人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

対人関係に見る「嫌われる勇気」

最近のベストセラーの中にアドラー心理学を紹介した岸見一郎の「嫌われる勇気」と言う本があるが、これはここ最近私が読んだ本の中でも選りすぐりの名著だと思っている。

この本の中で最も素晴らしいと感じたことは対人関係における心構えの部分である。

著者が言うには対人関係のカードはいつもこの自分が握っているのである。

我々が誰かと接する時にいつもつい気になってしまうのは相手に嫌われたくないという思いであり、相手に嫌われていないだろうか?という不安感である。

これは対人関係を円滑にしたいという思いから発する自然な気持ちではあるのだがこれに囚われすぎてはいけないと著書は言う。

なぜかというと、この嫌われたくないという気持ちを優先しすぎると自らの主体的で自由な人生が脅かされるからである。

他人(相手)に嫌われるかどうかを決めるのは私ではなく他人(相手)である。

そして、それは相手(他人)の課題であり私の課題ではないのである。

だからこそ著者は相手の課題は潔く切り捨てて自分の課題に向かっていこうという前向きな考え方を紹介している。

それがつまり自由な生き方につながり有益だと説いている。

これは簡単に言うと課題の取捨選択をしっかり行えということにつながるのだが実はこれは対人関係を円滑にするうえで最も大事なことなのだ。

職場に行くとウザい人間というのが必ずいるのだがこうしたウザい人達に必ず共通していることは他人の領域に土足でズカズカと侵入してくることである。

つまり、職場のウザい奴と言うのは他人の課題に勝手に侵入してくるからこそウザいのである。

これは非常に重要なポイントである。

彼らは自分の課題(面倒くさいこと)に立ち向かいたくないばかりに、他人の課題に中途半端に侵入し自分の課題を誤魔化しているのである。

自分の課題と相手の課題に線引きができておらず全てをごちゃごちゃにして誤魔化そうとして楽をしようとしているから彼らはウザいのである。

「嫌われる勇気」では他人の課題に決して立ち入らず、自分の課題にも絶対に立ち入らせないようにすることをはっきりと言っている。

これは簡単に言うと自分のすべきことのみに集中せよと言っているのだ。

言葉にすると簡単なことだが意外と実行するのは大変なのだ。

我々が他人から嫌われたくないという気持ちから嫌われないように振る舞うことを優先してしまうのも実は課題の分離ができていないことと同じである。

本当のことを言ってしまうと他人から嫌われるかどうかなんてことはどうでもいいことである。

他人から嫌われるかどうか気にするのはその人の勝手であるが他人が自分を嫌うかどうかは自分で決めることではなく相手(他人)が決めることだから自分の課題ではなく相手の課題であり、相手の課題である以上潔く切り捨てようと言っているのである。

この考え方は実に真っ当な考え方であると思う。

そして他人から嫌われることは(普通に生きていれば)自然なことであり自由に自分らしい主体的な人生を生きていることの証明であり、自由を得るためのコストだからそのコストは支払うに値すると言ってくれているのだ。

なんと心強い考え方なんだろうと思う。

今まで、自由の対価として支払うコストとして「他者から嫌われること」が含まれていると考えたことがなかった。

しかし、実は自分が自分らしく自分に忠実に振る舞えばそれをよく思わない他人が現れるのは当然のことでありそれは致し方ないことなのだ。

自分を抑えつけて八方美人を振る舞えば確かに自分を嫌う人は減るかもしれないがそれでも八方美人な振る舞いを嫌う人が現れるはずである。

結局のところどのように生きても生きている以上は誰かしらが自分を嫌うという構図は続くのだ。

これに注目すればもう他人から必要以上に嫌われたくないという思いを持って戦線恐慌としていることが馬鹿らしくなってくるのである。

自分が相手を嫌ってもいいし、相手も自分を嫌っていい。

こうした自由な考え方で生きていれば気が楽だし、その方が自然だし、逆に好感をもたれる場合すらある。

一番やってはいけないのは他人の課題に土足で立ち入ろうとするウザい奴になることだ。

他人は他人として放っておくことが最低限のマナーである。

岸見一郎がアドラー心理学は当時としてはかなり進んだ心理学で理解者が少なかったと言っているが本当にその通りだと思う。

これは現代的な考え方だと思う。

そして、現代人の考える自由という概念における最も革新的な考え方だと思う。

蛭子能収の著書「ひとりぼっちを笑うな」もなかなか面白い本で参考になったのだが彼が著書の中でとてもいいことを言っている。

それは他人から嫌われたくなければ絶対に「余分なことをしたり、言ったりしない」ことだそうだ。

これは核心をついているなと思う。

私が最も嫌いな人はウザいタイプの人間で、こうしたウザいタイプの人間というのはほぼ確実に余分なことをやったり、余分なことを言ったりするからである。

つまり、自己と他者との課題の分離がしっかりできていない人間である。

簡単に言ってしまうと自分にしっかりと向き合い、自分のことを淡々とやっている人間は皆カッコいいものだ。

その逆に他人のことばかり気にして口出しばかりしている人間は皆みっともないのである。

そういう意味で本当にこの「嫌われる勇気」という本は参考になったし、再度自分が生きる道を指し示してくれたように思う。

他人に嫌われるかどうかを気にする人生は何か間違っているのである。

そういう輩を見かけても気にする必要はない。自分は自分、他人は他人である。

お節介な人間だけにはなっていけないのだ。

お節介な人間というのは単に自分を見つめることから逃げているだけなのだから。