人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

鼻くそは食べるもの

女は鼻くそを捨て、男は鼻くそを食べると言う。私は食べる派だ。それは男だからなのだろうか?

さて、今日は待ちに待った成人式。自分も10数年前に経験した。当時はもっと自分の人生がましなものなるだろうと勝手に楽観していた気がする。蓋を開けてみたらとんでもないことになった。苦しみの連続である。

人間には楽観主義者と悲観主義者がいる。私は間違いなく後者だ。悲観主義者には楽観主義者の気持ちがよくわからないし、その逆もまたしかりである。鼻くそを食べる人は食べない人の気持ちがわからないし、捨てる人は食べる人の不潔さがよくわからないのと同じことだ。

なんだか今日はめちゃくちゃ人生が嫌になってしまった。いつもの悲観主義と言われてしまえばそれまでなのかもしれない。しかし、どうあがいても自分の肉体が嫌なのだ。このどうにも面倒くさい肉体を維持させることが嫌悪なのだ。誰かと肉体だけ交換したいと本気で思う。生きていること自体は別に嫌いでもないのだが自分の不便な肉体そのものを破棄したいのだ。

そうだ・・この不満の捌け口に成人式にでも乗り込んで暴れてみても良かったかもしれない。その暴れ方も壇上に上がって叫んだりするような通りいっぺんなものではなく、もっと個性的な暴れ方が面白い。ガチンコ ビー・バップ・ハイスクールで大和(やまと)が突如地面に横たわり手足をばたばたさせながら「俺を殴れ。お前ら俺を殴れ」とやっていたようなやり方が良さそうだ。あの哀れな姿を見れば自分はまだまだずっとましだと思って安心して大人になることもできよう。

ちょうど私が大学生だった頃「ガチンコ」が放送されていたのだが毎回楽しみだった。その内容があまりにも馬鹿げていて笑えたのだ。あそこまであからさまなやらせを素人にやらせていると逆にワクワクしてしまう。私の人生も誰かの仕掛けたやらせなのだろうか?そうだったら素晴らしいことだと思うが、残念ながらとてもやらせには思えない。これは誰かの仕掛けた罠ではないのだ。もっとずっと重たいものである。楽観主義者からすればもっと笑い飛ばせるような軽いものなのかもしれないが、私は悲観主義者だからなあ。

他人の人生は笑い飛ばせるけどどうにも自分の人生を笑い飛ばすことができない。なぜならこの肉体が離れてくれないからだ。肉体はどこに行ってもついてくる。肉体も魂も私の中でずっしりと重たい存在だ。落ち着いた雰囲気の良いカフェでこのブログ記事を書いているが今突如「うわーーもう人生辞めたいよ~。おかあさーーん」とか叫んだらどうなるんだろう?しかし、これだとまるで自分がマザコンみたいに思われて癪だな。お母さんなんか別に全然好きでないし、まあ嫌いではないし仲も良いけど。かと言って「お父さ~ん」と言って泣きながら騒いでいるのも滑稽である。なぜお父さん?と勘繰られそうだ。

こんな想像は心底馬鹿らしいことである。でもこういう馬鹿なことでも考えない限りとても人生やってらんないよ!!ってなわけだ。