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人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

必要だという思い込み

日本と言う便利で快適な先進国で働き、暮らしているといつの間にか「あれもこれも必要だ」という思い込みに駆られ自分を見失いそうになることがある。生活をより快適にするためにあれもこれも必要だ、時間を快適に使う為にあんなことやこんなことをしよう、将来のためにあんな勉強をしてこんな資格を取っておこう、長く生きるためにもっともっと貯金をしておこうなどと欲望は際限なく肥大していく。

しかし、よくよく考えてみると実は必要なものなんて凄く少なかったりする。例えば私は年に数回海外一人旅に出るのだが出発前はやはりあれもこれも必要かな?と心配しバッグの中に詰め込んでいく。しかし実際に現地に行ってみると実はほとんど必要なかったという場合が多い。確かにそれがあれば安心はできるのかもしれないが実際に使われなかったのだから必要なかったということなのだろう。こうした無駄はいたるところに潜んでいて我々の生活を脅かしている。

最近は誰でもスマホを持っているけど本当に必要なの?と思ってしまう。あの人やこの人とラインで密に連絡を取る必要性はあるだろうか?ネットにつないで地図や天気予報やブログを見る必要があるだろうか?ゲームをやる必要があるだろうか?音楽を聴いたり映画を観たりする必要があるだろうか?すべてなければないでなんとかなることばかりである。実際に10年前までは誰もスマホなど持っていなかったし、20年前まで遡ればガラケーすら持っていなかった。しかし、それで生活は十分回っていた。

結局現代の科学技術の進歩が世の中を無駄に忙しくしているのだ。ネットが発達したからこそネット通販大手のアマゾンが台頭し配送サービスを拡充しすぎたせいでヤマト運輸の社員が過重労働で疲弊し人手不足に陥りパンクしてしまっている。こうしたなんでも過剰な世の中はなんだか非常に狂っているという視点を持って自己抑制をしていかないと周囲やメディアに振り回されて自分の時間を持てぬまま忙殺されて人生が終わっていく気がする。

私は海外に出るとできるだけ何もしないでぼーっとする時間を作るようにしているがこうした時間は非常に貴重であると痛感している。ネットや本も読まず、ただ海だけを見て周りの音を聞き椅子で寛いだり、ひたすら自然の中を散歩したりする。そういう過ごし方をしていると次第に体内から毒が抜けていく感覚がある。解毒作用を人為的なものに頼らずに自然で代用させることでよりリラックス効果が高まる。

人間と言う生き物はどうせすべての人間がわずか100年足らずで死んでいくようにできているのだから、本当はそんなに焦って色々なものを手に入れる必要なんかないのだ。お金も知識も食糧も体力も必要最低限生きていけるだけのぶんがあればそれでいい。それで世の中の消費が鈍り多少貧しくなっても人間的な生活が補償されてストレスが減るのならその方がいいとすら思える。今になってみると子供の頃に自宅に置いてあったダイヤル式の固定電話が懐かしい。ちょっと不便だったけれどあの電話で十分だったように思う。

何かを得れば何かを失うんだと痛感する今日この頃です。