人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

続けるということ

一般的に「何かを続けること」は素晴らしいことだと思われている。

何をやっても続かないと思って悩んでいる人は世の中にたくさんいると思うがそうは言っても「生きている」ことを続けていることは確かである。

それでは生きていることは素晴らしいことなのか?

私は生きること自体、実に阿保らしく、馬鹿げたことだと思いながら生きている。

しかし、嫌々ながらもう30年以上も生き続けてしまった。

他のこと(仕事や勉強や友人関係など)はあまり長続きしなかったがこの自分自身を生かし続けることに関しては一応人並みに続けてきたのかもしれない。

人並みとは何なのか?これもよく考えるとわかりにくい概念だ。

30歳を過ぎると徐々に人間の能力はあらゆる意味で下降していくというのは一般的に知られた事実である。

体力的にも20台に比べれば落ちる人がほとんどだし、外見的にも20歳の頃に比べれば老けているのは当然だ。

つまり、死が徐々に近づいてくるということである。

近づいてくる死を気にしたり、気にしないふりをしたりしながら我々は確実に一つの方向へと向かっているのだ。

そんな中で、毎日阿保らしいことをしながら生きてる。

その中で最強のものの一つは仕事だと思う。

仕事ほど馬鹿げたことは他にないのではないか?と考えることがある。

なんでこんな馬鹿げた阿保らしいことに自分の命を燃焼させなければいけないのだろう?

そして、こんなくだらないことを毎日同じように続けなければいけないのだろう?

私は毎日こう思いながらも嫌々職場に行って働き帰ってくる。

間違いなく仕事は私にとって馬鹿げたものに見えるが、それでも嫌なことを嫌々ながら続けることに多少の意味も感じている。

それは仕事というものが人間を理性的な存在たらしめるものだと思うからである。

人間がただやりたいことをやりたいだけやって安楽に生きていられる存在であればもっとずっと毎日気楽であるが、そうした生活が本当に理想的な人間のあるべき姿なのかどうかはわからない。

人間を人間たらしめるものの中の一つに自分の感情を理性でコントロールする力があるだろう。

仕事の中で嫌だなと思ったり、イライラしたりすることはたくさんあるがこれを理性の力で抑え我慢し自分をコントロールするという作業を毎回強いられることになる。

これが結果的に身心の鍛錬になるのだ。

馬鹿らしい、阿保らしいと思いながらそれを我慢して口に出さず感情をコントロールしながら黙々と作業をこなす。

この行為自体が人間らしいことなのかもしれない。

そう自分に言い聞かせながら阿保らしい仕事を毎日繰り返している。

本当に人間とは悲しい性質を持つ生き物である。

毎日なんでこんなことを繰り返さねばならないのだろう?

しかし、続けるということは一つの価値を持っていることも否定できない。

この嫌々な感情を飼いならし理性的な人間を目指すための修行として続けることは必要な気もする。

仕事は楽しいものではないと思っている。

仕事が楽しかったとしたらそれは危険な状態かもしれない。

仕事とは嫌なことを嫌々するもの。

私は端的にそう思うし、それで別に構わないと思っている。

むしろ毎日仕事に行くのがワクワクするような状態になったら何かおかしな兆候があるかもしれないので自分自身を点検するべきだと思う。

楽しいことをしたければお金を払ってするべきだと思う。

その逆のことをするのだからお金をもらえるのだ。

別に仕事が嫌で一向に構わないのだ。

むしろそれは健全な状態である。

ただ、それでも続けていると多少はいいことがあるものだ。

仕事とは所詮その程度のものだ。

私は仕事が大好きで仕事にのめり込み大きな成果を挙げた人を尊敬してもいない。

そういう生き方もあっていいが、自分はそうしたくないし、その力もないというだけだ。

自分は仕事に対して常に冷めていたい。

仕事を心の底から虚しいものとして諦め、嫌々と続けたい。

それが人間らしいと思っている。

私は物事にあまりのめり込みたくないのかもしれない。

最終的に死で終わるこの人生がどうにも虚しくてたまらないのだ。

大変考え方が暗いのである。

しかし、それも含めて私である。

自分に忠実に従うしか生きる術はなかろう。

ああ、今日も仕事だ。嫌だなあ。