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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

人生を充実させる企み

世の多くの人は自分の人生が本当に充実しているのか?と悩んでいる

ここまで頑張ってきたけど本当に俺の(私の)人生は充実しているのか?

ポケモンGOばかりやっていて俺の人生は充実しているのか?

働いてばかりいて俺の人生は満足なのか?

好きなことばかりやっていて俺の人生は本当に満たされているのか?

どう考えてみてもそこに答えはない。

自分の歩んできた道は恐らくそんなに間違っていないだろう。

だいたい皆と似たような道だ。

普通に働き税金を払い、時には贅沢をし、旅行に行き、仲間と酒を飲み食いし、結婚もしてみた。

なのに、なんか違う気がする。

もっと刺激があってもいい。

しかし、そう思っても実行に移すのは大変そうだ。

そんな風に思っている人も多そうだ。

幸せとは何なのか?考えれば考えるほどわけがわからなくなる。

自分と他人の幸せは違う。

他人にとっては幸せに感じることでも自分にとっては幸せではないし、自分にとって幸せであっても他人にとっては幸せではないことなどよくある。

だから自分の道を生きているはずなのに不安を感じる。

私は道を外れていないか?

周りからどう思われているんだろう?

こうした不安に囚われ始めると全てがあやふやに不安定なものになる。

自分の価値観を強引に世間に合わせることで不安は一時的に和らぐ。

世間の力を得て私が大きく強くなった気がする。

そうだ、私の貯金額は一応世間の平均以上だから幸せなんだ、私の子供は障がいがないから幸せなんだ、私の両親は離婚していないし仲も悪くないから幸せなんだ、私は学校を中退していないから幸せなんだ、私は一応正社員だから幸せなんだ、私には一応友達が何人かいるから幸せなんだ・・・

数限りないつぶやきが私の上を通り過ぎていく。

しかし、どうにも私というものが見えない。

結局、世間様と言う得体の知れない何かからのそれらしい評価が自分を縛っているようだ。

これは本当に幸せなのか?私の人生は充実していると胸を張って言えるのか?

この不安に持ちこたえられなくなる時、人間は共同体主義に陥ってしまう。

自分の属している共同体を誇りに思い、その成員である自分もまた良き人であると思い込む。

そこで「個」としての私は埋没し存在を消してしまう。

個としての私は共同体の中での位置づけにしか意味を持たず、共同体の上位の者にこびへつらい、下位の者を蔑み軽んじることで自分の存在意義をようやく取り戻す。

私が「個」として誇りを持つことは大変に苦しく険しい道である。

「個」をどこの共同体にも属させずあくまでも「個」としてとらえる。

「個」の集まりには比較がない。

自分は自分であり、他人は他人である。

ただ、産まれてきた以上死ぬまで私を精一杯やる努力をするだけだ。

充実した人生こそが目指すべき人生ではない。

ダメな人生も無駄に思える時間も全て必要な人生である。

暇つぶしにそんなことを考えてみた。