人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

毎日の生活に何の意味が・・

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毎日いったい俺は何の意味があって生きてるんだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!と思う。この俺の人生になんて何の意味もない。さっさと死にたいのに死ねないからただ仕方なくなんとなく生きているだけだ。

人間に痛みの感覚があるのは自殺できなくするためだと思う。ビートタケシも同じことを言っていた。痛覚があれば簡単に人は死ねないから。

結局痛いのが怖くて死なないだけかもしれない。今日も仕事をしながら・・『あーー。今日にでも死にたいなあ。人生なんてくだらないし、つまらないし、意味がないなあ』とため息をついていた。

とりわけ私の身体は非常に面倒くさくややこしい作りになっているからホントにだるいのだ。誰かにこの人生をプレゼントしたい。

なぜ人は望んでもいないこの自分に勝手に産まれさせられて生きていかねばいけないのだろう??
何か意味があるとも思えないし。仕事なんてくだらないし。

前回、イケダハヤトこのやろーー的な記事を書いていて思ったのは私はつくづく人の好き嫌いが激しいなあということ。私は自慢ではないが食べ物に関してはどんなものでも美味しく食べることができる。好き嫌いも皆無だ。だからこそ食わず嫌いをする人の気持ちがよくわからない。

その一方で人の好き嫌いがめちゃくちゃ激しい。嫌いな奴は徹底的に嫌いである。人に対しての食わず嫌いが激しい。下品な奴、人の話を聞かない奴、デリカシーがない奴、見栄っ張りな奴、嫌味な奴、俺は凄いアピールが強い奴・・誰も彼も皆嫌いである。

それだけ嫌いな人が多いせいか時々本当に尊敬できる人や相性が良いタイプの人に会うと好きになる。しかし、その数は少数だ。でも、そのぶん有難みは大きい。イケダハヤトなんて一番嫌いなタイプだ。職場にも似たような奴がいる。あんたらの人生なんか俺には超絶どうでもいい。

何のために仕事をしているの??と聞かれて生活のためだと答える女を見てイラついた記憶がある。何が生活のためだ。生活なんてどうでもいい。生活するために生きているわけじゃない。暇つぶしのために仕方なく仕事をしているだけだ。生活なんてどうでもいい。どうせその延長に死が待っているだけだ。こういう『生活のため』みたいなことを平気で言える現実主義者が嫌いなんだ。

暇つぶしに金儲けをしている人も嫌いである。金儲けなんてどうでもいい。私は金を稼ぐために産まれてきたわけでもこれから先生きていくわけでもないんだ。金なんてものは生きるための手段なのであって目的ではない。

そう考えると特に人生にやることがない。こういうどうでもいいことをなるべく考えたくない。嫌なものから逃げようとしながらも嫌なものに絡めとられ生きていく。あーー、ホントにこの私の人生意味なし。死にてーーー。