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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

社会問題

若者のセックス離れが進んでいると言われている。

これは、アメリカでも社会問題化しているという記事も見た。

しかし、セックスをするとかしないとかって個人の問題に過ぎないしどうでもいいことのような気がする。

したい人はすればいいし、したくない人はしなければいい。

なんで、そんなことをわざわざ統計的に調査して社会問題化する必要があるのか?

それは、結局のところ人間は暇で退屈しているからである。

人生は暇つぶしであることを証明している。

セックス離れが進んでいるということがわかりました、これは少子化につながるから皆さんセックスをしましょうと国が言ったとする。

それで、我々男性の側が女性に「国からセックスを奨励されているから今日しませんか?」と言ったとする。

セクハラで大問題となって終りだ。

てな馬鹿げたことを色々考えてしまった。

どう考えてもセックス離れなんてどうでもいいことである。

同様に少子化問題も社会をにぎわせているがこれもよく考えると変な話である。

子供がほしい人はたくさん作ればいいし、作りたくない人は作らなければいいというだけだ。

これは、すべて個人の問題である。

仮にそれで人口が減ったとしたら減った人口で世の中が回るようにちょっとだけ不便を我慢すればいいだけだ。

電車の本数を減らしたり、物の生産量を減らしたり、公的サービスを減らしたり、24時間営業のコンビニを減らしたり、いくらでも調整することは可能である。

なぜ、このままの状況を無理やりにでも維持して便利かつ快適な理想状態を目指さなければいけないんだろう。

私にとってはどうでもいいことだ。

少子化問題より私個人の問題の方がはるかに重要である。

世間とか社会ってどうでもいいことを糞真面目に考えようとする傾向がある。

社会問題を考えることがただの暇つぶしであることを忘れていつの間にか人を追い込むこともある。

どんなに社会問題を真剣に考えたところで最終的にはそれぞれの個人が地道に何かをすることしか方法はないし、それは最終的には自分がどうしたいのか?というところに繋がってくる。

自分一人の行動が社会問題を解決することはまずできない。

それなら、自分が思うように生きればいいだけである。

人間が誕生したころは恐らく世界に人間は数えるほどしかいなかっただろう。

その当時の人間はこうした社会問題について悩んだのだろうか?

人口が少ないから増やそうとか本気で思ってセックスに励んだのだろうか?

なんかそういう気もしない。

生きたり死んだりを繰り返しながら本能に従って人類はここまで来ただけの気がしている。

人口は少なくても多くてもそれなりに世の中は回っていくものだ。

そして、人口の多寡にかかわらずそれぞれの個人は必ず様々な悩みを抱え、それを解決できずに死んでいくことになる。