人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

自分の人生を続けること

自分の人生を続けること・・それこそがこの世で最も尊いことのような気がしている。

なぜならそれは一言で言って「苦しい」ことの連続だから。

人生は苦しいからこそそれに耐え忍ぶことに価値が生まれるのである。

自分より苦しい状況にある人は世の中にいくらでもいるだろう。

しかし、自分より苦しいという客観的状況を想像することはできても自分自身が身をもって感じることはできない。

自分が感じることができるのは自分自身の苦しさでしかないのだ。

これは非常に重要なポイントだと思う。

自分自身の苦しみを自分で引き受けてそれに耐え忍ぶこと・・それが人生の生きる意味なのだと思う。

そこに恐らく意味はないだろう。

しかし、ある時ふと生まれさせられどういうわけか今こうして生きている事実を大切にしていこう。

8年前にインドに行ったときにマトゥラーという街に数日滞在した。

とある安宿に泊まった時に寝ていたらドアを叩く音がした。

ドアを開けたら宿の主人が部屋の中に入ってきた。

英語で「娘にもうじき子供が生まれ、お金が必要だから援助してくれないか?」と言ってきた。

丁重にお断りしたがそれほど腹がたったわけでもなかった。

インド人と日本人の文化の違いを肌で痛感したものだ。

日本人は通常そんなに厚かましいことを平然とする勇気はない。

働いているホテルのゲストの部屋に押しかけてお金に困っているから援助してくれなんて言う日本人はまずいないだろう。

しかし、インドという国は良くも悪くもストレートである。

相手がどう思うかというよりも自分がどう思うかを主張してくる文化がある。

マトゥラーの宿の主人が部屋に入ってきたときは襲われるのじゃないか?と怖かったがちゃんど英語で自分の主張を丁寧に説明している様子を聞いていてそれほど嫌な感情はなかった。

ただ単に文化の違いなのだと思って納得したのだ。

私が援助を断ってすぐに納得して引き下がってくれたところにも好感が持てた。

海外異文化体験とはこういうことなんだろうと思う。

日本の相手を思いやる文化は確かに世界的に見てもなかなか大きな価値を持つものだと思うが自分自身をしっかりと自己主張していく文化もなかなか見応えあるものだ。

結局のところ生きているということは修行なのだと思う。

どこで産まれてきてどんな人生を生きていてもそれなりに苦しいことは確かだと思うし、納得できないことや思うようにいかないことの連続なのである。

8年前のインドでの出来事を思い出してそんなことを考えたのだった。

マトゥラー(WIKIPEDIAより)

マトゥラー(英語:Mathuraヒンディー語:मथुरा、ウルドゥー語:متھرا)は、インド北部のウッタル・プラデーシュ州にある都市。インドの首都ニューデリーから145kmほど南に、タージ・マハルが在ることで知られるアーグラから50kmほど北に位置し、ヤムナー川に面している。人口298,827人(2001年)。

ヒンドゥー教の7大聖地の1つで、町の中を流れるヤムナー川にはガートと呼ばれる沐浴場があり、巡礼者が身を浸す。


Exploring the twin cities of Mathura and Vrindavan