人生とは旅である

日々の体験を通して考えることを大切にしていきます。

大学時代は本当に贅沢な時間を過ごしていた

私が東京で大学生をしていた10数年前のことを今でも時々思い出しては一人で哀愁に浸っている。

あの頃はとにかく時間があって贅沢なことに悩んでいたなあと思う。

いや、贅沢な悩みというよりも20歳そこそこのまだ人生これから・・という年齢で今後の人生についてあーでもない、こーでもないと真剣に身体ごと悩みに悩みぬくことができる時間もエネルギーもあったことが贅沢であったと思う。

世間の著名人達が大学時代を振り返った本を当時読んでいたのだが、その時に鮮烈に記憶に残った言葉の中にとある方(元大学教授)の「悩む自由を謳歌せよ」という言葉があった。

そうか、人生に真剣に悩むことができるのは大学時代の特権であり、その自由を謳歌せねばならないのか・・と考えることでなんかふっと気持ちが軽くなる気がした。

その方が言うには社会に出ると次から次へと色々な仕事が押し寄せてきてそれに伴う問題の解決に追われるから自分の人生の悩みにとことん真剣に付き合う時間もエネルギーもなかなかとれなくなるというのだった。

その当時は、当然ながら社会人というものがどういう生態なのか知らなかったしそんなもんなんだ・・と感じた程度だったのかもしれないが実際に社会に出てみると確かに半分その通りであった。

学生時代のように自分のことで真剣に悩み暮れるということはなくなった。

少なくとも働いている時間は仕事のことで悩まなければいけないし、その間だけは自分の人生に聳え立つ様々な悩み達はどこかに雲隠れしてしまう。

仕事前後の時間や休日に徹底的に自分の人生を悩む時間をとるしかなかった。

そういう意味で大学生の頃は本当に贅沢な時間をとれたと思う。

私は文系で単位取りが凄く楽な私立大学にいたから本当に授業など適当に出ていればいいし、授業をさぼって遊びに行くこともよくあったり、授業中にうとうとしたり全然別のことを考えたりしていることも多かった。

それでも卒業させてくれた大学には恩の字である。

出席を取る大教室でやる授業などは最初の10分程度出て、出席マークシートが回ってきて自分の出席チェックしたら授業をそしらぬ顔で抜け出して電車で新宿に行き、ひたすら新宿内を歩き回り、カフェに入り色々な本を読んだり、人生に悩んだり考えたり絶望したりすることで時間をつぶしていた。

今思うとあれらすべてが私にとっては財産といってもいい宝物であった。

まさに悩む自由を謳歌することができた学生時代だったと思う。

今の大学生はどうやっているんだろうか?

今すぐにでも大学にもどってやり直したい。

でも・・自分はもう老けてしまった。

戻れるならあの頃の心と身体に戻ってやり直したいものだ。