人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

本当に必要な仕事なんてどこにもない

働いていると「絶対にこれをしなければいけない」と言う思いに駆られることがある。

しかし、よく考えてみるとこれは錯覚である。

世の中に絶対にやらなければいけないことなんてないと思う。

そもそも私は絶対に必要だからこの世に生まれてきたのだろうか?

だとしたら、なぜ数十年という寿命で死んでいかなければいけないのだろうか?

自分が絶対に必要な存在としてこの世に生まれてきたのなら不老不死でもおかしくないはずである。

しかし、現実は全然違うことに気付く。

数十年から100年程度の寿命で確実に人間は死ぬようにできているし、そこまで生きることさえなかなか困難なことであって実際には電車に飛び込んだり、荒れ狂う海に飛び込んだり、首を吊ったり、水の中に顔を10分程度つけたりすれば死んでしまうような弱い存在である。

その程度に弱い生身の私が絶対に必要な存在としてこの世に生きていると考えるのはどうにも合理的な思考ではないし、そうであるならば私が絶対にしなければいけない仕事などこの世にあるはずがないのである。

このことに気付くと人生がだいぶ楽になる。

職場というところにいるとどうもこのことを勘違いしそうになる時があるし、実際に勘違いしている人もいるのでその影響を受けそうになる。

絶対に必要な仕事があって、それを絶対に私がやらなければいけないのなら私は永遠にその職場で働かなければいけないはずだし、死ぬことすらできないだろう。

そして、もし死ぬことすらできないほど私が必要な存在として職場に雇われているのであればそもそも生まれてくることすらできないはずである。

生まれてくるということは必ず死ぬことを伴うからである。

職場において私が絶対に必要だと思うのは勝手だがこれは完全に錯覚である。

職場という場所はあくまでも私が必要な存在であるかのように、その仕事を絶対にしなければいけない義務を負っているかのようなふりをする。

ところが、あくまでも仮定だが職場の誰かが急死したとしたら「ああ、それは残念でしたね。でも人間はいずれ最後を迎えるのだから仕方ないことですね。」というような言葉をお互いに交わして終わりである。

所詮、我々の存在などその程度のちっぽけなものなのだ。

結局のところどの仕事も「仕方ない」で済む程度の暇つぶしなのである。

それは普段は気づかないのだが、誰かが急に辞めたり、いなくなったり、死んだりしてやむを得ない事情が発生した時に明確にその本性を現すものなのだ。

結局はどうでもいいことであり、どちらでもいいことであり、私が絶対にやらなくてもいいことであり、私の代わりは他にたくさんいるのであり、仮に私の代わりがいなくても事業を停止すればいいのであり、事業を停止して多少迷惑を被る人がでたとしても「仕方なかった」で済む程度のことなのだ。

だって、みんないずれ死ぬんだもん当たり前のことでしょ。

前の職場(大嫌いだった職場)で働いていた頃、完全に仕事狂いしているおばちゃんがいてある時同じチームの会議があって自分はその当日は休日でどうしても会議に出勤できない用事があって休んだところ、後日「あなたがいなくて大変なことになったのよ」と脅しを受けたことがある。

私はそのおばちゃんの脅しの言葉を聞いて心底「この人は私とは違う信念のもとに生きているのだな」と思った。

職場の会議など本当に本当に死ぬほどどうでもいいような、どちらでもいいようなことを延々とぐだぐだとああでもないこうでもないと言っている無駄なものであり、そんな無駄な会議など私ごときの存在が参加しないほうがはるかに効率よく全てがうまくまとまり良かったはずなのだ。

実際に他のメンバーから聞いた話によればたいした話は何もなかったから私がその会議に出なくても何も問題がなかったと聞いた。

しかし、仕事狂いのおばちゃんが言うにはそうではないのである。

その人にとっての仕事とはプライベートも何もかも犠牲にして取り組むべきものなのだ。

まあ、それはその人がそう思う分には何も問題がないし、勝手にそうしてくれればいい。

休日も休まず働いて命をかけて仕事だけに取り組む人生もいいだろう。

ただ、それを他人に強制しようとしている時点で完全におかしいのだ。

悪い職場には往々にしてそういう狂ったような人がいて脅しをかけていることがあり空気をおかしくしていることがある。

性格の悪い私はその人に一言「あなたなんて今すぐ死んでもらっても実際のところ誰も困りませんよ」と言ってやりたくなった。

しかし、これは正真正銘の真実であると思う。

もちろん、私が今すぐ死んでも誰も困らないどころか逆に助かるくらいだろう。

そして残念ながら私以外の誰かが今すぐ死んだとしてもほとんど誰も困らないだろうし、多少迷惑を被った人がいたとしても「死んでしまったのだから仕方なかったね」で済む話である。

これは重要なことである。

自分を特別な存在だと思ってはいけないという道徳的観点から捉えると重要なことなのだ。

残念ながら世の中には確実にここを勘違いして狂ってしまっている人がいるのもまた事実である。

小さなことで大騒ぎして他人を不幸にさせる人間である。

そうした困った人に是非とも一言言いたいと思うのは残酷だが「むしろ騒いでいるあなたが今すぐ死んでくれれば全ての物事は解決に向かいますよ」と言う真実だ。

政治家の中にも残念ながらここを大きく勘違いして世の中を騒がせている方がいる。

引退すると宣言したのに結局引退しないで大騒ぎして党内を分裂させて自分に従わない他人を馬鹿にして貶めるようなことを言い、いかにも自分は凄いんだと自己顕示欲を示して優越感に浸っている元弁護士のおじさんだったり。

もうさっさと引退して世間から姿を消してくださいと言いたくなる。

はっきり言えるのはあなたがいなくても世の中はまわるどころか逆に良くなりますよという残酷な現実である。

あなたがしゃしゃり出てきて改革などしなくても世の中は何も問題がなく回りますし、あなたがやらなくても他の誰かがやるでしょうねということ。

私は自己顕示欲の強い人間が嫌いである。

自己顕示欲は仕事でなくプライベートで示せばよいのだ。

ブログかなんかで好きなだけそうした姿をさらけ出して満足すればいいのだ。

私がこうした自己顕示欲の塊みたいな仕事人間を心の底から嫌いになったのは前の職場で働いているときにそうした人間が何人か上司や経営者にいて心の底からうんざりした経験があるからである。

個人によって価値観が違うのだから仕事に命がけで取り組むのは良いだろう。

むしろ私は仕事に対してそんなに熱くなれないので、私にできない素晴らしいことをしている人だと評価したいと思う。

しかし、それを他人に強制したり押し付けたり顕示して抑えつけようとしたり、他人を貶めようとしたりするのは全然違うと思う。

はっきり言わせてもらうと私は別に誰が仕事ができようとできなかろうと頭が切れようと鈍かろうとどうでもいい。

最も問題なのはその人の仕事における能力や才能ではなく人格である。

私は仕事ができても人格が悪い人間とは働きたくないのだ。

頭が切れてバリバリの弁護士や医者など世の中を見渡せばたくさんいることだろう。

それは確かに素晴らしいことだと思う。

しかし、自分の言っていることは絶対に正しく相手は間違っているからと他人を見下し馬鹿にし、敵対するようなことを平然とするような人間は大嫌いである。

あんた、確かに仕事ができるかもしれないがどうせ死ぬじゃないと真実を突き付けてやりたくなる。

どうせたかが数十年で死んでいくちっぽけな人間の一人である自分を何か特別の凄い人間だと勘違いして上から目線で物を申すなんて全くもってナンセンスだと思う。

それは私のようにブログの中だけで済ませてほしいと思う。

「私」がこの世に生きているということは確実に害悪である。

この事実をまずまっすぐに受け止めるべきである。

この世に絶対に必要な神様みたいな人間などどこにもいないのだ。

人間はもっと謙虚にならねばならない。

確かに他人を見下して馬鹿にして自分は凄いと思って優越感に浸るのは気分が良いだろう。

それが人間の持つ醜さであり、弱さでもある。

しかし、それを公衆の前面にさらけ出すのは本当にみっともない。

結局、その程度の人間なのだと烙印を押されてしまうのだ。

前の大嫌いな職場で働いていた頃の上司がまさにそうした自己顕示欲の塊みたいな人で心の底から「あなたは器の小さい人間だ」と叫びたくなるようなタイプであった。

今の職場に来て本当に器が大きい同僚や上司と働けて私は幸せである。

結局のところ、器が小さい人間というのは他人をやたらに気にして自分がその気にしている他人に勝とうとばかりするから自己顕示欲が強く見えるようになるのだ。

所詮数十年で死ぬ運命のしょぼい人間ごときが他人に勝とうが負けようが本当にどうでもいいことであるし、そもそも勝つも負けるもないはずなのである。

なぜなら皆、持っている遺伝子が違うのだから、同じスタートラインに立っていないのだから。

本当に器が大きい人間というのは他人を思いやれる人間である。

あいつはこうだから馬鹿だと切り捨てるのではなく、あいつはこうだから問題があるけどこんないいところもあるということに気付き相手に自分を合わせていく努力をしていける人間である。

私はそうした器の大きい人間といつも仕事をしたいと思ってきた。

今の職場はそうした器の大きい方が上にいるから不思議とストレスが全くない。

そうした雰囲気だからこそ個人の醜い争いも起こりにくくなる。

私のブログの中で最も読まれている記事は「仕事とはただの暇つぶしである」という記事であるが私はこの言葉は何度考えても真実だと思っている。

仕事なんて所詮暇つぶしなのだ。

だからこそ他人をけなし、潰すことに生きがいを見出し自己顕示欲を高めるのではなく他人を思いやる努力をすべきだと思う。

私は職場から帰ってくるといつも自分の行いを反省し振り返るようにしている。

自分が害悪な存在物であるからこそ傲慢なところはなかったか点検し、色々ダメなところを反省している。

ある程度うまくいった日と、ダメだった日があり、自己嫌悪に陥ることが多い。

しかしこうした努力は決して無駄ではないと思っている。

自分の態度を謙虚に反省する努力さえ失ったら本当に人間ではなくなってしまう気がしている。

私は仕事とは常に距離を置いておきたい。

本当に必要最低限の仕事だけをして、その結果に責任を取って、あとは好きなことをやって死んでいきたい。

仕事ができたり、たくさんこなしたからと言って傲慢になったり、後悔したりしたくない。

あの人がいてもいなくてもどっちでも良いねと思われるような空気のような存在を目指しているのだ。