人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

頭の「痛い」人

学校時代にも職場にも必ず頭の悪い人がいるものだ。ただ頭が悪いだけならたいした問題ではない。

学校時代なら頭が悪くても一緒に仕事をするわけではないのでそれほど害がないのかもしれない。

職場にいる頭が悪い人で問題なのは頭の悪さを精神論で乗り越えようとし、無駄な頑張りをした結果、それがベストだと周囲に強制しようとする輩である。

こうした頭の悪い人はただ頭が悪いだけではなく、周囲に害を及ぼすという意味で頭の「痛い」人と呼んでもよかろう。

頭の痛い人が精神論で頑張ろうともがくとき、周囲はドン引きするものである。

「ああまたあいつがやり始めたよ~。また変なこと言い始めたよ~。」という雰囲気になる。

しかし、彼らにもプライドがあり他人に認められたいし評価されたいと思っているから頭の悪さを根性でカバーしようとする。

そして、ちょっとした工夫で乗り越えられる簡単なことでも精神論でねじ伏せ、無駄なエネルギーを使って遠回りをした上で「こんなに頑張った」という成果として周囲にアピールを試みる。

頭が悪い人は「工夫」することが嫌いである。

なぜなら彼らは頭が悪いからそうした工夫を思いつくことすらできず、いつも劣等感に苛まれているからだ。

自分を世間に認めさせるには精神論、根性論による(無駄な)頑張り・踏ん張りや主君への忠誠心で示すほかないのだ。

こうした輩が職場で幅を利かせ始めると面倒臭いことになる。彼らには論理的な説明というものがほとんど通用しない。

「これこれこういうわけだからこうだと思いますがどうでしょうか?」と説明したり「あなたはなぜこのようにお考えなのですか?」などと聞いてもしっかり答える事はできないだろう。

物事の道理などどうでもよく、ただひたすら目に見える形で「頑張っている」ことこそ大事だと考えているからだ。

こうした一見すると頭の痛い「頑張り屋」こそ社会の敵だと考えてよい。彼らこそが社会を悪くしている場合が多いのだ。

自分の頭が悪いと思ったらただおとなしくしていれば良いのである。わざわざ自分から「頭の痛い人」になる必要もない。

頭が良い人と頭の悪い人の間には深い河が流れている。頭の悪い人をどう納得させるのか、理解させるのかは非常に難しく時間がかかりエネルギーの消耗も激しい。

淡々と必要最低限の事だけを論理的に伝えて納得するのをひたすら待つしかないだろう。

社会で働くにはしぶとさが必要である。社会には色々な人がいる。

私は精神論で頑張って仕事をねじ伏せようとする輩が苦手である。自分が(無駄に)頑張るのは構わないがそれを他人に強いようとしないでほしい。

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