人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

欲しがりませんが負けました。

仕事中に身体がだるくてたまらない時がある。原因不明の体調不良である。このままいくとぶっ倒れるんじゃないかと心配になる。しかし、驚くべきことに退勤一時間前くらいになるとふっと身体が軽くなり始め心は軽く元気になり、鬱状態で死ぬことばかり考えていた自分がどこかにいなくなってしまう。退勤10分前くらいになると不思議なほどウキウキしている。この状態は一体何なのだ?仕事の日は概ねこういう状態が繰り返されている。身体が仕事や職場を拒否しているんだろう。こうした無間地獄に耐えるからこそお金をもらえるというのはその通りである。私の場合はただ職場にいるのが嫌なだけじゃなくて本気で死にたくなり、どうやって死のうか?と思いを巡らすことが多い。飛び降りるのは痛いし、首を吊るには寒い季節だし、雪山に入って凍死するのもつらいしなあとか色々考える。そうこうしているうちに退勤時間が迫ってきて元気になってくるのでいつも命拾いしなぜかここまで生き延びているというわけだ。

私は過去に「仕事とはただの暇つぶしである」という記事を書き、アクセス数で上位にいるのだが同じようなことを考える人が多いということなんだろう。仕事に意味を見出すことは大変に難しい作業である。そこには「自分を騙す」という手の込んだ仕掛けをしなければならないからである。「この仕事は自分にしかできないんだ」とか「私がいなければ職場が回らない」とか「この仕事は社会の役に立っているんだ」とか「この仕事をすることで会社が利益をあげているんだ」とか「私が働いて税金を納めることで国のためになっているんだ」とか人間は様々な理屈を練り上げて働くことに意味を見出そうと躍起になる。そうでもしないと発狂しかねないからそうするのである。これはいたって自然な行為である。しかし、よくよく考えてみると自分がいなくなっても誰も困らないことに気付く。自分がいなくなったところで本当は誰も困らないし、淡々と何事もなく世の中は無事に回っていくことだろう。しかし、薄々とそうわかっていながらも人間は頑なにそう思いたくないものだ。

自分が他人の悪口は好きなだけ言っても自分が他人から散々に悪口を言われていることを認めたくないように自分がしている仕事が社会に貢献していることをなんとかして信じ込みたいのである。そうでもしない限り馬鹿らしくて阿保らしくて苦しい仕事やつらくて面倒くさい職場での人間関係に耐えることができないからである。本当のことを言ってしまうと全ての仕事は取り換え可能であり、ただの暇つぶしである。本当はなくても困らないのである。そして、そのことを多くの人が実はよくわかっているのである。だからこそ人間は病むのである。自分に嘘をつき続けることで人間は病んでいくのである。退勤時間が近づいてくると元気になる人間が増えるのはこうした仕組みなのだ。自分に嘘をつかなくてはならない時間が短くなってくるからこそ元気になってくるのである。

私のブログの人気記事トップ3は「仕事とはただの暇つぶしである」「いつ死んでも良いと本気で思いながら生きるということ」「職場のお局を哲学する」であるがこの3つの記事は実はつながっているのである。スターウォーズで言うところのエピソード1~エピソード3みたいなものだ。説明するとこうなる。

だるいけど働かないと食えないから仕事に行くか
           ↓
うわーー、超ウザくて怖いお局がいるわ~~やだなーー辞めたいなあ。
           ↓
こんな毎日が続くのならいつ死んでもいいなあ。そう思って生きてみるか。
           ↓
そうは言っても仕事はしないと生きていけないっぽいからとりあえず職場に行ってみるか
           ↓
うわーー、相変わらずお局ウゼーー。
           ↓
くっそ、今日こそ死にたいなあ。毎日職場と自宅の往復だるいなあ。
           ↓
よくよく考えると仕事なんてただの暇つぶししているだけだなあ。あほくさいなあ。
           ↓
いつ死んでもいいなあ~。もう悔いはないな。
           ↓
そうは言っても一応仕事行くか。
           ↓
うわーー、お局だるい~。辞めたい。
※以下無限ループ。

こうした仕組みがあるのだ。私は何も欲しがっていない。それなのに敗北してしまう。つまり「欲しがりませんが負けました」状態である。本当は「欲しがりません。勝つまでは」なのだが欲しくもないのに既に負けている状態である。これは北斗の拳で言えば「お前はもう死んでいる状態」である。

そうやって考えると人生はめちゃくちゃくだらない。これは間違いない。本当にいつ死んでもいいのになかなか死ねない。テレビをつけてもくだらないし、誰かと話してみても楽しくない。それなのに、いかにも人生に意味があるかのように生きていることが素晴らしいことであるかのように語らねばならない。これが社会の閉塞感を招いている。人生なんてなにも素晴らしいものじゃない。

そのように考える私は普通の人である。少なくとも私はそう思っている。