやはり30歳を過ぎてからではないか?

私も徐々に死ぬ準備をしているのだ。

死ぬ準備と言っても「どこのお墓に入ろうか?」とか「どんな葬式をあげてもらおうか?」とかの準備ではない。

そんなことはどうだっていいことである。

自分が死んだ後の処理などまだ生きている人達に適当に任せればいい。

私が言う死ぬ準備とは死ぬ前にどのような生を送ればよいか?という心の準備である。

はっきり言ってしまうと人生には全く意味がない。

私が生きていようが死んでしまおうがはっきり言ってどうでもいいことである。

生きていてくれて喜んでくれる人もいるだろうが死んでくれて喜ぶ人もいることだろう。

そして、私の生を喜んでくれる人も死んだら喜ぶ人もまた同じように死んで無になっていくという点で平等である。

つまり、我々はみな平等に死に向かって突っ走っている存在である。

どんなに勉強を頑張っても仕事を頑張ってもコツコツとお金をためたり、結婚して幸せな家庭を築いたり、子供を作ったり、親孝行をしたり、旅行をしたり、豪邸を建てたり、大きな仕事を成し遂げて名を上げたりしても皆あっという間に生を終えていくのだ。

死とは一つの最も安定した形であると思う。

自分が死んでしまうと上述したようなこの世的なことは何もできなくなってしまう。

お金をためたくてもためられないし、使いたくても使えなくなる。

友達や親兄弟や子供や恋人や伴侶とも縁を切ることになる。

しかももう二度と復縁することができないような絶対的な形で縁が切れることになる。

死とはそれほど壮絶な別れなのだ。

だからこそこの世に未練がないような形で死んでいく準備をしておく必要がある。

私たちは皆、できるだけ人生に後悔したくないという思いで生きていると思うが、これを実践するのはなかなか難しい。

つまらないことにこだわり、今を犠牲にすることで後悔を積み重ねてしまう。

致し方ないことであるが、ある程度思い切って人生に改革をしていかないといけないと思う。

悪い縁は断ち切って、お金は使いたいように使って、ある程度言いたいことは言って、やりたいことをやっていく。

そうした自己中心的な生き方を推進していくのだ。

それにより徐々に死ぬ準備を進めていく。

結局何をしたところで時間は過ぎていくし、いずれゲームオーバーになって死ぬことになるのだ。

この人生である程度成功をおさめたとしても次に生まれてきたときは失敗に終わるかもしれない。

人生という複雑怪奇な場所で成功とか失敗とかを定義づけることは難しいが、とりあえず雨風しのげる場所で寝起きできればとりあえずの成功ではないか?と考えることができる。

インドやフィリピンなどに行くと路上で寝ている人がそれこそ腐るほどいる。

もし、今の生活に満足できず、自分を見失いそうになっているのなら思い切って職場を辞めるなどして時間を作りインドやフィリピンなどに行って路上生活している人を見てこればまた生きる活力を得ることができるかもしれない。

いまこうしてそれなりに生きていることの有難さに感謝できるようになるかもしれないからである。

人生において「絶対にこうしなければいけない」とか「絶対こう生きていなければいけない」ことなんて一つもないのだ。

人間は意味もなくふと生まれてきてあっと言う間に死んでいくだけのちっぽけな存在である。

私が生きていることにおける荘厳な意味など何もないのだ。

正直に言うといつ死んでも誰も困らないし、誰も何も気にしないほどちっぽけな存在物である。

もっと好きなことをしてやりたいことをやってみよう。

その方がましだと思う。

全てのことはどうでもいいことである。

仕事もそうだ。

絶対にしなければいけない仕事などこの世にはない。

ただ、自分がそう思い込んでいるだけの話だ。

もっと気楽にやればいいのだ。

私は今が楽しい。

それは今生きていることに感謝できるからであり、この世にすべきことなど何もないことを知っているし、仕事などどれだけ頑張っても虚しいからほどほどでいいことを知ってしまっているからである。

これで良いのだ。

そしてもうじき数十年すれば死ぬことだろう。

何も悲壮ではない。

これが普通なナチュラルな生き方だと思っている。