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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

オスとメス

オスとメスはどちらが得か?」という本を読んだ。

オスとメスはどちらが得か?(祥伝社新書)

オスとメスはどちらが得か?(祥伝社新書)

タイトルからして惹かれるが内容的にも非常に面白かった。なぜ生物はオスとメスに別れているのか?から始まり様々な生物のオス、メスの役割の違い、行動の違いなどからこの問題の本質に迫っていく内容である。

結論としてオス、メスのどちらが得か?という問題に対しての答えは出ていない。それぞれの生物が自然界で生き残り、進化していくためにオス、メスが存在しており、一般的には子供を作る能力があるメスの為にオスがいると考えられているということが結論として示されている。

そうだったのか・・・私(男)は女に尽くすためにいるのかと思いかけたがその考えはゴミ箱に捨てた。私は私の為にいるのであって女性に子供を産んでもらうために生きているのではないと思いたい。自然界全体でみれば私はまともに役割をはたしていないのかもしれないがそれで別に良いと思っている。

私にとって私の子供がいようがいなかろうが、人間が生き残ろうが滅ぼうが、地球が将来滅亡しようがどうでもいいことである。個体は全体の為にあるのではないというのが私の持論なのだ。全体が生き残る為に個体が犠牲になってはならないと思っているのだ。しかし、こうした考え方をするのは私が人間だからなのかもしれない。自然界全体を見渡せば個体は全体の為にあるように見える。種の保存のために個体が犠牲になっている様子をそこかしこで見かける。それが本来の自然のあり方なのかもしれない。

しかし、人間は必ずしもそうでないところが面白い。全体としては男は女に求愛し自分の子孫を残すために尽くすことが本能なのかもしれないがあえてそうした道を選ばないという生き方もできる。人間は多様な生き方を自ら選ぶことができるという意味で他の生物とは一線を画するのである。北朝鮮のように個体(個人)が全体(国家あるいはキムジョンウン)のために存在している世界はなんだか薄気味悪いものだ。

子孫を残す意志のない私という個体がこうして生きている意味はなんなのだろう?

本当は意味なんてなんにもなくて石のようにただそこにあるだけなのかもしれない。