人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

あーつまらない!

「人生ってつまらないなーー」と思う。

特に休みの日に。

仕事の最中は「残り何時間で帰れる」とか「これをやったら今日の仕事は終わり」とかとにかくひたすら仕事を終えて帰宅することばかり考えているから意外と楽しかったりする。

しかし、休みの日は「あー、明日も仕事に行くのか」という気持ちがいつの間にか心の中を覆ってきて仕事へのカウントダウンモードが始まるので憂鬱感が強いのだ。

未だにこの憂鬱感を払拭するいい方法を見つけ出していない。

仕事とは一種の麻薬みたいなものだ。

なきゃないで退屈でつまらなくて、充実感がない空疎な日々になるし、あったらあったで面倒くさくてつまらなくて人間関係が嫌でだるい。

政府もワークライフバランスの見直しに向けて本腰を上げ始めたけれど実際には色々と難しい問題が起こるだろう。

人間はとにかく働きたい生き物なのだ。

それは本能的な衝動であり完全にその思いを消すことはできない。

働いて社会や世の中や他人に貢献し、それによって周りから認められたいという思いを消し去ることはできない。

この本能的な意識が人間にある限り働くことは永遠のテーマになり続ける。

さらに、個人によってたくさん働きたい人とあまり働きたくない人がいて持っている能力もまちまちだ。

これを画一化することは働く自由を奪うことになりかねないので難しい。

働くことが社会への貢献や自己満足感の充足とセットになっていることが最も厄介なことなのだ。

しかし、これはどこかで規制されなければならない。

特定の誰かが自分の働く自由を尊重し過ぎることで労働基準法を大きく超えて残業し、それが常態化して周囲の人まで引きずられ過労状態に追い込まれる社会は確実に不自由で不幸な社会だと思われるからだ。

働く自由は尊重されなければならないが、それは法律の範囲内でなければならない。

個人の自由は無制限ではないのだ。たとえそれが会社や組織や社会への貢献とセットになっていても。

そんなことをうだうだ考えていたら人生ってなんてつまらない構造になっているんだろう?と再確認した。

結局、働いて金を稼いで少し休んでまた働いて寝て食って時々旅行をしたり、趣味をしたりして暇つぶしをしていたら年をとって老人になって身体が動かなくなって死んでいくんだ・・・という自分の人生が見えてしまう。

この虚しさを覆い隠すためにまた明日も会社に行くのだ。

これって凄い虚しいことだと思う。

しかし、こう生きていくしかないのかなという気もしている。

ニートの歩き方」を読んでいたら共感する文書を見つけた。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

~本文引用p274~

でも、だからと言って、三十年後にくる老後のために仕事をするとか貯金をしておくとか、そういうのはどうもぴんとこない。みんな、そんなに先のことを計画できるものなんだろうか。僕はすぐ目の前のこと、せいぜい数ヵ月先のことまでしか想像ができない。自分の二十年後や三十年後なんて全く実感が沸かない。それ、本当にあるんだろうか。生きているかも怪しい。そんなあやふやなもののために備える気力が沸いてこない。

~引用終了~

全くもって共感する文章である。

ここで、はっきりと言ってしまうが数十年後の自分なんて思い込みであり、ただの想像の世界に過ぎない。

そもそも、この私も30数年前には地球上に存在していなかったのだ。

たまたま私の父親と母親がなんかの偶然で出会い、セックスしたら妊娠し、私が産まれてきて、なんだかよくわからないけどこうなって今に至るというだけの話である。

父親と母親が私が産まれる前に今の私が30数年後にこんな風に生きているなんて想像できたはずがないのだ。

結局現実というものはあるがままなのだ。

備えたから、準備したから、予想したから、計画したからその通りになるというわけでは全然ない。

数ヵ月先から数年先くらいまではなんとなく予想できたとしても数十年スパンなんて全然想像できないはずなのだ。

世間の言うことに騙されてはいけない。
 
世間はやたらに数十年先の老後のこととかを気にするが、では数十年先に老後が来てそのあとに私の死がやってくるはずだが、その死の後はどうすればいいのかね?

死んだ後をどうやって過ごせばいいのかね?

人間は必ず死ぬのである。

どんなに備えても死ぬのだ。

死んだ後はもうどう頑張っても何もできないのである。

そこまで考えるようになってしまうと先のことなんてどうでも良くなり、ただひたすら今だけを生きればいいのだという結論に至る。

今が将来であり同時に過去でもある。

そして、いつかの「今」に私は死んでいくことになる。