(私の)人生は苦しい。これは私にとって絶対的な真理である。
なぜこんなにも苦しいのか?私なりに色々と考えてみたのだが結論から言うと、私が私の人生を生きなければいけないことが苦しいのだ。
私が私の人生に死ぬまで責任をとらなければいけないことによる苦しさである。
人間の悩みは言うまでもなく千差万別であり、親子関係が苦しい人がいれば、職場や学校の人間関係が苦しい人もいるだろうし、仕事が苦しくてたまらない人もいるだろうし、自分の抱えてる病気や痛みが苦しくてたまらない人もいるだろう。
私の場合、実はそのどれでもない。
親子関係は至って健康的で大変良好であり、職場の人間関係も多少微妙なところもあれどそれほど問題はないし、過去の学校の人間関係もうまくやれてきたし、仕事も耐えられないほど苦しい感じでもない。抱えている病気も薬を使うことで抑えられておりそれほど苦しんでもいない。
それなのに、私の人生は大変に苦しい。
それは、私自身の「身体」の異常性、特異性からくるものなのかもしれない。
私の身体は変な身体である。なんかともかく面倒くさくて疲れる身体なのである。
この身体を一言で説明するのは大変難しい。
とても簡単に説明できないほどややこしくてうんざりするほど面倒くさい身体なのである。
この身体でさえなければどれほど私の人生は幸福に満たされたことか。
この身体を持って生まれたことが私の人生にとって最大の不幸である。
これほどの不幸は想像ができないほどである。
ともかく非常に想像を絶するほど大変な身体なのである。
それでいて一応は健康体なのだから余計につらい。健康なのに全然健康じゃないのだ。
余命数年と宣告されているような病気があるわけでは全然なく、性同一性障害などのジェンダーの問題を抱えているわけでもない。
それなのに細々とした所の造りの粗雑さみたいなものが私の心身を日々蝕んでいるのだ。
他人に自分の身体を説明することは非常に難しいことだ。
身体ごと取り替えてしばらく生活してもらい文字通り、身体を体感してもらうことができればその苦しさが身をもってよくわかるはずである。
逆に、そうすることで他人の身体の大変さも実感できるのかもしれない。
確かに他人も他人で様々な身体の苦しさを持っているだろう。
でも、私の体の苦しさはかなりのものだと私は思っている。
それでも生きている。