人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

名もなき市民の日常

今日は近くのカフェに行ってコーヒーを食べながらランチをする。このカフェではいつも美味しいコーヒーとチーズケーキを食べて終わりだが今日は欲を出してランチに挑戦したのであった。パスタとかドリアとかハンバーガーとかいくつかのメニューがあるのだが私はカツカレーに挑戦することにした。味は少し残念だった。カレーのルーが少なめでカツが固め、カレー自体もまずまずというところだった。やはりカレーは専門店のココイチとかに行った方がいいと素直に感じた。しかし、ここのコーヒーとチーズケーキは抜群に美味い。次回からは欲を出して食事を頼むのはやめよう。

有名人って色々大変だなあと思う。芸能人なんて売れっ子になったらお金は死ぬほどもらえるかもしれないけどその分、休みなく死ぬほど働かされてプライベートはなくなって大変だからストレスたまって大変だと思う。でも売れない芸人なんて給料数万円たらずで食うや食わずの過酷な貧乏生活を強いられて最悪だから売れても売れなくても結局は嫌である。やはり、名もなき小さな市民でいるのが一番だ。とりあえずそう言い聞かせていればいいやと妥協してみる。

こうやってなんとか暇つぶしにブログを書いているけど特にニュースがあるわけでもなく正直書くこともない。ただの延命作業である。毎日日本人に周りを取り囲まれるのはなんだか変な気分だ。カフェの隣の席からブラジル人のポルトガル語が聞こえてくることは少し新鮮だった。そもそもなんでいつもいつも日本に追い回されなければいけないんだろう。テレビをつけても新聞を読んでもネットを見ても日本のニュースばかりだ。当たり前か。はっきり言って私にはどうでもいい。日本以外で何が起きてるのか気になる。かと言って外国のサイトにアクセスして情報収集する意欲も特にない。やはり、海外に触れたければ海外に出てしまうことが最も合理的なアクションだ。タイに行けば基本的には現地のタイ語と外国人が話す英語くらいしか聞こえてこないのだ。ネットを開かなければ日本のニュースに触れることもない。テレビをつければタイの僧侶がお経を唱えていたりするわけで森友学園の理事長がテレビに映っているわけでもない。日本に取り囲まれた生活は何かと無駄が多くて疲れる。同じニュースを何度も見るのも馬鹿らしい。

暖かい晴れた日に海を散歩するのは気分がいい。心地良い海の風を身体に受けながらただぼーっと砂浜を散歩してみると地球もまだまだ捨てたもんではないと思う。性の喜びおじさん亡き後の日本は私が背負う覚悟なのである。イワシの群れのような無難な生き方を選びたくもないが自然とそうなってしまいがちなのは結局私もイワシだからなんだろう。個人的にイワシの刺身は好きなのでお前はイワシだと言われても許せる。

昨夜はネットサーフィンして世界の人口統計みたいなものを見ていた。各国の将来推計人口がわかるサイトでなかなか面白い。よくよく考えるとまだ産まれてもいない人を数年後数十年後には産まれてくるだろうと勝手に予測して推計人口をはじき出すのって強引だ。だいたいその通りになるのだろうけど魚や動物の群れの個体群を把握してそこから推計値をはじき出す作業と同じでなんか嫌な感じがある。人間一人の命なんて所詮はその程度のものなんだとは思うけど。結局のところ特別な人なんていないんだと思う。その人が勝手に「私は特別な人だ」とか「あの人は私にとって特別な人だ」と勝手に思っているだけであってすべての人間はただの一人の力なき個人である。アリの世界からすれば女王アリは特別な存在なんだろうけど、人間かからすれば女王アリなんて働きアリなみにどうでもいいわけで世界が変われば見方も変わるということである。

そういえば以前「働かないアリに意義がある」という本を読んでなかなか面白かったけどアリの世界も人間の世界もそれぞれが見えない役割をこなしているということなんだろう。

働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)

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