人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

退院した母を見舞う!

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昨日、病院から退院した母親が実家に帰ってきたので今日お見舞いに行ってきた。大病で手術をして2週間も経っていないのでさすがにあまり体調は良さそうではなかったがそこそこ元気だったのでひとまず安心した。とりたてて親孝行というものをしたことがないけれども、一応こうして無事に元気で働いているし、時々実家に顔を出しているのでそれがそのまま親孝行になっているのかもしれない。父親も常に母親のことを気にかけて一生懸命母親に尽くしていて本当にいい家族だなあと思う。

ちなみに私は高校卒業後、大学入学と同時に一人暮らしを始めてこれまで人生の半分近く(約18年間)を親と離れて一人暮らしをしてきた。あっという間だったけれど独り立ちしてから結構長い時間が経ったのだと思う。親元を離れて一人暮らしをし続けてきてとりたてて寂しいと思ったり、ホームシックにかかったりしたことはない。私は一人が大好きである。結婚したり、同棲したり、彼女がほしくてたまらないと思ったこともあまりない。

大学に入学し、東京で1人暮らしを始めて数日間はアパートの部屋で凄くワクワクしていたことを懐かしく思い出す。「やっと1人で自由に生きられるんだ!!」という希望である。そのワクワク感は私を一度も裏切らなかった。普段はその時のワクワク感を感じないが海外一人旅に出て異国の地でホテルに泊まるとどうにもならないほどのウキウキ、ワクワク感を感じてしまう。海外一人旅でのあのホテルでのワクワク感はあまりにも心地良すぎて最高の気分である。私はそれを味わいたくて旅をしてしまうのかもしれない。

1人ってなんて素晴らしいのだろう??素直にそう思う。1人で十分満足だし、楽しめる。私が最もウキウキ、ワクワクしたのは初めてのカンボジア旅行である。ちなみにカンボジアには3回一人旅をしている。

初めてのカンボジアは見るものすべてがとても新鮮で物凄く興奮した。まだ私が27歳の頃(2008年)であり、沢木耕太郎が「深夜特急」の旅に出た年頃でもある。カンボジアシェムリアップ国際空港に到着してよくわからないまま空港でアライバルビザを取得し、その場で知り合った年上の日本人女性と一緒に空港を出てトゥクトゥクに乗って宿に向かったのは楽しい思い出だ。

あの初カンボジア体験は私を大きく変えたように思う。あの体験でますます海外旅が好きになった。世界は本当に広いんだなあと思った。豊かな先進国の日本とは真逆の貧しくて発展途上のカンボジアという国。地雷で足を吹き飛ばされて悲しそうに路上で物乞いしている人や、裸足で遊んでいるストリートチルドレンなどを見て、色々と驚くことも多かったけど明るくて笑顔溢れるフレンドリーなカンボジア人に癒された。

私にとってカンボジア王国とはやはり、特別な国なのだ。2011年の3.11の大震災を迎えたのもカンボジアシェムリアップであった。シェムリアップの宿のテレビで下痢に苦しみながら、東北を襲ったあの大津波の映像を観ながら他人事のようにしか思えない不思議な体験をしたのだった。

なんだか色々なことを体験したように思うが、何もしてなかったように思うこの不思議な感覚は何なのだろう?私は本当に生きてきたのだろうか?実は幽霊だったのではないだろうか?本当に生きてきたのだろうか?産まれたての赤ん坊のような気がしてくるのは不思議である。

大学をさぼって新宿の街を彷徨い歩いていた15~16年前がとても懐かしい。あの頃は確かに孤独であったが実は最も私が輝いていた時期だったのだ。今になってそう思う。本当に自由にやらせてくれた大学に感謝している。単位取りの楽な私立大学の文系で良かったなあと思っている。

実家に帰って久しぶりに父親や母親とじっくりと話してみてなんと私は親のことを考えてこなかったんだろう??つまり自分のことばかり考えて生きてきたのだろう!!と思った。父親が会社で物凄いプレッシャーとストレスの中で病気になり、入院した時の話を聞いて「ああ、そういえば病院にお見舞いに行ったなあ」と思い出したのである。

私はひねくれ者なので「そこまで苦労して家族を支えるくらいなら、私を産んでくれなくても良かったのに!!めっちゃ生きるのに苦労してます!!」と思ったけどまあ仕方ない気もする。人生とは理屈で説明できないものなのだ。全ては理不尽そのものである。人は全てを諦め、死んでいかなければいけない。これは私の美学である。

カンボジアやフィリピンでいわゆる「ストリートチルドレン」を見て「それでも私はだいぶましだった」と思ったのは確かである。世の中にはさらに恵まれない境遇で生きていかざるを得ない人というのがいるものなのだ。みんな生きるのに苦労しているのだけれどその苦労には幅がある。私は両親に恵まれ過ぎたのだ。その罰として駄目な自分を与えられたのだ。神様がいるとしたらよく考えたもんだなあと思う。

ということで、母親が退院してまた家族は無事に揃った。たまにはいいこともあると思いながら今日も、明日も生きていくのだ。