人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

黒ラベルと333(バーバーバー)と政治と経済

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今日は、ベトナム料理屋さんに行って黒ラベルの生ビールとベトナムの333(バーバーバー)ビールを飲みながら、ベトナム料理を食す。

333(バーバーバービール)355mlx24本

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結論から言うと、大変満足できた。まず・・・・このお店の黒ラベルの生ビールは非常に美味しかった。そこが私にとって新鮮な驚きであり、喜ばしいことだったのである。というのも、以前にもブログに書いているのだが、私はお店で黒ラベルの生ビールを飲んであまり美味しく感じたことがなかったのだ。

黒ラベルの缶ビールは好きでよく宅のみしているのだが、お店ででてくるジョッキの生ビールはイマイチだと感じていた。しかし、今回のベトナム料理店での黒ラベルの生ビールは普通に美味しかったのである。これが、非常に嬉しかった。そして、ベトナムビールの333(バーバーバー)は今まで美味しいと思っていたが、日本のビールに比べると味が落ちるなと感じたこと。

単純にビールにおいて日本が勝ったという感じがして少し悦に浸ることができた。ただ、ベトナムビールと言っても何種類かあり、BIA SAIGONなんかはもっと美味しく感じる。

まあ、そうは言ってもビールというものはシチュエーションによって味がだいぶ変わるものであり、とりわけきつい仕事、嫌な仕事を終えた後に飲めば美味しく感じやすいので一概には言えないのかもしれない。

さて、今日は書店で購入したひろゆきさんの『無敵の思考』を読む。

無敵の思考 ――誰でもトクする人になれるコスパ最強のルール21

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ひろゆきさんの本を読むのは2回目(2冊目)なのだが、この本も大変面白かった。そして、本を読み進めながら私とひろゆきさんの共通点と相違点が鮮明になり面白いなあと思ったのである。

まず、共通点としてひろゆきさんも私も政治的にリベラルであるということ。この感覚を共有できるからこそ著書を読んでいて納得したり、共感できたりするし、面白いなあ、参考になるなあと感じる。

とりわけ、面白いと感じるのは『ルール作り』に関する思考である。一般的に(政治的に)リベラルな人というのはルールにこだわる人が多い。著書を読めばわかるとおり、ひろゆきさんも自己の中で確個たるルールを確立していてそれを実践している。それは、私自身も同じである。ただ、そのルールはひろゆきさんと私で微妙~だいぶ違う。そこがまた面白く感じる。

とにかく、ルールを確立し、それを順守していくのが好きなのが一般的なリベラル思考である。ここが大変に共感できる。それと、ひろゆきさんが盛んに提唱している『ベーシックインカム』についても私は面白いと思うし、一回試してみたらどうか?と思う。ベーシックインカムというのは日本国民であれば毎月一定の収入(毎月数万円程度)を国から補償されるシステムで、これにより国民の幸福感が増すと同時に一定の格差是正が見込まれるということである。

一方でだいぶ(思想的に)違うなと感じたのは、ひろゆきさんは経済的に保守派であるのに対し、私は経済的にもリベラル派であるということである。

ひろゆきさんの本を読んでいるとなるべくお金は遣わないで幸せになろうという発想が強い。無駄なお金はできるだけ遣わないで貯めて増やすことが幸せなのではないか?という発想が根底にあると思われる。

私はそう考えないのである。というのも私はお金を増やすことも儲けることも貯めることも全然興味がないし、逆にお金は少なければ少ないなりに面白いと思っているからである。というのも、人生というものは安定してしまうとつまらないと思うからだ。

確かにお金をたくさん持っていて将来にわたってお金に困らないという安心感があれば幸せになるような気はする。そこは世間一般の人とだいたい一致しているところである。しかし、現実的に私の人生を振り返ってみるとお金がなくてどうしよう?と思っている時の方が、逆に緊張感や切迫感が増し、人生の充実度が高まったと思うからである。

私は海外一人旅が大好きだが、誰かにパッケージされた安全、安心な旅行よりも自分一人で全責任を負わなければいけない単独旅行の方がはるかに充実しているという確信を持っている。それは、私の人生観、価値観、実体験に照らし合わせて確かなものであり、かけがえのない宝のようなものでる。

つまり、私の価値観に照らし合わせるとお金は持っていない方が楽しく、幸せで、充実感があるということになる。それと、インドやバングラデシュを旅行していわゆる『本当に貧しい人』というのを生で見たことも大きい。人というものは同じ光景を見ていてるようで着眼点が全然違うものである。

私がインド、バングラデシュなどの貧しい国(貧しい人が多くいる国)を旅して着眼したのはいわゆるきらびやかなサリーを着たリッチな人達ではなく、路上に打ち捨てられている食うや食わずの貧乏な人であった。こうした人達はいったいどんなことを思いながら生活しているのだろう?どんなことに喜びや幸せを感じているのだろう?どんな苦労を抱えながら生きているのだろう?ということが単純に気になったのである。

確かにお金持ちの人生は安定しているかもしれないが、では貧しい人達の生が完全に不幸で充実していないか?というとそれはわからないように思う。つまり、安定しているから幸せなのか?ということに疑問を感じるのである。だからこそ、私はお金をあまり持っていたくないし、余ったお金はできるだけ世間にばら撒きたいと思っている。それは、誰かのためというよりも自分の人生を充実にするための目的論的な発想である。

それから、私は政治的にリベラルで経済的に保守であるひろゆきさんのような人の話は面白く聞くけれども政治的に保守で経済的にも保守である人の話を全然受け入れる気がないというか馬鹿にしてみているふしがある。

とりわけ、右傾化しているこの(現在の)日本社会の中で政治的に保守的で『日本を守ろう』的なことを声高に言ったり、経済的に保守的で『たくさん稼ぎましょう』的なことを言う人の話などはなから全然聞きたくない。それは、私の人生観に照らし合わせて真逆であり、死ぬほどどうでもいいことであり、まるで耳を傾ける必要性などなく、馬鹿げた戯言にしか聞こえない。

とりわけ、私はネトウヨという人種が心の底から大嫌いなのだが、ネットでそういう人達の排斥的な言論を目にした瞬間『は?馬鹿じゃないの?さっさと死ねば?』と思う。まあ、人それぞれ価値観は違って当たり前だし、自由に自己表現をすればいいし、言論の自由は十分に認められるべきだから、生き方としてはアリだとは思う。

ただし、リベラルな私からするとまるで尊敬に値しない思考だし、どうでもいいし、何の感銘も受けず、蔑んで終わりである。

1人の人間の人生なんて別にどうでもいいと私は常日頃思っている。1人がこの世から消えて何か困ることがあるだろうか?私が死んで誰か困るだろうか?と私は現実的にいつも考えている。確実に困らないと思う。

とりわけ、私の場合本当にそれこそ今日死んでも全然かまわないといつも思っているので、『美しい日本』を後世に残したいという思いは皆無だし、お金をたくさん持っていてもいなくても全然どうでもいいと思う。まあ、ポケットに100円くらいあれば最低限水が飲めたり、ちっちなパンぐらいは買えたりすると思うのでそれで今日を凌げればいいと思う。

私はそういう思考で生きているからこそ、いわゆる政治的にも経済的にも保守である人を尊敬しない。つまり、私は何かを保ち、守ることが馬鹿らしいと思っている。

以上でした。