人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

生きていることそのことが修行である!

人生とは修行そのものであると思う。

人生とは死ぬまでの暇つぶしだとも思うが、「暇つぶし」というとなんだか楽な感じがするのでもっと端的に「修行」と言い換えたほうがわかりやすい気がする。

どんな人生であっても生きるということは修行なのだ。

そしてこの「修行」は例外なく「苦行」なのだ。

それはこの地球上に生きている生命全てが例外なくそうなのだと思う。

もちろん生きている人間は全員例外なく生きている間は修行をしている。

よく宝くじが当たってお金に困らなくなれば人生バラ色だとか生まれが金持ちで恵まれた容姿を与えられれば幸福な人生がおくれると勘違いしている人がいるがこれは間違いである。

どんな人間に産まれてきてもどうあがいても人生は苦しいことに変わりない。

この絶対的な事実に注目すると少し安心することができる。

人間というのは生まれながらにして不完全な存在なのだ。

どんなに優れた存在として恵まれた状態として産まれてきたとしても完全な状態ではない。

そして、生きていることは何らかの形で苦しみを伴うものである。

息を吸ったり吐いたり、食べ物を食べて排泄して、歩いたり走ったりし、何かを感じたり考えたりしているだけでも実は人生というものは苦しいものだ。

働かないで生きていくことができるほど豊かでも別の何らかの苦しみが絶えず襲い掛かってくる。

それに常に状況は変化し続け孤独感に苛まれ、身体は日々老化して死に向かっていくのだ。

どんなに恵まれた状態であったとしても産まれてきて生きている人間は苦しい状態に投げ込まれているのである。

そう考えると我々はこの苦しい状態に耐えて修行することだけが求められているわけだ。

今の苦しみを我慢し、じっと耐えてやり過ごし、時々幸福感を感じてまた苦しい時間を耐え忍んでいく。

人生とはこの繰り返しなのかもしれない。

生きるということはそういうことである。

楽な人生なんてものは原理的に存在できないのだ。

「完璧な人間」というものが空想の産物でしかないように「楽な人生」なるものも空想の産物に過ぎない。

人間の頭が勝手に生み出した想像の世界にしかそれは存在していない。

そうであるならもう死ぬまでの一瞬を諦めて耐えて生きていくしかないのだ。

自分を受け入れることも修行であるし、他人という存在を我慢するのも修行である。

もちろん職場に行って働くのも修行だ。

修行とは与えられた状態を耐え忍ぶことである。

そして、不思議なことに生きている限りどんなに逃げようともこの苦行から逃げられないようになっている。

諦めて積極的に苦行に飛び込んだほうが逆に楽かもしれない。

1300年の中で2人しか成功していない「千日回峰行」のことを知って人生とは修行なのだと実感したのだった。


千日回峰 途中で辞めれば首を吊って自害する