人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

来ましたよ~

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家でまったりとくつろいでいたら、奉仕活動という名の布教活動が来ましたよ~。実はしょっちゅう突撃を受けております。先日は、家で真昼間からビールを飲んで酔っ払っていましたところに「ピンポーン」と鳴り、真っ赤な顔してでていってやりましたら相手は驚いてましたっけ。「お寛ぎ中すいません」なんて言いながら色々と神様の説明をしてくれていました。

でも、ああやって何かを信仰することってとってもいいことだなあと思います。私も20代前半のころだいぶ精神的にまいっていて本当に神様にすがりたい思いだった時がありました。今は何かにすがるというよりも一人で勝手に絶望してひねくれてちんぷりかえって不貞腐れて終わりみたいなパターンが多いんです。

私もそうなんですがけっこう無宗教だったり無神論者だったりする人って宗教を信仰している人をなんとなく下に見ているというか上から見ているところありません??「けっ、どうせ神様なんていやしないよ」とか「騙されて金巻き上げられてるだけだよ」とか。

思うにこれってただひねくれてるだけのような気もしてくるんですよ。世の中には〇〇依存症とか〇〇中毒とか色々な症状がありますけど、人間みんな結局何かに依存して生きているのは間違いないと私は思う。いや、私は何者にも依存しないで自分だけを信じて自分一人で立派に生きているんだって思っている人もいると思いますが、それも立派な自分依存症なんですね。

実は、私もこの自分依存症患者でありこれが極めて性質が悪いんです。まだ他の何かに依存して生きている方がずっと素直でいい。それが現実です。自分依存症の人ってとにかく頑なで頑固なんですよね。つまり、自分にしがみついて生きているわけです。自分という宗教を信仰しているわけです。それが正しい在り方だと半ば本気で思い込んでしまっており、もう後戻りができないとこに来ているわけです。

私は自分教を始めてもう10年くらいになりますけどこの宗教ほどくだらないものもないですし、得るものも少ないと思っています。ようは世の中の様々なものを安易に信じずに、頑なに自分の中に閉じこもろうという教えですから。確かにそうすることで騙されたり、傷ついたりすることはほとんどないのですが、はるかに大きな物を失っている気がする。それは、人間性というか心というか人間らしさみたいなものです。

こういう生き方はしちゃだめだなあと我ながらめちゃくちゃ思います。しかし、もうどうにも方向転換することができなくなってしまっているのも事実。鉄は熱いうちに打たなきゃダメですね。もっと若いころに奉仕活動を受けないと駄目だなあと。しょせんどんな人生もたいしたことはないと思います。それなのに、なんだか他人が信じているものを馬鹿らしく見てしまう癖がついてしまう。これこそ自分教の最大の負の遺産ですね。こんな、私に誰がしたーー、って叫びたい。誰もしていない、自分がそうしたんだろうと思います。

さあ、どうしようか・・私はそろそろ変わらないとダメかもしれません。そうだ、そのために海外一人旅に出てビールでも飲もう!!