人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

先生とエッチできるんか

ネットニュースを読んでいたら堺市の中学校の男性教諭が部活動の指導で女子生徒に裸になることを強要したり、「先生とエッチできるんか」「先生とキスできるんか」「大人になったらエッチしような」などと言っていたそうである。これを見て思ったのは・・

いい加減に学校の部活の顧問を学校教師が行うのはやめるべきだ

ということ。こういうセクハラ発言を顧問の先生がしてしまう理由として考えられるのは結局のところ生徒との距離が近くなりすぎて自分の所有物のようになってしまうからなのだ。学校の授業で生徒を教え放課後で部活動を教えるという風に常に生徒と接しているといつの間にか先生の側が勘違いし変なことを言い始めるようになってくるのだ。

これは戦前や戦時中の狂っていた頃の日本と同じ状況で「国の為に死ぬのは当たり前」だとか「国の言うことに反対する奴は非国民」とかの国家主義イデオロギーを垂れ流していたのと同じである。いつの間にか国民が国の所有物のようになるのと同じで生徒が先生の所有物のようになってしまい先生の言うことはなんでも聞けという状況がエスカレートするとこうした異常なことを言う変な教師が出てくることになるのだ。

「国の為に死ぬのは当たり前」だとか「国の言うことに反対する奴は非国民」だとか思っている奴はどうぞご自分がまず真っ先に死ねばいいのであって他人に強要する権利ない。先生の言うことを聞くのは当たり前だと先生が思うのは自由であるがそれを生徒に強要する権利はない。

私は無条件に国の言うことに賛同し、言うことを聞かない人を攻撃する奴が大嫌いである。国の言うことなんておかしければどんどん反対し間違っていると叫べばよい。国家権力の中には馬鹿なやつや狂っている奴などたくさんいて間違っていることなど腐るほどあるのが当たり前だから。それは学校教師においても同じことで先生の言うことに絶対服従する必要はない。違っていたら反対すればいい。それだけのことである。

というわけで部活動の顧問を学校教師が勤める今の制度はもうやめた方がいいでしょう。どこかにやりたいと思っている人はいるはずなのだからそうした人達が有償か有償ボランティアのような形でやればいいのである。部活と学校は切り離すべきである。先生と生徒の距離は離すべきである。先生は学校の授業や生徒指導に注力してもらえば良いのだ。その方が健全である。