人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

我思う、ゆえに我あり。

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あー、毎日つらいなあ。死にたいなあ。職場に行きたくないなあ。ため息が出ます。

職場って本当にホントーに孤独な場所ではないでしょうか?職場にいる時ほど神聖で真正なドストライクな孤独を感じることもない気がします。そして、職場にいる時ほど自分の心が狭くて小さくてダメなことを再確認することもない気がします。

職場でとある女性に距離を取られています。話せば普通に話してくれるのですが(そこは感謝しますが)、明らかに他の人と比べて距離を取られてしまっているのが身に沁みます。こんなことよくあることなのに、そしてそれはすべて自分が蒔いた種であろうにとっても気にしてしまう自分がいます。情けないです。感情など無くしてしまいたい、ロボットになりたい気分です。こうした経験をしたことがある人も多いことでしょう。

哲学者デカルトが残した有名な言葉に我思う、ゆえに我ありがあります。

私がそう思い、苦しむからこそ悩みが発生する。私がこう感じるからこそそう感じるのです。私が考えるからこそ私というものを強く意識してしまう。私の意見が他人と食い違うからこそ私というものを強く意識する。

できれば、『我思わない、ゆえに我なし』でいたいと思います。それだけ、我が思うゆえに我があることがつらく苦しく思います。

もう本当に泣きたくて泣きじゃくりたい気分です。色々なことがつらく重く身に沁みます。それでもなんとか生きています。泣きたいほど誰かにすがりたい自分なのにいつもいつも誰かに頼ることができず、自分を頼って頑張ってしまい孤独に陥っています。彼女を作って甘えることができたらどれだけ楽か・・と思います。

でも、こんな自分に産まれた以上もう死ぬまでは生きるしかないのでしょうね。よく何万人に一人の難病に苦しんでいる方のドキュメンタリー番組などをやっていますよね。自分はそうじゃなくて良かったとほっとしてしまう方も多いと思います。人間って知らず知らずのうちにみんなで痛みや苦しみを分かち合っているのかもしれません。

こんな、私に産まれてしまった・・苦しい。でもその苦しみを自分が引き受けることで誰かはその分そのことで悩んだり苦しんだりしなくても済む。もちろん、自分が背負っていない重荷を他人が背負って生きてくれているわけです。でも他人が背負っている重荷って自分からはよくわからないものですよね。他人の芝生は青く見えてしまうものです。

ああ、眠るように死ねたらどんなに楽でしょうか。今夜眠りについていつの間にか楽にそのままあの世に召されたらどんなに素晴らしいことでしょうか。本当に本当に孤独です。泣き叫びたい気分、誰かに頼りすがりたい気分、でもそうできずに自分を頼って孤独に我慢している状態、そしてそれをどうにもできない強がっている自分。

すべてウンザリしますね。痛いこと、苦しいことに耐えることはできそうにないですから自殺せずに明日も多分生きてるのでしょう。でも、なんだかもう人生お腹いっぱいですなあ。

早く『我思わない、ゆえに我なし』状態に突入したいです。

ってことで皆さんも色々と重荷を背負っていると思いますがもう少し(死が我々を迎えに来るまでは・・)頑張ってみませんか?あなたの人生が苦しく重いように私の人生も十分苦しく重いんです。そして、それが人生という現実なんだと思います。(笑顔)