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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

猜疑心

職場にやたらと猜疑心が人がいて気疲れする。何をするにもとにかく他人を疑ってかかるという性癖の持ち主のようで何か一言声をかけたり、ちょっとした話をしたりするだけですぐにその裏を探ってきたり、シニカルなことを言ってきたりする。

しかもそういう性格だからこそ他人を信用できず、自分もあまり好かれていないことを察知しているからなのかやたらに他人に近づこうとしてくるから周囲の人間も疲れる。私はいつも思うのだが猜疑心が強い人はできるだけ他人から距離を置くほうが良いということだ。それが周囲の人間に対する気配りであるように思う。

人間という生き物が他人と関わる以上ある程度純粋な部分が必要である。何もかも相手の言うことを鵜呑みにする必要は全くないが、とりあえず相手との関係を成り立たせるために演技的にでもとりあえず相手の言うことを素直に受けとる姿勢がないと会話する気が沸かない。

私がその人を観察していて思うのはやたらに見栄っぱりで自分をよく見せようとしているということ。自分が周囲からどう見えるかを気にするのは人間として当然なのだがそれを自己実現の道具にしてしまうと次第にストーカー型の粘着質なタイプになってしまう。人間としてのおおらかさが失われてしまうと大変気持ち悪いものだ。

多分本人は自分自身が周囲からあまり良く思われていないことに気付いていないだろう。それはそれで幸せなことだと思うしそれで良いと思う。どう生きようがそれは当人の勝手なわけだし。ただ、猜疑心から見栄が発生しているタイプの人はなんかストーカーチックで薄気味悪いので距離を置いて付き合う必要がある。自分がその人に振り回されて不幸にならない為にも。

人間とは意外と動物的な生き物で長く生きているとだいたい多くのことが直感でわかるようになってくるものだ。その人がなぜそんな行動をとるのか?義務感からなのか?思いやりからなのか?自分の見栄からなのか?だいたい透けて見えてしまうのである。私がその人と仲良くなれないのは全てを見通しているからである。私は本当に尊敬できる人とは必ず仲良くなるタイプであるから。

良い人間とは何か?の軸をある程度しっかり持っていないと「自分を良く見せることだけがすべて」のちょっと残念な人間になってしまう。これは気を付けないといけないなあ。