人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

物事を柔軟に考えられるようになると人生が変わる!

最近、私は物事をできるだけ柔軟に考えるように訓練している。

今まで、私は自分の人生が不幸だと思い続けてきた。

しかし、よく考えてみると私の人生は幸福だったとも思う。

それは人生をどのように考えるかで見方が変わるからである。

物事を一つの方向からしかみないと柔軟性がなくてつまらなくなる。

自分がなぜ不幸なのか?について柔軟な見方で見直してみると案外そうでもないことに気付く。

私には私にしかできないことがたくさんある。

それは他の人も同様である。

私は地球に一人しかいないのだからすべてを決めるのは私自身である。

私がこうだと思えばこうなる。

でもよく考えるとあっという間に死んでしまうわずか数十年という限られた期間を生きているに過ぎず、いつ死んでも誰も困らないと考えれば別に物事をどんな風にとらえようと自由なのだ。

職場などで周りの人を見ていても実に柔軟性がなくてガチガチに固い感じの人と、柔軟にとらえて余裕がある幸せそうな人がいる。

私は今まで前者のタイプであった。

しかし、こうした思考に柔軟性がない人間というのは概して魅力がないものだ。

なんてつまらない人間なんだろうと思う。

「こうでなければいけない」と思うのは自由である。

しかし、よく考えると世の中に「こうでなければいけない」ことなんて一つもない。

人間の最大の不幸は死であると思うが死んでも良いと思えるようになればもっと自由になれる。

人生を自分で狭めてつまらなくする必要は何もないのだ。

どうせ何を成し遂げても何を手に入れても死んでしまうのなら自由に物事を考えて自由に実行してその責任を自分でとる意識でいればいい。

私は今、本当に大学時代に戻りたいなーーって思っている。

20歳の頃、私は本当に不幸であり同時に幸せでもあった。

今度はどこの大学でこんなことを勉強してみたいとかどんなキャンパスで過ごしたいとか色々なことを妄想する。

どちらにせよもう大学生に戻ることはないだろう。

しかし、物事を自由に考えて妄想するのを楽しんでも別に良いではないか?

現実に不可能だからと言って妄想することに意味がないからしないと頑なに考える必要もない。

人生で最も良かった時代に戻り、もう一度やり直すならこんなことをしたいとかこんな勉強をしたいとか思うのは結構楽しいのだからそうやって楽しむのもありだと思う。

人から好かれたいとか嫌われたくないとか思うのもできるだけやめようと思っている。

人から好かれるのは確かに嬉しいけどそれが無理してそうなったものだったら疲れるし、楽しくない。

逆に嫌われたって別にどうだっていいじゃないかと思う。

わざわざ人から嫌われることをする理由もないが、それなりに努力をした結果嫌われてしまうのは仕方ないのだ。

無理して好かれようとする理由は何もない。

それに、人を無理して好きになろうとする必要もないと思っている。

嫌いだったり、苦手だったりするのは自然なことなのだからそのままでいいではないかと思う。

絶対にこうでなければいけないみたいな自分の枠に縛られると人生がとても窮屈になる。

あるがままに柔軟にとらえてしまえば良い。

自分も他人もいずれこの世からいなくなるはかない存在なのだから無理して好いたり好かれようとしたりしないで自然に任せればいい。

食事も無理して3食食べなくてもいいし、無理して2リットルの水を健康の為に飲む必要もないだろう。

そんなことをしたって寿命が少し伸びるくらいのものでいずれ死ぬことに変わりはないのだ。

死という存在を身近に考えることで物事を柔軟に考えることができるようになる。

死とともに私の身体がこの世から消滅し同時に私の概念も消滅する。

そうであるならば私の概念を固定化してつまらなくする必要もないはずだ。

私はこれに気付けたことで確実に人生が面白くなってきた。

もっともっと柔軟に考えることができるようになれば面白みが増すことだろう。

人生とは常に変化していく旅の途上なのだと思う。