人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生は魂の道場か?

私が尊敬する美輪明宏さんの本を読んでいると「人生は魂の道場だ」ということがよく書いてある。

彼によると人間はこの世で修行をする為に生まれる前に自分で自分を選んで産まれてくるそうだ。

産まれる前に次はこういう自分に産まれてこういう修行をしようと魂が決めてから誕生するらしいのである。

人生に次々と不幸や苦しいことつらいことが降りかかってくるのはそれが自分自身を高める修行のためらしいのである。

美輪さんの本を読んでその考え方を初めて聞いた時にはっきり言って信じられなかった。

しかし、最近になって確かにその通りかもしれないと思っている。

この世で生きることは修行である。これは多くの人が認めざるを得ない現実であろう。

その修行の目的は何なのか?これはつらい修行に耐えて心身を鍛えて魂のランクをあげるためだと言われたらまあ間違っている感じもしない。

ただ、一つ納得がいかなかったのは産まれる前に自分を選んで産まれてくるという点である。

私が私に産まれたのはただの偶然の結果であり、誰が決めたものでもないと思っていたのだ。

しかし、最近もしかすると「自分を選んだのは自分かもしれない」と思うようになった。

というのも、自分の中には解決すべき課題みたいなものがはっきりと見えながらもなかなか解決できずもやもやし苦しんでいる部分を感じているからである。

私には私なりの容易に解決できない葛藤やもやもやや悩みや苦しみがずっとあってそれは困難であるがなんとか解決に向けて取り組みたいと思っている。

他人にも同様に解決すべき悩みや苦しみを抱えているように感じられるのである。

自分の中の悩みや苦しみや葛藤と向き合うのは非常に苦しい。

できれば目を背けて考えないようにして日々を過ごしたいし、先送りしたい。

しかし、そうやって解決する努力を引き延ばせば引き延ばすほど目の前にちらちらと葛藤が現れては消え、現れては消えを繰り返し煩悩に煩わせられることになるのだ。

やはり、自分の解決すべき課題からは目を背けてはいけないのではないか?と思うようになっている。

その苦しさと正面切って向き合い解決のためにもがく努力こそが、私の生きる目的であり、産まれてきた意味なのではないか?とも感じるのである。

それはなぜそう思うかというと他人からヒントを得たのだ。

職場で苦手な同僚の中に毎回、毎回同じことで他人をいらつかせる人がいるのだがその人を見ていてふとそう思ったのである。

その人が毎回毎回同じようなことでそうした失敗を繰り返すのは勇気を持って自分を見つめることを逃げているからではないか?と
感じたのだ。

毎回、毎回自分が悩んで耐えて乗り越えなければいけない課題がやってくると感情的になり他人に責任転嫁して逃げて一時的な難を乗り越えてきたからこそ解決が図れず他人にストレスを与える結果になり、自分もそれで苦しむことを繰り返しているのではないかと。

「他人のふりを見て我がふり直せ」と言う言葉があるけど自分の中にも同じようにどうにも見たくない嫌な部分があってその嫌な部分がふとしたきっかけで出てしまった時にそれを他人に責任転嫁して解決を図ろうとすることがある。

他人には他人の自分には自分の課題がありそれは決して他人に解決を委ねようとしたり、責任を押し付けたりしようとしてはいけないのではないか?

苦しくても自分でその苦しみを負わなければいけないのではないか?と思う。

しかし、これは実に苦しいことだ。

だからこそ多くの人はそこから逃げだそうとする。

特に心が弱い人はその傾向が強く、自分もその一人である。

心が弱いと言って言い訳をして逃げてしまうのは解決から遠ざかることになる。

やはり、正面切って向かい合わなければいけないと思う。

私が以前働いている職場にいたお局の女性は色々な本やネットの情報などから推察するに確実に「自己愛性人格障害」と呼ばれる人格障害に当てはまっていた。

この「自己愛性人格障害」の特徴は「自分の醜い部分、駄目な部分、良くない部分、悪い部分」などを他人に投影することで自分の身を守るということである。

だからそのお局女性はいつもいつも他人の粗を探し、悪口を言い、人をこきおろし、ひどい態度をし、威圧感を出し、きつい口調で仕事をしていた。

なぜこういう行動に出るかというと自分を守るためなのだが何を守ろうとしているかというと自分の中の解決すべき課題である。

本来自分がすべき必要な努力の部分を正面切って向き合わず他人に無理やり押しつけて逃げ回ってこれまで生きてきたからそうなっているのである。

だから毎回毎回同じことでイライラし、ちょっとしたことにキレ、他人を信じられず疑心暗鬼になり、他人を苦しめていた。

これは完全な自業自得である。

こうした心が弱い自己逃避型の人間というのは必ず職場にいて周りの人に害を与えている。

そうした人と関わるとなぜか知らないが毎回嫌な思いをするようになっているのだ。

それはその人が苦手としてきた課題に向き合わず他人任せにしてきたからこそそのツケを他人が払うことになっているから。

私自身もそうで解決すべき課題から逃げてきた人間である。

しかし、この生き方は限界があると思っている。

どこかでこのツケを自分で払わなければいけないように思っている。

自分で作った借金は自分で徐々に返す努力をしなければいけない。

これが人生の修行であり、人生が魂の道場だと美輪明宏さんが言う理由であり、自分が自分を選んで産まれてきたことの根拠であるような気もしている。

ということで、私は職場の苦手な同僚から一つ学んだ。

その同僚が逃げて解決してこようとしてこなかった課題と自分自身が逃げている自分の課題だ。

やはり、人間は自分から逃げてばかりでは駄目だし勇気を持って自分の駄目なとこを見つめないといけないし、そのツケは必ず後からくるのだということだ。

今までたまったツケはすぐに払えないが、徐々に時間をかけて払っていけばいいと思う。

そうした心の修行の全般が人生の目的なのかと思っている。