人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

同僚との飲み会

昨夜は職場の同僚と4人で飲み会。

うーーーん、微妙。

もちろん、今の職場では気心知れた仲だし、お互いに腹の探り合いをするような関係でもないのは救いである。

しかし、やはりなんか楽しめない。

話しててもあまり面白くない。

あまり面白くないのに、楽しい振りをすることが私は苦手なのだ。

それよりも自分自身のコミュニケーション能力が低いのがつらい。

しかし、これは持って生まれたもの(能力)なのだからあきらめるしかない。

逆に私が得意なのは単独行動なのだ。

誰にも頼らずに行ったことのない国を一人旅するとかそういうことが大好きであり、得意なのである。

人間は人それぞれに持前というものがある。

そうわかっていても、コミュ力がない自分に嫌気が差し、他人をねたましく思う。

自分ができないことをいとも簡単にやってのける他人を見ると落ち込むものだ。

それも、遠い他人なら別に気にならないのだが、職場の身近な同僚だったりするとどうしても落ち込む。

私は究極の個人主義者で単独行動至上主義者であるが、それでもずっと一人でいると気分が萎えてくるから時々は同僚や仲間と飲み会をして気晴らしをしている。

そうしないとやっていられない部分がある。

早く死にたいといつも思っているのに、なぜかそうならず、自殺する勇気もないので生きていくしかない。

生きていくためにはどうしても他人の協力(精神的な面も含む)が必要なのだ。

人は一人では生きられないとは本当にその通りだ。

アメリカのフロリダで銃を乱射した人も結局孤独だったんだろうなという気はしている。

移民って結局、仲間や逃げ場が少なくならざるを得ないから孤独になり、自分の中にこもるようになり、それが徐々に周囲に対する恨みとなって表出することが多い。

そうならない為にはある程度周りの人との気心知れた関わりは必要になるのだ。

これは、私の中で矛盾だと認めている。

私は常日頃から早く死にたいと思っているが、結局は良く生きたいと思っていることを認めざるを得ないのだから。

ただ最近思うのは、この私がどんなに「早く死にたい」と思ったり、「産まれてきたくなかった」と思ったところで何も変わらないということだ。

そんなことと関係なしに人間は次々と死に、次々と産まれている。

人間は人間の本能に打ち勝つことができないのだ。

例え「死にたい」と思っても、それ以上に「長く生きたい」という本能に打ち負かされる。

それならもう諦めるしかない。

人生とは暇つぶしなんだからひたすら死ぬまで暇つぶしに興じるしかなさそうだ。