人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

知らないというのはいいこと

人生において「この先」がわからないということはなんとも心強いことだと思うことがある。

自分の場合例えば高校時代に30過ぎの今の自分の状況を1ミリも想像できなかった。

まさかこんなことになるとは思いもよらなかったけど今考えてみるとどれもこれも致し方なかったことなのだと諦めもつく。

誰のせいでもない自分が悪いのだと思うしもっと踏み込んだことを言うと無責任に私をこの世に産みだした親も悪い。

それでも30年以上なんとか生きてきたのだから運がいいのだと思うし、それなりの生命力があると言っていいのだと思う。

もっと早く亡くなっている人は世界規模で見れば本当にいくらでもいるのだ。

日本では30代で死ぬ人は早死にだがアフリカでは平均寿命が50歳くらいのところもまだあるのだ。

そんななか、望みもしないのにもう既に30代半ばまできてしまっていることはありがたいことかもしれない。

もう本当にいつ死んでもいいのだがまだ迎えがこなそうな気がする。

先のことはあまり考えたくない。

どうなろうが別にどうでもいい気がする。

人間の人生は残酷なものだ。

どんなにお金を貯めても友達や恋人をたくさん作っても思い出をたくさん作っても確実にたかが100年程度でそれら全てと縁を切って死んでいかなければいけないからだ。

これを残酷と言わずしてなんと言うべきか。

逆に言うと人生において何も期待すべきことはないのかもしれないし悲惨な人生であればあるほど死んで無になることにメリットは大きいのだからいいことかもしれない。

自分が生まれる前に自分の人生がわからないというのはありがたいことだ。

自分の人生が何もかもわかっている状態で産まれてこなければいけないとしたらなんとつまらないことか。

何も知らないからこそ耐えられると思うし、その中で偶然出会う幸運にも素直に喜べるものだ。

人間の人生なんてどうせろくなものではないのだから物事は知らなければ知らない方が良いのだ。

海外一人旅の良さはこういうところにもある。

私は外国人でありその国の言葉を初め何もかも全然わからない状態で異国で過ごすことになる。

これが精神衛生上大変に素晴らしいのである。

現地人の話していることがなにもわからないからこそ安心して過ごせるのである。

常にこうした「何も知らない状況」で生きていられたらどれだけ幸せなことだろう。

そう考えると先のことなんて何も考えなくても良いのだと思えてくる。

人生の先を読んで先回りをして準備しておく必要なんて全くない。

その時その時で勝負していったほうが結果論として楽しめるのではないか?

ただ、あまりにも何も考えていない人間というのはだらしなく見えて魅力がない。

なんとなく方向性だけでもぼんやりイメージしておいてあとはでたとこ勝負で良い気がする。

私はあとどのくらい生きるのか?自分でもよくわからないけどまあこのままいけば後悔なく死ねる気はする。

別に残したいものも何もないからその時はいつ来てもいい。

できるだけ機会があれば外国に出て気楽な気分でぼんやりまったり過ごしたいと思っている。