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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

自由ってなんだ?

自由に生きているつもりなのに不自由に感じることがある。

仕事が終わって家に帰り翌朝の出勤前までは自分だけの自由な時間なはずなのに、実際には思うとおりに過ごすことができなかったりする。

職場の嫌な人間関係のことや自分のしたミスなどがふと頭に思い浮かび、それに囚われ自分自身が蝕まれていく。

忘れよう、切り替えようと思ってもいつまでもいつまでもまとわりついてくるハエのようにしつこい。

そして、そんな駄目な自分を責めて気分が落ち込んでしまう。

こういう悪循環に陥ると抜け出すのは困難だ。

気が滅入り、何をやっても楽しくないし、何をやっても集中できず手に着かなくなる。

考えても仕方ないとわかっているのに、ふと考えてしまっている。

いくら悩んだところで何も良くならないとわかっているのに、負のループが続いていく。

自分だけの自由な時間と言ってもこうした囚われ思考の無駄な時間が結構あるのだから手放しの自由時間とは言えまい。

人生ってものは不自由である。

自由なんてただの理想であり、空想の産物なのかもしれない。

皆こぞって「死ぬな」と言うけれど別に死んだって問題ないと思う。

ただ、失敗すると大変に痛くて苦しくてつらい思いをして周りにも迷惑がかかるので絶対に失敗しない様に気を付けなければいけない。

ってなわけで気分が落ち込んでしょうがない。

今、末井昭さんの「自殺」と言う本を読んでいる。

自殺

自殺

末井さんは子供の頃、母親をダイナマイト自殺で亡くしている。

多額の借金を抱え壮絶な人生を送ってきた人だけになかなか面白いことが書いてある。

彼はお金なんて所詮紙切れに過ぎないのだから借金ごときで死ななくて良いと。

確かにその通りだ。

しかし、私は別にいつどんな理由であろうと死んでよいと思っている。

借金ごときで死ぬなという考えもあれば、仕事が嫌だから、働くのが嫌だから、友達がいないからという一見するとささいな理由で死んでも構わないと思う。

いや、もっと簡単に人生が面倒くさいからと言う理由で死んでも構わないと思う。

皆、死なないことにこだわり過ぎている気がする。

もっとどんどん死んでいいのだ。笑

ただ、迷惑がかかりにくいようにはすべきだと思う。

「死ぬな」と言う言葉が溢れているこの世の中で「どんどん死んでいいぞ」と言われると逆に生きたくなるのではなかろうか?

人生は必ずどこかで死を迎える。

それが早くても遅くても別に構わないではないか。

平均寿命というものにやたらにこだわって長生きしてから死ななくたっていい。

老後のための準備と称して貯金したり、趣味を見つけたりと死ぬための準備をたっぷりやってから死ななくともふと気が向いた時にあの世に旅立っても全然構わないと思う。

どうせ、人間は簡単に死ねないようにできているのだ。

心構えだけでもいつ死んでも良いと思って生きていた方が自由な気がする。

長生きすることを前提に組み立てられた人生を予定に沿ってクリアしていくロボットみたいな人生でなくて良い。

学生時代に家を出て大学に向かっていたのに、天気が良いからと途中で気が変わり予定を変更して大学をさぼって遊びに行った時のワクワク感は半端なかった。

そんな感じで、自分の人生を積極的に脱線すればいいし、その結果死が待っているとしたら遠足に行くようなものではなかろうか。

とにかく、私は生と言うものに囚われたくないのだ。

でも、現実は囚われまくっていて囚人の気分である。