人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

結論から言いますと

勝利しました🏆🏅

マスク着用推奨ポスターを貼ってあるドラッグストアに先日、長文で苦情申し立てのメールを送ったところ早速ポスターが撤去されていました。

👏

ぐうの音も出ないほどの正論を並べて理詰めでメールしましたので、向こうもある程度受け入れざるを得なかったのでしょう。

結局はマスク着用推奨云々などと言うものは極論すれば、宗教の問題です。

我々はお参りをしにドラッグストアに行っているわけではないのですから特定の宗教を推奨するポスターを入り口に貼ると不快に思う人がいるのは当然です。

別にマスクをしたい人は勝手にすればいいのです。

私はそれを1ミリも否定していない。

あなたが着けても着けなくても私が着けても着けなくてもどちらでも良い。

それぞれの自由だと政府まで公式発表しているのだから
わざわざ推奨するポスターを貼るのは偏っている。

ただそれだけを言いたいだけです。

お店にはお礼のメールを入れました。

本当にありがたいことだし、気持ちよく買い物ができました。

ちょっとしたことだけどこういうちょっとした気遣いがあるかないかがとてつもない差なんです。

これからの多様化した社会において絶対に必要なバランス感覚ですね。

それにしてもありがたい。

頭の訓練

昨日は仕事が終わってから中国語とベトナム語を中心に勉強した。

中国語はだいぶ慣れてきたがベトナム語の声調がややこしくて混乱する。

今日は主にスペイン語タイ語をやろうかなと思っている。

語学はまさに山登りそのものであって、できるようになるにはとにかくたくさん時間をかけて勉強するしかない。

たくさん聴いて、たくさん読んで、たくさん発音しての繰り返しを数こなす以外に方法はないのだ。

山登りと同じで一歩ずつ足を出さなければ上に上がっていけない。

私の目標は語学を通した頭の鍛錬である。

流暢に話すことが目的ではない。

流暢に話すことを目標にするなら一つの言語に特化して勉強した方が近道だ。

言語とは非常に奥が深い閉じられた無限世界のようなものであって頭の回転や切り替えを強く要求されるものだ。

とある言語を勉強して慣れ始めた頃に違う言語を勉強し、また次の言語を少しやり、そしてまた元に戻るみたいなことを繰り返すのは様々な試練が脳内に同時に与えられる為非常に良い刺激になる。

慣れ親しんだ日本語や英語などをいったん離れて別の言語の勉強をして悪戦苦闘してまた戻ってきて、次の言語をやって悪戦苦闘してみたいなことはまさに山登りそのものである。

言語とはそれぞれこんなにも異なるのかと驚く。

タイ語のあの難解な文字にも挑戦したいし、中国漢字をたくさん勉強したいし、ベトナム語の難しい発音にも挑戦したい。

職場環境改善

というわけで来年度から職場での昇進が決まったので少しずつ職場環境を改善してやろうかなと思っている。

それは人事評価システムの見直しである。

どこの職場でもそうだが、本当に必要最低限の仕事しかできず、能力的にも低いのになぜか上に立っていたり、評価が高かったりする輩はいるものだ。

これほど下のもののやる気を削ぐことはない。

我が輩の職場にも自ら何もやらず、他人にやらせて、楽をして昇進した輩がいる。

この輩はとにかく上にへこへこ媚びへつらうのが上手いのと、協調性があって周りとうまくやるのが割と上手いのと自分から昇進したい旨を申し出たやる気が評価されて昇進したタイプである。

一方で地道に一生懸命働いて貢献しているのにあまり目立たずに昇進も評価もされない人材もいる。

私はこのような縁の下の力持ち的な人材をしっかりと評価していくシステムを作りたい。

全然働かない人材をよく働く人材が支えて組織は成り立っているものだ。

これは蟻の世界でも有名な2:8の法則である。

よく働く2割の蟻が働かない8割の蟻を支えているという蟻社会のシステム的なものを人間社会に当てはめるとほぼ一緒だという逸話である。

もちろん働かない人材を排除する気は全然ない。

ただ、評価をしないということを職場から明言させたいのである。

どう考えても働かない人材の給料や評価や役職がよく働く人材よりも高いのはおかしい。

よく働く人材が組織を支えているのだから彼らが昇進し、給料が上がり、評価をされ、さらにやる気を出して働いて組織が活性化する方がいいに決まっているのである。

働かない人材はそれでも許されてきたからずっと働かないのである。

そういう人材をしっかりと客観評価し、今のままなら給料も上がらず、昇進もせず、居場所もなくなっていくよと宣言すればいいのだ。

その方が彼らのためにもなる。

働かないで嫌な仕事や面倒くさい仕事を避けて他人にそれらをやらせてコミュ力だけで評価されたり、昇進したりしてきたような人材は必ず化けの皮が剥がれ、行き止まりがくるものだ。

自分がしてきた過去から現在に至るまでのつけは必ず回収することになる。

それをしっかり知らせてやらないといけない。

今の職場においても本当によく働く使える人材とまるで働かない使えない人材といる。

からしたら使えない人材はとにかく最低の評価にして給料を低く抑えて使える人材にどんどん給料を渡したいし上に上がってほしい。

本当によく働いて組織を支えてくれているいい人材がどの組織でもいるものだ。

そういう人材に本当に心から私は感謝しているし、尊敬もしているし、そういう人材を私はしっかりと見ている。

また使えない人材についても私は同様にしっかりと見ているのでよくわかっている。

全ては評価システムの問題である。

働くと言ってもADHD多動症のようにやらなくてもいいことをただやたらに無駄にやって仕事をしたふりをしてるのもダメである。

無駄な仕事、どうでもいい仕事、やらなくても良い仕事と、本質的に重要な仕事、価値のある仕事、生産性の高い仕事はきっちり区別できる。

働かない人材に限ってどうでもいいような何にも頭を使わなくて良い楽な仕事をやって仕事したふりをしてるものだ。

見る人が見れば一瞬でバレるのに本人達は鈍感であまり気付いていないようである。

とにかく生産性を上げることが何よりも重要だ。

その仕事が上司Aを通過する時にどのような付加価値がついて次に流れていくのか。

有能な上司は自分の傍を仕事が通過した時に生産性を高めることができる。

無能な上司の傍を通過した時は何も付加価値が付かず生産性も上がらない。

人はよく見ているものである。

とにかく私は人事評価システムをテコ入れしたいと感じている。

無駄な人材に良い評価や高い給料はあり得ない。有能な人材がしっかりと活躍できる下地を作るのである。

早速苦情申し立てました

近所のドラッグストアの入口に貼ってあるマスク着用推奨のポスターがむかついたので下記のとおり長文のメールを本社に送りました。

今後どう変わるか?それとも変わらないか?楽しみです。
〜本文引用〜
○○店をよく利用させていただいている者です。

店舗入口に貼ってあるマスク着用推奨のポスターが非常に不快です。

是非とも早急に撤去していただけることを切に願います。

ご存知の通りマスク着用は3月13日より政府発表にて完全任意となりました。

この発表以前より我が国においてマスク着用における法的規制は皆無であり、原則任意でした。

しかし、各企業、店舗、レストランなどの各事業所が独自でマスク着用を顧客に強く推奨する(事実上の強制)事案が日本国内に多発し、権利が濫用されて参りました。

これにより、顧客側が否応なくマスクを着用させられて言わば泣き寝入りを強いられて参りました。

割合的には少数の部類になるかと思いますが、我が国においてもマスク着用を推奨されることに強く違和感、拒否感、不快感を示す顧客もおります。

貴社は大変素晴らしいサービス提供をしている一流企業だと私は考えております。

そうした一流企業である貴社が我々のような顧客にわざわざ不快感を与えるようなマスク着用を推奨するポスターを貼る必要があるでしょうか?

先述のとおり、現段階においてマスク着用は完全任意であり、国民個人の判断に委ねられております。

つまり、このようなことを政府があえて発表したということは事業者側に対してマスク着用推奨をやめるように暗に伝えているのです。

実質半強制になってしまった店舗入り口でのマスク着用推奨は撤廃してほしいという政府の裏の意図が強く入った政府発表です。

世の中にはマスク着用を強く忌み嫌う人、苦手な人、よく思わない人など多様な人が共同生活していることを決して忘れないでください。

多種多様な薬を販売している貴社であれば多様な病気や症状が世の中に存在しているという事実は既知の通りです。

顧客も従業員も個人の一部です。  

顧客や従業員にマスク着用を推奨する権利があるのであれば、その裏側にピッタリとマスク着用を推奨しない権利も含まれています。

そのことを忘れないでください。

この世界に絶対的な正解はありません。
法的に罰則規定がない以上、マスク着用は完全に個人の判断としてニュートラルな立場に置くべきです。

〜引用終了〜

周りに合わせた行動をしましょう‼️

って言う日本人の島国根性が宇宙一大嫌いでございます。

もう、本当に本当に1人の日本人として恥ずかしく情けなく思います。

ただし、周りに合わせた行動しかできないのは結局日本人の遺伝子の中に刻み込まれてる気もしています。

目立つことを嫌うというか。

目立たないためにはどんなに悪いことでもどんなに偏ったことでも平気でしてしまうのが日本人ですからね。

この最低最悪なマスク社会が徐々に変わっているのは非常にありがたいのですが、未だにというか変われない人がほとんど。

もう染みついた習慣って変えられないんだよなあ。

私はコロナ禍における集団行動としての日本人のマスク着用が美徳なんだ的な価値観というか刷り込みが死ぬほど大嫌いでした。

この3年間徹底してそれには抵抗した。

日本人として周りに合わせた方が楽だというのはわかりすぎるほど楽だって分かってたけどやはり個として絶対に許せなかった。

自分の中に眠っている正義感が許さなかった。
 
それにしてもこの異常なまでのエセ潔癖症的な日本人をどうにかならないものか?

我々の身体の中に皮膚の表面に空気中に身の回りにいったいどれほどのウイルスやら細菌やら花粉やらが生息していると思っているのか。

それを完全無視してマスクして安心しようという思考があまりにも単純でしかも気持ち悪くてたまらなかった。

ちなみに地元のドラッグストアでまだマスク着用推奨のポスターが貼ってあったので苦情入れてやろうと思う。

お前らは推奨する権利なんかないんだ。

そんなもんは客の自由に決まってんだよ。

いい加減にしろよ。

もちろんマスクが売れなくなるとドラッグストアの売り上げが減るから困るんだろうけど。

徹底的に理詰めで長文のメールしてやるかな。

本当マジでマスク着用推奨とか死ぬほど死ぬほどうざい。
 
すげームカつく。

なんでこんなに一方にめちゃくちゃ偏った日本社会に人々は良心の呵責を感じないんだろう。

どんなに嫌われてもいいからこの異様な習慣を少しでも改善し、気楽な社会を実現するために行動してやる。

マジでノーマスク最高過ぎる

てなわけでスタバに到着。

ノーマスクで注文、最高過ぎる。

あれだけマスクにうるさかったスタバ店員に勝利した快感。

スタバにはマスクのことで長文のメールを何回もした。

マジでアホみたいにうるさかったから。

お客様、マスクはお持ちですか?

とか

お客様マスクを着けていただけますか?

とか。

まあ、本当にうざかった。

って言うかお前ら今すぐ全員取れって言いたくなった。

絶対何にも起こらないから。

何にも変わらないから。

ただの思い込みだから。

まず何も起きない。

誰もあなたの顔に興味ないから顔を隠す必要なし。

もちろん感染もしないし、感染させることもない。

仮に感染したとしたらマスクの有無による効果云々なんて本当に微小な差異であって無視できるほどだ。

だからすげーくだらないことである。

マスク脳の怖さはその思い込み力の強さにある。

それにより脳が柔軟性を失ってしまうことが1番危険である。

本当はマスクなどしてなくてもなんにも起こらないのに何かが起こると錯覚する。

感染するかもしれないとか花粉症になるかもしれないとか顔を見られるかもしれないとか。

実は他人がマスクなどしてなくても誰もなんとも思ってない。

私はコロナ禍に東京に行った時にほぼノーマスクだったが誰からも何も言われなかった。

今日もジムに行ったら大半の日本人がマスクをしていて呆れた。

こいつらはなんと柔軟性がないのだ。

思考が凝り固まっているし、結局他人が外せば外すし、皆が着ければ着けるし、自分というものをしっかり持っていない。

私は3年前から明らかに自分というものをしっかり持っていた。

マスクなんか絶対に意味ないし、着けるのは無駄だし、何よりも大嫌いだからなるべく着けないように徹底した。

周りに合わせたくなかった。

周りに合わせた行動のくだらなさは痛いほどよくわかっていたし、意味のないことにも気付いていたから。

私のような人をほとんど見かけなかった。

今はだいぶ世の中が変わってきた。

パンデミックでだいぶ日本人は学習できたはず。

やはりマスクに意味はない。

弊害も大きい。
 
着けたい人が勝手に着ければいいんだと。

私は大嫌いだから基本的には着けない。

強制されない素晴らしさを毎日噛み締めて生きている。

これほど嬉しいことはない。

生きていることに幸せすら感じる。

とにかくお慣れになってね❤️

はい、てなわけで昨夜はビールで睡眠薬を流し込んで気持ち良く眠りについた。

とにかくこれが良いのだ。

アルコールの作用で睡眠をスピーディーに円滑にする。

ビールで睡眠薬を流し込んだ場合、普通に睡眠薬を流し込んだ時よりストンと眠りに入れるところが素晴らしい。

ディズニーランドでいうところのスプラッシュマウンテンやカリブの海賊のアトラクションで急にストンと下に落っこちるような場面があるがあれに似ている。

急にストンと行けてしかもそのまま深い眠りが持続する。

是非、お試しあれ。

明らかに水で流し込んだ時と服用感は違う。

もちろんアルコールで薬を流し込むこと自体は服薬時の禁忌事項になっているから自己責任だが。

アトラクションを楽しむ気分でいつもやっている。

さて、言語学習に一番大事なことは何か?

それはとにかくなんでもいいからその言語をたくさん脳に繰り返し晒すことである。

言語学習で一番良くないのは無駄な負荷を脳にかけることだ。

つまりできない自分を責めること。

脳というものはどんなものであっても繰り返し晒し続けていると次第に慣れてくるものである。

学んでいる言語を見て、聴いて、読んでを繰り返して脳にパターンを学習させる。

無理に覚えようとしない。

ひたすら何度も何度も繰り返す。

覚えられないことやすぐに忘れてしまうことや間違えてしまうことなどたくさんあるがそれで自分を責めずに繰り返し学習していく。

これが大事。

脳は必ず学習しているものだ。

それを信じてとにかく慣れさせていくことが大事。

仕事と同じだ。

毎日職場に行って仕事をしていれば最初出来なかったことも必ずできるようになる。

とにかくできなくてもいいから職場で働いて慣れていくこと。

行動から始めることが一番大事。

ごく少数の天才以外は一回見たり聞いたりした単語をすぐに覚えることなど絶対にできない。

繰り返してやることが大事。

自分を責めずに何度もやって脳をパターンに慣れさせていく。

ブログの文章も一緒。

上手い下手とか関係ない。

とにかく感じたことを全て言語化していく。

間違えまくっていて全然良い。

何度もやっていくうちに流暢な文章が書けるようになっていく。