人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

「今」の中に全てが詰まっている

私は以前から「将来のために・・」と考えて何かをするのが苦手であり、嫌であった。

子供のころから親に「将来のために貯金しなさい」とか「将来のために勉強しなさい」とか言われた記憶があるけどよくよく考えると将来って一体何なの?と思ってしまう。

これが大人になると少し言い回しが変わってきて「老後のために・・」と言う言葉になる。

「老後のために節約して貯金しよう」とか「老後のために健康を維持しておこう」とか「老後のために趣味を見つけておこう」とか「老後のために友達を増やしておこう」とかいくらでもフレーズは思いつくことができる。

子供の頃に「将来のために〇〇しておきなさい」という親や教師からの訓示と「老後のために〇〇しておこう」という自分自身からの訓示はほとんど同じ意味合いで用いられているのだ。

では、老後が来たらどうするのだろうか?

実は、多くの人がうろたえるのである。

老後などまだまだ先のことだと思って生きてきたのにいつの間にかそういう時になってしまった。

さてどうしようか?

ここで、不安が倍増してくる。

しかし、よく考えてみるともう老後なのだからこれより先に待つものは死ぬことくらいしかないはずである。

そこで、就活しましょうとなったり、子供や孫のために財産を残しておこうとか、最後に行けなかった旅行でもしておこうとなるのだ。

世間一般のレールに乗るとだいたいこういう形で人生が終わっていくことが想像できる。

とても虚しい話である。

結局のところ「死」が怖いから少しでも先延ばししておこうという発想が基になって作られたストーリーみたいなものなのだ。

私は将来のために何かをすることが嫌いだからひたすら「今」のために生きたいと思っている。

しかし、「今」のために生きるということは将来のことを考えないことであるからそれなりの覚悟がないと不安に襲われるものだ。

健康に安心して長生きを目指す人にはあまりむかない生き方でもある。

ただどんなに長生きしても行き着く結果は皆同じなのだ。

そこから逆算して「今」を生きていけばいい。

全ては「今」の中に詰まっている。

「今」やらなければ将来できる保証はない。

そう思って「今」に集中して「今」だけを充実させることだけ考えていればいい。

この思考もよく考えてみると虚しいことに間違いないだろう。

「今」やったことはその端から次々と目の前から消え去っていってしまう。

ブラックホールに吸い込まれていくのだ。

あたかも最初から何事も起こらなかったかのように行為は次々と消滅していく。

あまり「今」にのめり込み過ぎるのも考え物なのかもしれない。

ただ、将来のために色々と細かく計算して打算的に生きるのは最高に馬鹿らしい気もする。

老後の老後はないからだ。

老後が来てから何かをしても遅い気もする。

でも、だからと言って「今」何かを始めたところで結果は同じ気もする。

これをさらに延長していくと「子供」の頃から何かを始めたところで結局ほとんど同じ気もする。

全てはどうでもいいことなのかもしれない。

いやそうなのだろう。

全てはどうでもいいこと、どっちでもいいことの集合体なのだ。

私は「ニートの歩き方」という有名な本を書いたphaさんの考え方が大好きである。

~引用「ニートの歩き方」P10~

「人生なんて、天気の良い日にぶらぶら散歩して、美味しいごはんを食べてゆっくりと風呂にでも浸かればそれでしあわせなものなんじゃないだろうか。でも、会社と言う組織に属しているとその組織の雰囲気に縛られて、そういう人生の基本的なところを忘れてしまうことがある。ちゃんと働かなきゃいけない、真っ当に生きなきゃいけない、他人に迷惑をかけてはいけない、といった強迫観念がみんなを縛り付けているせいで、日本の自殺者は年間三万人もいるんじゃないだろうか。日本人は周りにどうみられるかを気にして自分を犠牲にし過ぎだと思う。もっと全体的に適当でいい加減になっていいし、それで社会が不便になるなら不便になってもいい。~中略~もっとみんなだらだらしよう。あんまり先のことを考えすぎても仕方ない。人間いつ何が起こって死ぬかわからないし、いつかは絶対に死ぬ。人生なんて死ぬまでの間をなんとかやり過ごせればそれでいい」

本当にその通りだと思う。

私にとって「ニートの歩き方」は人生のバイブルみたいなものだ。

一つ一つ全ての言葉に納得できてしまう。

私は、必要以上に頑張っている人が苦手だ。

頑張ろうと気を張っている人と一緒にいると疲れるしそういう上司と一緒に働くとこっちまで急かされる感じがして落ち着かない。

結局そういう人というのは何かを無性に恐れているのだ。

その結果「今」という貴重な瞬間を置きざりにしているのである。

phaさんが言うようにもっと適当にだらだらしていいのだ。

どうせ死ぬのだから、焦る必要は何もない。

私が今回タイトルにした「今」の中に全てが詰まっていることとはそういう意味でもあるのだ。

「将来」にしがみつかず、適当に「今」やりたいことをだらだらとやって死んでいく覚悟である。

死が30秒前に迫っているときの30秒間の過ごし方を想像してみるともう諦めるしかない。

あの諦めの境地である。

じたばたしたところで結果は同じなのだ。

そして、我々は常にそのそばにいるのだ。