人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

仕事ねえ。

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職場で世間話をしていると必ず一度は『この仕事を選んだ理由は何?』とか『なんでこの職場で働こうと思ったの?』というようなことを聞かれることがある。私にとってこれほど難しい質問もない。なぜかというと理由を正直に話してしまうと相手に対して失礼になるからである。

『君と出会うためにこの職場を選んだんだ』とか『君の笑顔が見たくてここで働いているんだ』とか『お客さんの笑顔が見たくてこの仕事を選んだんだ』とか『たくさんのありがとうを集めるためにこの仕事をしているんだ』とか『人と関わることが好きでこの仕事をしてるんだよ』とか答えるようにしている。このように答えておけばとりあえずは相手に対して失礼な印象を与えることはないだろう。その代わり、少し嘘くささ、胡散臭さを感じさせてしまう可能性はある。

もう、ここではっきりと言ってしまおう。私はこの仕事をしたくてここで働いているわけでも、誰かの笑顔が見たくて今の仕事をしているわけでも、何かの情熱があって今の仕事をしているわけでもない。ただ単純に他にできる仕事がないから仕方なく今の仕事をしているだけである。これが現実である。職業選択は崇高なものである必要などない。仕事に夢を持つのは自由であるが、現実的にやれる仕事の中からできそうなことを選んで仕方なく我慢して働くという選択しかできない人などたくさんいる。

なぜ、仕事に夢やロマンを持たなければいけないのだろう?嫌な仕事を我慢して耐え忍んでつまらない日常に耐える生活のどこかいけないのだろう?私はつまらないと感じる仕事ほどより崇高なものだと思っている。誰もがやりたがらず、明らかにつまらなく、誰がやってもできるような仕事であればあるほど価値は高いと思う。

仕事に情熱を燃やすのは自由であるが、私には嘘くさく感じる。しょせん仕事なんて死ぬまでの暇つぶしに過ぎないんだよという思いが頭をもたげてくる。一般的には人間社会をまともに円滑に成り立たせるための装置として仕事があるのだが、別に人間が繁栄していなくても地球は困らないと思う。こうした虚無感を前提に仕事を考えてしまうマイナス思考がついてしまっているのでどうにも仕事を熱く語ることができない身体になってしまっているのだ。

みんな、自分が行かなければ周りが困ると思って必死に早起きして仕事をしにいくのだが実は自分がいなくてもさほど困らないのも事実である。自営業でも同じことで自分の店を開けなければお客さんが死んでしまうほど困るということはまずない。you tuberだとしても取り立てて自分が新しい動画を作って投稿し続けなくても視聴者は他の人の動画を見たり、暇つぶしを考えたりするだろう。つまり、我々すべての人の仕事は代替可能である。

みんな仕事にしがみつき過ぎというか、仕事にしがみつくふりをし過ぎなのである。仕事なんてもっともっと無責任に手放してしまっていい。その方がずっとずっと社会は良くなる。それこそどうにも仕事に行きたくない憂鬱な日などはみんな仕事など休んで家でぼーっと好きなことをしていればいい。もちろん、遊びに行ってもいい。仕事なんて人生をかけるようなものでもなんでもない。死ぬまでの暇つぶしに過ぎないのだから。