人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

転職を繰り返すことが問題にならない考え方

世の中には転職を繰り返しているいわゆる「落ち着かない」人がいて一部の人からはダメな奴という烙印を押されている。

これは確かにそういう見方もできるだろう。

転職を繰り返している人は問題を抱えている場合が多いからだ。

人格的に問題があって周囲と絶えず軋轢を生みだしてしまい孤立している場合もある。

または、熱しやすく冷めやすい性質で同じ組織でしばらく働いているとすぐに飽きて新しいところに行きたくなる人もいる。

精神的に安定感のある人は長く組織に勤められるというのもその通りだと思う。

しかし、私は転職を繰り返す人にたいして特に問題だと思わない。

私はすべての人間が生きている限り生きていることそのことが問題だという見方をしているのだ。

実を言うと生きているということはもうそれだけで大問題なのだ。

なぜなら確実に数十年もすれば死ななければいけないからである。

これ以上の大問題はどこを探しても見当たらないはずである。

人間の各個体が永遠に死なない存在であるならば転職をせずにじっと一つの職場で長く勤めることによる美徳が評価されるべきだろう。

永遠に死なないのであればヤドカリのように新しい貝殻を求めて探し歩くのは馬鹿らしいからだ。

しかし、我々はわずか数十年で死んでしまう存在なのだから最後の抵抗として転職しようが何をしようがいいと思う。

結局何をやっても無駄なのだが無駄なあがきをするしないは個人的な小さな問題である。

個人的な小さな問題など死ぬ直前には吹き飛んでしまうような軽いものだ。

しかし、もっと本当のことを言ってしまうと死ぬ直前にはどんなに大きな問題も一瞬のうちに吹き飛んでしまうようになっている。

人を何人殺して来ようと何億円の借金があろうと逆に何兆円の資産があろうと友達が何人いようと恋人が何人いようと天涯孤独であろうとどんな大病をしていようと死ぬ直前数秒前にはもう何の意味もなさない。

それらの現世的なことが意味をなすのはせいぜい死ぬ数日前くらいまでだろう。

明日死んでしまうとなればもうほとんどすべての問題は問題でなくなるしそれが数秒前ともなれば余計に何も問題がなくなってしまうはずである。

問題と言うものは実はすべて自分と言う個人が生きていることによって発生しているのだ。

私が問題だと認定したからこそ問題になるだけなのだ。

問題を問題だと認定する私と言う存在が死んで消滅した瞬間に全ての問題は跡形もなく消え去っていくのである。

これは大変興味深い事実である。

死ぬ直前にはすべての問題は問題でなくなる。

なぜならそれらすべての問題はもう解決できなくなるからである。

問題というのは少しでも解決の可能性が残されているから問題なのだ。

死んでしまったら解決することは原理的に不可能なのだ。

100メートルを10秒ジャスト近くで走ることができる人にとっては9秒台を目指すのは当然だし、10秒を切れないのは大きな問題であろう。

しかし、これが走っている最中に突如心筋梗塞か何かを起こしてあの世に逝くことになったとしてその死ぬ数秒前には9秒台で走ることはもう問題ではなくなってしまうのである。

100メートルを9秒で走れないという問題から自分が死ぬという問題に一気に切り替わるからである。

この大転換は注目に値する。

それは我々全員が遅かれ早かれ直面せざるを得ないからだ。

今現在お金がなくて困ったり悩んだりしている人も、友達が少なくて悩んでいる人も持病があって悩んでいる人も時間をずっと早送りしていくと死ぬ数秒前に達することになる。

この死ぬ数秒前までくると実はすべての問題は吹き飛ぶことに気付くのだ。

死ぬ数秒前にお金があろうがなかろうが友達が多かろうが少なかろうが持病があろうがなかろうが最早何も関係がない。

死ぬことは必ず起きる自然現象であり、それを回避することはできないのだ。

そして死んでしまう以上、我々は抱えていた問題から永久に近づけない遠方へと離れていってしまう。

我々は生きている限りありとあらゆることを悩むが実はこれらは本質的に何も悩まなくて良いことである。

その理由は前述したとおりである。

死んでしまう以上何を悩んだところで結果は同じだからである。

自分を誤魔化したくて安心したい人からすれば受け入れられないことかもしれないがこれは事実である。

しかも今死んでも数十年経ってから死んでもほとんど変わらないのだ。

人生など気楽に考えてしまえばよい。

別に何をしてもしなくても何を悩んでも悩まなくても結果は同じわけだから。

ただ、今を楽しく生きられればそれで良いのだ。