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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

細かいことを気にするなと言うけれど

人生において細かいことを気にしないことは大変重要な能力だと思っている。

できることなら、取るに足らない細かいことは何も気にしないでさらっと流して生きていくメンタリティーを持っていたい。

世の中にはそう考える人も多いようでその手の「小さなことにくよくよするな」とか「細かいことにはこだわるな」的なことをタイトルにした本がたくさん出回っている。

読んでみると確かに内容的には納得できる場合が多い。

細かいことを気にすることにより色々と無駄なエネルギーを使ってしまうし、時間のロスも大きい。

それならさっぱりと忘れて前を向いていけばいいのだ。

これは論理的にはその通りなんだけど実現することが大変難しいことだと思う。

結局のところ細かいことをいちいち気にしたり、くよくよしたりする人というのはそういう性質を生まれつき持っていると思う。

自分もそうなのだが生まれつき神経質な人というのは本当にちょっとしたどうでもいいことにすぐに囚われて引きずられてしまう性格なのだ。

これを自分自身の意識を変えて治せと言ったって、どだい無理な話でほとんどは失敗に終わるだろう。

世の中にはどんなに食べたり飲んだりしても全然太らない体質の人がいる一方で少し食べただけでしっかり肉となって身体に蓄積されてしまう体質の人もいる。

これと一緒で細かなことが最初からほとんど気にならない人とやたらに気にする人がいるのが現実でこの両者の差と言うのは結局のところ生まれ持った遺伝子レベルまで遡るのではないかと思う。

神経質で細かい人というのは雨後の筍のように次々と不安や心配が沸いてくる。

これをモグラ叩きゲームのようにバシバシ叩いているとそれだけで神経が疲弊してしまうものだ。

それでも何とか社会生活が送ることができればまだいいほうだが病的な状態になり、常に不安で何かを確認し続けないといられなかったり、手を洗い続けないといけなくなったりしてしまうようになるともう手がつけられない。

こういう人達にどんな助言をしても無駄であろう。

人類が不幸であることの一つはこうした遺伝子に根差した病気を根本的に治すことができないことにあるように思う。

世の中には色々な病気があるが根本から治すことができるのは一部でほとんどは対処療法的な効果しかなく、自分の身体の持つ潜在能力を使ってなんとかしていかなければいけないからだ。

細かいことをいちいち気にする性格を治すことは今の科学技術ではほとんどできないように思う。

治そうとしても無駄だから受け入れる訓練をしていくだけだ。

今の自分の心の在り方を常に外から客観的に見る訓練をして自分の状態がどういう状況なのかを冷静にモニターしていく訓練である。

これをやるだけで多少は楽になるように思われる。

自分を外から見るように意識すると恐ろしいほど情けなくなってきてまた落ち込むのだがこれも致し方ないことだ。

とにかく人生に期待してはダメなのだ。

他人にできて自分にできないことなど山のようにある。

自分ができないことを認め受け入れがっかりし、それを仕方なく思ったまま生きていれば良い。

人生に近道はないのだと思う。