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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

多数派は間違いまくる

30年以上生きてきて最近心の底から痛感していることがある。

それは「多数派は間違っていることが多い」ということだ。

多数決のシステムを取れば過半数を取った方が勝ちになる。

しかし、世の中を見渡してみるとこの過半数以上の人達がめちゃくちゃだったり、間違いまくっていたりすることがあるから厄介なのだ。

最近はあまりにも多数派が間違いまくっていることに気付いたので基本的に「みんなの意見」や「大勢の意見」というものを常に疑うようにしている。

例えば、私が中学生の頃とあるクラスの女の子がクラスの多数派の男女にいじめられていた。

暴言を浴びせたり、仲間外れにしたり、時に叩いたりとひどいものだったと思う。

私はこれに加担しない様に気を付けていた。

ただ、これももしかしたらいじめの黙認という形で逃げていただけなのかもしれない。

しかし、今考えてみると本当におかしな話で圧倒的にいじめている多数派が間違っているのだ。

いじめは個人の権利侵害であり、犯罪行為のようなものだ。

日本には空気を読むという変な習慣が根付いている。

場の空気を読んで大勢についていれば自分の身は安全だから。

しかし、物事をよく考えずに空気を読んで身の保全ばかりを考えた人達が多数派を形成していることが多いので多数派は頻繁に間違っているわけだ。

私はかなり「個」が強い方だからもあるが、自分の信念や哲学を大事にしたいので集団の中では自分の意見をはっきりと堂々と主張するようにしている。

職場などでも自分の意見が多数派と違っていたからといって自分が正しいと思ったら自分を曲げずに主張する。

その方が色々な意味で収穫は大きい。

こいつは多数派にこびないんだな、権力にすり寄らないんだなと思われて逆に評価が高まり、慕われたりもする。

多数派が間違っているのは今のフィリピンを見ていれば一目瞭然だ。

大統領が国家権力を使って次々と裁判もかけずに麻薬犯罪者を虐殺している行為は明らかに間違っている。

フィリピン国民もこの独裁、強権ぶりにおかしいと思ってはいるはずだが表だって反対すると今度は自分が標的になって殺されてしまうので仕方なく賛成しているのだろう。

見かけ上のドゥテルテ大統領の支持率はやたらに高い。

しかし、この数字は正確なものではない。

独裁政権というのは必ず支持率が異常に高いのだ。

なぜなら、それに反対することは自分の命が危険にさらされることになるから。

ドゥテルテが汚いのは国家権力を利用して横暴を尽くしているところ。

自分が誰にも頼らずにたった一人で麻薬犯罪人と戦っているのならまだ男らしさを感じる面もある。

しかし、国家権力を駆使して次々と気に入らない国民を虐殺しているのは明らかな負け犬である。

やるなら何の後ろ盾もない状態で誰にも頼らずたった一人でやってほしいものである。

それができないくせに偉そうにするなと言いたい。

自分は疑いもなくこのドゥテルテという男が超絶大大大嫌いである。

是非とも一度奴に面会して国家権力を駆使した卑怯で残虐な殺人の負け犬っぷりを罵倒してやりたいなあ。

TVで対談したら「私は本気でいつ死んでもいいと思っている。お前は気に入らない国民を虐殺しているが、私は命がけで抗議したい。今、目の前で俺を撃ってみろ」と言ってやるのに。